第九十六話「目覚めと報告」
「……は?」
思わず声が漏れた。
気が付けば、俺はギルドの会議室にいた。記憶の最後はデンズ村の屋根の上で、魔獣討伐の緊張から解放されて、そのまま眠気に飲まれた瞬間だったはずだ。……それなのに、どうしてここに?
いや、確かに――夢のようにぼんやりとした記憶の中で、何度も何度も揺られていた感覚だけは残っている。馬車じゃない。あれは、人の背中だった。ということは、結論はひとつ。
「クェル、か……」
その確信と共に、扉が音を立てて開いた。入ってきたのは、見覚えのある金髪――冒険者ギルドの受付嬢、ステラさんだった。
「あ、ケイスケ君、起きたんですね!」
目が合うと、彼女はほっとしたように笑った。相変わらず、優しげな雰囲気を纏ったままだ。
「……なんでステラさんがここに……っていうか、ここ、どこです?」
「ここはギルドの小会議室ですよ。クェルさんがケイスケ君を担いで、ここまで運んできたんです。ずっと、そこで突っ伏して寝てましたよ」
ステラさんが視線を向けた先には、机に顔を埋めて寝ているクェルの姿。寝息は深く、体はぐったりしている。俺が倒れてから、ここまでずっと運びっぱなしだったのだろう。
「マジで運んできたのか……」
俺は自分の身体を確認する。特に異常は見当たらない。担がれてきたにしては、扱いは丁寧だったようだ。
「昨日の夕方に出発して、もうギルドに戻ってきたってことは……」
「はい。今は丁度お昼を過ぎた頃です。丸一日も経ってませんよ?」
「……いや、やばいでしょ」
俺の呟きに、ステラさんがくすりと笑った。
「そうですね。やばすぎます」
それから、彼女は静かにクェルのほうを見やって、言った。
「でも、ケイスケ君、気に入られたみたいですね」
「そうなんですか?」
「ええ。クェルさんは、気に入らない相手はその場に放置するんですよ。過去にも何人も、置き去りにされて帰ってきた冒険者がいます」
「……前科あり、ですか」
「はい、それも沢山」
ステラさんは少し困ったように目を細める。
どうやらクェルは、冒険者を潰してきた前科多数の常習犯らしい。再起不能とまではいかないまでも、心が折れて冒険者を辞めた者もいたとか。なるほど、敬遠されるのも納得だ。
「……つまり、俺は運良く気に入られたってことですね」
「そういうことです。よかったですね」
「喜んでいいのかどうか……」
溜息を吐きつつも、少しだけ胸をなでおろす。
「でもクェルさんは、依頼に関しては本当に真面目なんです。今回の討伐も、自分が一番早く対応できて、被害を最小限に抑えられるって、自信満々に言って無理やり受けたんですよ」
「……それは、わかる気がします。言動はアレですけど、やることは的確でしたから」
「ふふふ、そうですね。あの人、ああ見えてすごく考えて動いてるんですよ」
お調子者に見えて、誰よりも冷静に物事を見ている。クェルのことをそう評するステラさんの言葉は、俺が肌で感じたものと重なっていた。
「じゃあ、起き抜けで申し訳ないんですが、報告お願いできますか?」
「はい、わかりました」
俺は椅子に座り直し、できるだけ正確に、今回の討伐について報告を始めた。
まだら熊の魔獣の出現から、迷彩魔法の解除、クェルの戦闘。俺は精霊と契約していることにも触れ、リラの助けで魔法を無効化できたことを正直に話した。
「精霊契約者……しかも光の?」
ステラさんは目を見開き、驚きを隠さなかった。
「このことは、公にはしないでもらえると助かります」
「もちろんです。冒険者の個人情報は、ギルドが責任を持って守ります。ご安心ください」
その言葉に、俺は素直に安堵した。ステラさんになら、話してよかったと思える。
「魔獣の死体は、クェルさんが処理してきたってことにします。魔石はこの、机の上に置いてあるものがそうでしょう。周辺の被害もほとんど出ていませんし……今回の討伐は、非常に評価が高くなると思いますよ」
「ありがとうございます」
報告が一段落し、ふと隣を見ると、クェルがむにゃむにゃと寝言を言いながら寝返りを打っていた。
「……ほんと、なんなんだよこの人」
思わず呟くと、ステラさんが微笑みながら言った。
「それは、ケイスケ君がこれから知っていくことですね。そうそう、知っていますか? 彼女、『爆足のクェル』って二つ名があるんです」
「爆足……」
なんというか、イメージ通りといえば、イメージ通りだ。
一通り、討伐の報告を終えたあとだった。
ふと、前から気になっていたことをステラさんに尋ねてみた。
「そういえば今回のまだら熊の魔獣なんですけど、魔獣化した獣って名前は変わらないんですか?」
俺の問いに、ステラさんは一瞬まばたきをしてから小さく頷いた。
「ああ、そういうことですか。確かに今回も特に名称を伝えていませんでしたね。もちろん、魔獣化した獣それぞれに名称はありますよ。ちなみに今回のまだら熊の魔獣名は恐らく『ルベルヒス』です。前回クェルさんが討伐した白頭海豚の魔獣は『ディリブズ』ですね」
「ルベルヒス……ディリブズ……なんか、それっぽい名前ですね」
「はい。これらは学名なんです。ただ、一般にはあまり浸透していないので、元の獣の名前に『魔獣』と付けて呼ばれることの方が多いんです」
なるほど、学名か。納得はできる。だがそれなら、それっぽい魔法的進化条件もあるのか?
「あと、同じ獣でも、地方によって別の名前で呼ばれていたりすることもあって、一概に『この魔獣=この名前』とは言い切れないんです。それに、同じ獣がいつも同じ魔獣になるとも限らないんですよ。今回のまだら熊も、過去にはとても巨大で魔法を使わない個体もいたそうです」
「進化分岐でもしてるのかな……」
「え?」
「あ、いえ、なんでもないです」
つまり、魔獣には系統というより派生や個体差があるってことか。ポケ……いや、例えが古すぎるな。
それにしても、飼育して魔獣化を促す、みたいなことはできないらしい。根本的に人間にとって害になる存在だから、そういうことも検証できないってわけだ。
しかし進化する獣とか、気になりすぎる。
自分で進化させることとかできたりすれば、すごく楽しそうだ。
「なるほど、ありがとうございます」
「いえいえ、気になることがあればなんでも聞いてくださいね」
ステラさんはいつも通り優しく微笑んでくれた。
年上のお姉さんにそうされると、キュンとするのは……まあ、男の性ってやつだ。
「ところで、私からも聞いてもいいですか?」
「もちろんです」
ステラさんは少し言葉を選ぶようにしながら、慎重に切り出した。
「ケイスケ君って……ダッジさんたちと何度か依頼を受けてましたよね?」
「あ、はい」
「そのとき……えっと。……大丈夫でしたか?」
なんとも抽象的な質問だった。思わず首をかしげてしまう。
「大丈夫、とは?」
「そうですね……たとえば、無茶な要求をされたり、囮にさせられたり、報酬を減額されたり……そういうことです」
ステラさんの真意がわかった。
要するに、ダッジたちに俺がパワハラを受けていなかったかを確認したかったんだろう。
俺は過去の依頼を思い返す。
薬草採取のときは、まあ問題なかった。群生地を教えてもらったし、帰りに俺が魔獣を倒したし、報酬も魔石でまあまあだった。
問題は……一昨日のマルモグラの魔獣討伐のときだ。
「……まあ、ありましたね」
俺一人で魔道具を背負い、ひたすら畑を走る羽目になった。
ダッジたちは地面に寝そべって、談笑していただけ。
俺の返答に、ステラさんは一瞬、表情を曇らせた。
「……そうですか。わかりました」
その声色は、妙に低かった。
俺は悪くないはずなのに、なぜか謝りたくなるような気分にさせられた。
「あ、でも、報酬についてはちゃんと分け合ってますよ!」
慌ててフォローを入れようとしたが、ステラさんは軽く頭を下げると、
「ありがとうございます。私はちょっと用事ができたので失礼しますね。もしクェルさんが起きたら、どなたか職員に知らせてください」
そう言って、そのまま部屋を出て行ってしまった。
「……大丈夫かな?」
閉じた扉に向かって、独り言をこぼすと――。
『あんまり大丈夫じゃなさそー』
俺の肩にちょこんと乗っていたリラが、肩をすくめるように呟いた。
「とりあえず、メモでも残して一旦帰ろうかな……」
どうせクェルはまだ起きない。今回も夜通しで走って帰ってきたようだし。
『この部屋にこの子置いてっちゃうのー?』
リラの言葉に、俺は動きを止めた。
……そうだな。置いていったらギルドの人に迷惑がかかるし、そもそも俺を運んでくれた相手だ。恩を仇で返すのも違う。
「リームさんの家に連れていくか、な」
『それがいいよー』
クェルを背負い、部屋を出る。
装備のせいもあって、けっこうな重量だ。でも――。
「肉体強化魔法は、ほんと便利だなあ」
重くても、これくらいなら軽々だ。
俺は魔力を流しながら歩き、ギルド職員に一声かけてからリームさんの家に向かうのだった。
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