階段を人生に例えてみました。あなたの階段の先には何がありますか?
私は階段を登る。
なんで階段を登るのか?
それはきっと上に行きたいから。
じゃ〜なんで上に行きたいの?
それはきっとそこに何かがあるから……
階段を上ると言うことは人生に近いものに感じます。
人生とは、この世で生きる期間、またはその生き方を指す言葉である。
階段の一番下の階から一番上の階までの間が生きる期間にとして、上り方がその人の生き方とする。
階段の幅が途中で細くなったり広がったり。
もしかしたら階段がない人もいるかも知れない。
そしてそれをどう上るかも人それぞれ。
慎重に手すりを持って上る者。
走って上る者。
這いずって上る者。
はたまた逆立ちをして上る者も居るかも知れません。
細い幅であれば階段は走って上れば、足を踏み外し落ちる可能性が上がる。とは言ってもゆっくり上れば良いというものでもない。もしかしたら階段が途中で崩れるかも知れない。どちらが正解かを判断するのは難しいし、そもそも両方とも正解であり不正解の可能性もある。そして……他にも方法はあったのだとも思う。
ただ気をつけて、上って来た階段はなく戻ることはもう出来ないかも知れないから………
私は一体どうすれば良かったのか?
過去を振り返り自問自答することはきっと誰にでもあることだろう。
そしてよく考えることだ。
その一段は君にとって人生を決めるものかもしれない。
私はごく普通の一般家庭で育ち、そして結婚、二人の子供を授かり、特別なことはなかったが幸せに人生の階段を登っていた。
(一歩…一歩…とゆっくりであったが着実に上る)
私はいわゆるサラリーマンと言われる職業で年齢が三十代半ばと、それなりのポストに就き、忙しい毎日を過ごしていた。
「はぁ〜疲れた〜」
仕事が上手く行かない。
どんな会社でもそうだ。
成果を出さなければ会社は成り立たない。
だから成果は出し続けなければいけない。
私は成果を出すために駆け回り部下に声を飛ばす。
(足を上げがむしゃらに駆け上がる)
そのかいあって商談は上手く進み契約を取れた。
成果に貢献することが出来たんだ。
「あ〜やった!私はやったぞ!」
嬉しかった。ついガッツポーズをとってしまうほどに、でもそこにはがむしゃらに上がったゆえの代償があったことに後で気がつく。
「係長ウザいだよ」
「そうそう、あれ自分が正しいとか思ってるよね」
「今時、俺について来いとか、昭和?平成?古いんだよな〜考え方がさ」
部下からの不満。
相手の話に耳を傾けず自分の意見を押し付けたことによる弊害。
(部下は階段を一緒に上ったのではない。引きずり階段の角にぶつけ怪我を負わせたのだ)
それからしばらくして若い部下達に退職を申し出る者が現れた。
ハッキリとした理由は分からない。
なぜなら理由をぼかして辞めているから。
スキルアップ?キャリアアップ?良い言葉だ。
入社して二年、君はもうここで学ぶことはないのか?
そんなはずはない。嫌だから辞めたに違いない。
会社を辞める大半の理由は職場の人間関係や環境。
誰しもが満足出来る職場を提供するのは無理だ。
では……私には他に何か出来ることがあったのか?
たぶんあった。
でも……忙しい中で私にそこまで部下に配慮が出来ただろうか?
足りないものがあった。
それは時間だったり、相手を納得させる話術だったり、私は上司としてまだまだ足りていないようだ。
(階段は色々な形をしている。段差が人の丈よりも高い。一人では上れない、部下と協力して上ったつもりだったけど、部下は踏み台になることを良しとは思っていなかった。時間があれば踏み台を用意しただろうし、踏み台して上がることも、しっかりと承諾が得られて入れば……すべては後の祭り)
「つらい。辞めたくなる」
でも……それでも辞めるわけには行かない。私には守るべき家庭があるのだから。
守りたい者がいれば人は強くなれる。
社会に出れば様々な理不尽なことがあり不満を持つことがあるだろう。
それは階段がボロボロで朽ちていようと、穴が空いていようと、上がる階段が途中でなくなっていようと、上がりたいと思う何かがあれば、試行錯誤して、無理をして、そして死ぬ気で上がっていけるのだと思う。
私は目標を持って人生と言う階段を登っている。
皆さんはどうでしょうか?
特に何をとは言いません。
何をしたいか?
どうなりたいのか?
どうしてあげたいのか?
やりたいことを目標を掲げて上ってください。