第九十八話「キツネの魔獣」
「じゃあ今日の依頼に行くよ! 遅れたら置いてくからね!」
ギルドで顔を合わせて、いきなりそれだった。
クェルの笑顔は爽やかというよりも嵐の前触れに近い。
「で、どこまで行くんだ?」
「ジオル村よ。歩いて一日ってとこ? でも走るから三時間以内に着くよ!」
「三時間……」
つまり、初っ端から全力疾走ってことか。
依頼内容は、アカギツネの魔獣『ショア・レシーク』の討伐。
被害は今のところ家畜三羽、家畜小屋が破損。人的被害はなし。
ジオル村に着いた頃には、もうすっかり汗まみれだった。
クェルはというと、全然平気な顔をしている。いや、ほんとにどうなってんだこの人。
「さてさてー、聞き取りしちゃおうか!」
そう言って、村の人たちに軽快に声をかけていく。
こういうときの対応も、妙に手慣れていて早い。
「火の玉を飛ばした? 家畜が燃やされた? 火の魔法を使うのかな? 被害にあったのは家畜と言っても鶏だから、それほど強力じゃなさそうね」
「狐火ってやつか」
思わずつぶやくと、リラが反応した。
『なにそれー?』
「んー、俺のいた世界の、昔話に出てきた妖怪――魔獣の話? たぶん、架空の存在だったと思うけど」
『ふうん、でも似てるねー』
「で、どうやって探すんだ? 相手はキツネだろ? 警戒心も強いはずだし……」
俺の疑問に、クェルは親指を立てながら言った。
「ひたすら走りながら探す!」
「……マジか」
走って探すはいいけど、この間のマルモグラのときとは違って、対象が平原一帯。範囲が広すぎる。
いくらなんでも、無茶ではないだろうか。
「家畜を狙ってくるんなら、畜舎で待機ってのは?」
「却下!」
クェルは即答だった。ちょっとは考えてほしい。
「修行にならないし、時間もかかるし、ね?」
「……なるほど」
でも、走り回ったって同じでは? というか、時間と体力のこと考えたら、待ち構えた方がいいような気がするが……。うん、修行も兼ねているんだし、聞き入れてもらえないだろうな。
仕方ない。走るか。
『魔獣探すのは、私が手伝うよー』
リラの声がありがたい。
「範囲が広いけど、大丈夫か?」
『任せといてー』
ということで、修行モード開始。
広い平原を、クェルを追いかけてひたすらに走り回る。
地味にきつい。いや、地味じゃないな。普通にキツい。幸いなのは、明るいことくらいだ。
体感一時間。かなりの広範囲を走り回ったが、魔獣は見つからない。
まあ、ただ走りまわるだけで見つかるはずないってのは、わかってたことだ。
ほどなくしてリラが言った。
『怪しいポイント、四つ見つけたよー!』
「マジで!?」
『マジマジー! なんか巣穴みたいな穴とか、微妙な焼け跡とかー』
この子、ほんと頼りになる。
「クェル! リラが怪しいポイントを――」
「うんうん、聞こえてるよー! でも止まらないからね!」
クェルは、全力疾走しながらニコニコしている。
こっちが話してる間に、さらに加速していくのはやめてくれ。
「で、そのポイントはどこ?」
「このまま真っ直ぐの茂みの中! あとは左手の小高い丘! 右手の岩場っぽいところ! それと、真後ろの窪み! 全部、3キロくらい先の場所だ!」
「じゃ、私は真っすぐこっち行くね! あと、声を大きくするのも、肉体強化魔法でできるから、やってみて!」
「え? わかった!」
「じゃ!」
クェルは爆風のような勢いで疾走していった。土塵と草の葉が舞い上がり、彼女の姿がすぐに見えなくなる。
俺も自分の行き先――左手の小高い丘へと足を向けた。走りながら、言われたとおりに喉の筋肉と肺、腹に魔力を籠めるイメージをする。
「あー!! うおっ……声、出るな、これ……!」
叫ぶと、肺の奥が軽くなったような感覚とともに、いつもより通る声が出た。なるほど、これは便利だ。
だが、走っても、丘の周辺に魔獣らしき気配はない。焦げ跡も、獣の足跡も見当たらない。ただ風が吹いているだけだった。
――外れ、か。
そのとき、遠くからクェルの声が飛んできた。
「多分こっちじゃなかったー! 後ろのポイント行くよー!」
さすがに大声だ。魔法で喉を強化しただけあって、距離があるのにちゃんと届く。俺も負けじと腹と肺に力を込める。
「わかったー! よろしくー!」
いつもよりも通る自分の声に、少しだけ嬉しくなる。ちゃんと通じたようで、クェルの姿が遠ざかっていくのが見えた。
『ケイスケ、急いでー! そっち行ったら、たぶん遭遇できるよー!』
「リラ、わかった!」
俺は踵を返し、リラが怪しい言っていた岩場にと向けて走り出した。
少しだけ体が軽く感じるのは、慣れてきた証拠か。それとも、戦いに向けて心が躍っているせいか。どちらにせよ、今は――修行だ。自分を鍛えるための戦い。
そして岩場に向けて走っていると。
「うおっ!?」
前方から火の玉が飛んできた。直径十センチほど、野球ボールくらいのサイズだ。慌てて身をよじり、地面に転がって回避する。しかし次の瞬間、間髪入れずに二発目、三発目が連続して飛来した。
「おいおい……!」
避けながら、俺は呟く。速度はそこまででもない。見てから回避できる程度の速さだ。だが厄介なのはその数と頻度。まるで昔やったアクションゲームみたいだ。
跳び、しゃがみ、転がりながら、俺は火の玉の雨を抜けていく。その向こう――確かに、いる。ショア・レシーク。アカギツネの魔獣。家畜を襲った、火を操る魔獣。
チリッと、頭の横を火の玉がかすめる。熱気と共に、髪の毛が少し焦げた匂いが鼻をついた。
「痛いのはできるだけ避けたいっての!」
俺は短剣を握り直し、ステップを踏む。魔獣のいる方向へ距離を詰める。そう遠くない、目算二十メートル先。
いた。赤褐色の毛並みに、鋭い瞳。キツネの魔獣が、地を低く這いながらこちらを睨んでいる。
――ズッ!
また火の玉。大きく右に跳ねて回避。正面からでは火球の嵐で近づけない。ならば横へ、回り込むように斜めに進む。
火の玉は俺の動きに追従してこない。ただまっすぐ飛ぶだけ。予測射撃の精度も低い。だが、一発一発の間隔が短い。タイミングを誤れば、すぐに焼かれる。
というか、クェルはそれほど強力じゃなさそうって言ってたが、どこがだ。普通にやばそうな相手だぞ?
事前の予測とは違う相手に、俺は改めて警戒心を強くする。
「そこっ!」
距離五メートル。一気に踏み込んで、短剣を振り抜く。が――。
「チッ!」
魔獣が跳ねるように飛び退き、空振り。地面を蹴って、再び距離が開いた。
「ギュアアアア!」
耳を劈くような、鋭い鳴き声。次の瞬間、足元に異変。周囲が、突然ボウッと燃え上がった。
「マジかっ!?」
俺の周囲二メートル。炎の円が俺を包み込むように広がっていた。火柱の高さは胸元ほど。すり抜けようとすれば火傷は免れないだろう。
「やばっ……!」
地を蹴って跳躍。回転しながら着地すると、背後で火が弾けた。そして、すかさず飛来する火の玉。前へ進もうとすれば、また足元から炎が噴き出す。
「この……詰ませにきてるな……!」
火の玉で近寄れず、近寄れば範囲攻撃。完璧な迎撃布陣。考え無しの魔獣かと思っていたが、これほどまでに巧みに攻撃を使い分けるとは。
このままでは埒が明かない。どう動く? いや、どこか隙があるはずだ。
そう思った矢先――。
「はい、終わりー!」
声と共に、爆風。
目の前でショア・レシークの体が吹き飛んだ。赤毛の中に炎の粉が舞い、火の粉がきらめく。その中心に、剣を構えた一人の女がいた。
「クェル……!」
俺は思わず呟いた。
火の粉を軽く払いつつ、クェルは笑って俺の方を見た。髪が焦げた匂いも、服の煤も、気にしている様子はない。
「なかなか頑張ってたけど、ちょっと決め手に欠ける感じだったから、倒しちゃったよ!」
「いや、ほんと助かった……」
彼女は片手でショア・レシークの死体を指差した。
「しかしまあ、けっこう粘ったね。あいつ、火の玉に範囲攻撃まで使いこなすとか、なかなか厄介そうだったよね」
「……ああ。ちょっと驚いたよ。魔獣ってだけで、そこまで知能が高いとは思ってなかった」
「そういうのもいるんだよ。特に狐系はねー。まあ、火を使うってだけで中級クラス扱いされることもあるし」
「そうなのか」
クェルは一歩近づいてきて、ふいに俺の肩を軽く叩いた。
「でも、ちゃんと前に出て、攻めたのは偉い偉い。あの火の玉、初心者ならビビって足がすくむからねー。やっぱケイスケは根性あるよ」
「根性ってか……無謀って言うんじゃないか?」
「それもまた才能だって! ふふっ」
楽しそうに笑うクェル。その明るさは、火傷よりも眩しい。
その姿に俺は不思議な感情を覚えていた。憧れ、かもしれない。彼女のように、軽やかに、強く、真っ直ぐに。そんなふうに動けたら、どれほどいいだろう。
……くそ、もっと強くなりたいな。
心の奥に火が灯った気がした。魔獣の火じゃない。自分の中に生まれた、意思の火だ。
「よし、とっとと報告行くよ! ジオル村の人たちに朗報を届けないとね?」
「……ああ、そうだな。行こう」
その背中を追いかける。
「でも、というか、依頼は修行も兼ねてるんじゃなかったんだっけ……?」
確かに魔獣とは戦ったが、最後はクェルが仕留めてしまった。
『別にこれが最後の依頼ってわけじゃないし、いいんじゃないのー?』
「……それもそうか」
リラの言葉に納得しながら、俺は走るのだった。
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