第九十七話「クェルの提案」
「お帰りなさい。早かったわね。あら……その子は?」
イテルさんが玄関で出迎えてくれた。
俺の背負っているクェルに気づき、彼女に目を向ける。
「ちょっと事情があって、泊めてもいいですか?」
簡単に説明すると、イテルさんは少し困った顔をしながらも頷いてくれた。
「そう、申し訳ないけど、部屋に余裕がないの。ケイスケの部屋に寝かせてあげてもらえるかしら」
「わかりました」
俺の部屋は六畳ほどのスペースで、雑多な荷物が積まれている。もとは物置だったらしい。
ベッドにクェルを寝かせると、ようやくほっと一息ついた。
彼女の寝顔は、なんだかやけに無防備だ。
「ふわあ……。やばい、まだ眠い……」
俺は床に座り込み、ぼんやりとクェルの横顔を見ているうちに、まだまだ寝たりなかったのか眠気に引き込まれていった。
気づけば、あたりはすっかり夕暮れ。
心地よい柔らかさに包まれていたベッドの上で、俺はぼんやりと天井を見つめる。疲れが残っているかと思ったが、体はすっきりと軽い。
「あれ? 俺、ベッドで寝てたっけ?」
『おはよー! あの子がケイスケをベッドに移動させてたよー』
「そっか。で、その肝心のクェルはどこに?」
見渡すが、部屋の中にクェルの姿はない。
『隣の部屋じゃないー?』
もぞもぞと身体を起こし、扉の向こうから聞こえる楽しげな笑い声に耳を傾ける。
──ああ、居間か。
声の主は三人。クェルに、リームさん、そしてイテルさん。
なんだか、ずいぶんと賑やかに談笑しているらしい。
俺は軽く伸びをして、扉を開ける。
とたんに、あたたかな光と、夕飯のいい匂いが鼻をくすぐった。
「お、起きたか。ちょうどいいところだ。ほら、こっちに座れ」
「ケイスケ、お腹空いてない? スープ、温め直そっか?」
「おっ、寝起きの顔! うぷぷ、なんかちょっと間抜け~」
三人が一斉にこちらを見て声をかけてくる。
俺は苦笑いを浮かべながら、空いていた椅子に腰を下ろした。
「いや、悪い。だいぶ寝てたみたいだな」
「いいのよいいのよ。それよりも、私を運んでくれてありがとね! ここにいるってことは、報告もしておいてくれたんでしょ?」
「ああ、まあな」
「ありがとね!」
クェルがニカっと笑う。それを見てイテルさんが、やわらかく微笑み、その隣でリームさんが、うんうんと頷いていた。
食卓には、焼いた肉と野菜の煮込み、それにパンとチーズが並んでいた。豪勢というわけではないが、温かみのある食卓だった。
クェルはというと、妙にきちんとした姿勢でスプーンを持っていて──。
「どうしたの?」
俺が思わず見つめていると、彼女はきょとんとした顔で俺に尋ねる。
「いや……なんか印象が違うと思って。丁寧だなって」
「ふふふふふ、いくら私でも、場は弁えるわよ? リームさんとイテルさんには、ちゃんと敬語使うんだから」
どこか得意げに胸を張るクェル。
話せば印象通りなのだが、落ち着いた態度に俺は面食らった。
「そ、そうか……」
「人にはね、見せる顔ってやつがあるのよ。ぬふふふふ」
まったく、本当に掴みどころのない人だ。けど、そのぶん懐に入り込むのが上手いというか……こうして普通に談笑してるあたり、彼女の人柄なんだろうな。
「それでケイスケ、これからしばらくはこのクェル殿にお世話になるということだが、本当か?」
リームさんが確認するように聞いてきた。
俺は、横目でクェルを見る。彼女は無言で小さく頷いた。
「そうですね、しばらく組んでもらえるみたいです」
「そうか。よく鍛えてもらうといい。……彼女は、腕もあるし、なにより信用できる」
リームさんの評価に、クェルは照れたように笑っていた。
「そうそう、ケイスケ、リームさんたちとビサワに行くんでしょ?」
「うん、そうだけど」
「具体的には、あと二週間後だな」
と、リームさんが補足する。その間にも、イテルさんはテーブルの上を片付け始めていた。
「さっきリームさんにも言ったんだけど、それ、私もついていっていいよね?」
「え?」
俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。思わずリームさんの顔をうかがうと、彼は穏やかに頷いた。
「銀級であるクェル殿についてきてもらうことは、こちらとしても大歓迎だ。どっちにしろ護衛は雇うつもりだったから、まさに渡りに船というやつだな」
「そう言ってもらえると助かります。ですがさすがに護衛が二人だけというのは心もとないですね。できればあと銅級二人くらいは欲しいところですが……」
喋っているのはクェル。本当に丁寧な話し方をしている。
誰だこいつ。と思わずにはいられない。
しかし、俺に視線を向けられても困る。
「俺に冒険者の知り合いなんて、ダッジたちくらいしかいないぞ……」
「実は私もなのよね。知り合いは多いんだけど、信頼できるってなると別問題でさ」
たしかに、信頼ってのは難しい。
俺だって、ダッジたちのことを信頼してるかといえば、正直言って怪しい。あんなことがあったばかりだし。
そんな俺の思考を打ち砕くように、クェルが唐突に手を叩いた。
「うーん、じゃあ、ケイスケが頑張ればいっか!」
「……は?」
「ビサワに行くまでに、銅級に上がれるよう、依頼こなして特訓するってことで! それで、残りの銅級はあと一人用意すればよくなるもんね」
いやいやいやいや、いくらなんでも飛躍しすぎじゃないか?
「いや、特訓は歓迎だけど……銅級に? 俺、今日ようやく鉄級になったばっかだよ?」
「おお、ケイスケは鉄級になったのか。おめでとう」
リームさんが褒めてくれる。だがその隣で、クェルはあっけらかんと胸を張った。
「大丈夫大丈夫! 私に任せておけば、銅級なんてすぐすぐ!」
「すぐって……そんなに簡単に上がるものなのか?」
「ふふーん、そこは私の本領発揮ってやつよ!」
妙に得意げな顔が不安を煽る。
「……なんか、一抹の不安があるんだけど?」
「ん? なーにを言ってるのよ、明日から頑張るよ! 根性根性! 精神論でもなんとかなるって!」
やっぱり不安だ。
「あ、ちなみにその知り合いのダッジたちとかいうやつって、銅級?」
「ああ、そうだけど」
「なら、そいつらも声かけなよ。行くか行かないかは別として、どんなやつだって、私がいるなら大丈夫だから!」
私がいるなら……? 脳裏には、積み重なった男たちの姿が浮かぶ。確かに、クェルならダッジはもちろん、バンゴやズート相手でも軽くのしてしまいそうだ。
「……なら、声はかけてみるよ」
気は進まないが、確かダッジはリームさんのビサワ行きに同行したがっていた。
「うん、そうしなさいな」
ダッジたちはクェルのことをしっているのだろうか? 有名人ぽいから、知っているのかもしれない。それなら、クェルの名前を出した方がいいのか、出さないほうがいいのか……?
……わからない。わからないなら、伝えた方がいいだろう。
ともあれ、依頼と特訓だ。
「じゃあ、特訓はやるよ。明日からだな?」
「そうだね」
こんな機会は滅多にないだろう。
なにより、彼女の戦い方は格好良かった。
あれを、俺もできるようになれれば……。
「よーし! じゃあ明日は早朝からだね! 起きたらすぐにギルド行くわよ!」
「……ああ、うん、よろしく頼むよ」
こうして俺の特訓の日々が、始まることになった。
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