第九十四話「鐘楼の見張りと眠れる獣」
教会の扉をくぐった瞬間、むっとした熱気が肌を包んだ。
中は人でぎゅうぎゅう詰めだった。焚き出しの匂いと、微かに混じる不安の空気。村人たちは各自持ち寄った鍋や壺で湯を沸かし、簡素な料理を作っていたが、その顔には一様に笑顔がなかった。
そこはまるで、葬式の会場のようだった。
女や子供が多いのが目に見えてわかる。男たちは……。
「なんで、俺たちも避難しなきゃなんねえんだ!」
「俺たちだって戦えるぞ!」
「魔獣がなんだってんだ!」
「村を守るのは、俺たちの役目だ!」
教会の片隅で、血の気の多い若い男たちが、村長に食ってかかっていた。手には農具や古びた剣や斧。見た目は物騒だが、実戦で役に立つかと言われれば心許ない。
「そうは言うがお前たち、自警団だって、冒険者だってやられたんだ。お前たちじゃ相手にならんよ」
村長が懸命になだめるも、若者たちは耳を貸さない。おまけに、声はますます大きくなるばかり。
そこに、軽い足音が響いた。
「へー? そんなに自信があるんだ!」
場の空気を割るような明るい声。振り返ると、そこにはクェルがいた。あいかわらず笑顔全開だが、俺はその裏に隠された何かを察して身構える。
小柄な彼女の姿を見た若者たちは、すぐさま表情を変えた。侮蔑と、見下しと――ちょっとした哀れみ。
「なんだよ、冒険者さん」
「あんたみたいな小さい女に頼らなくたって、魔獣くらい倒せるんだ」
「そうだ、魔獣だって狩ったことくらいある!」
口々にそんなことを言い出す。
やばいな……と、俺は思う。クェルの性格を考えれば、これ、ろくなことにならない。
「へー! へー! へー! それはすごいね! じゃあみんな、小さい女の私に勝てるんだ?」
にっこり笑ったその顔には、見事なまでに黒いオーラが乗っていた……気がした。
若者たちは、まんまとその挑発に乗ってしまった。
「勝てるに決まってるだろ!」
一番体格のいい青年が言い放った。それに他の連中も続く。
クェルは両手を腰に当てたまま、さらに挑発を重ねた。
「じゃあさ、君たちみんなでかかってきなよ! その手に持ってるモノを使ってもいいよ! 私は素手だけどね!」
手をぶらぶらを見せつけるように揺らすクェル。
いきり立つ青年たち。
「なんだと!?」
「ばかにしてるのか!?」
「お前なんかに負けねえよ!」
どれもこれもテンプレみたいなセリフだが、言った本人たちは本気らしい。
――結果。
「なーんだ。全然弱っちいじゃん」
次の瞬間、教会の床には、若者たちが山となって積み重なっていた。全員白目。全員ダウン。
それはもう、美しいくらいに「山」だった。
……既視感がある。
俺がそう思っていると、リラが念話で軽くつぶやいた。
『昨日の、ギルド前と一緒だねー』
「ああ、確かに……」
あれもこれも、やっぱりクェルの仕業。昨日は冒険者たちが、今日は村の若者たちが、彼女の手で「無力化」された。
彼女は軽い掛け声――「よっ!」「はっ!」と、まるで遊んでいるかのような調子で、男たちを一撃で沈めていった。
圧倒的だ。あれはもう、力の差がどうとかの話じゃない。
「村長、この子たちもちゃんと避難所に入れといてね!」
クェルが白目をむいた若者たちを親指で指しながら、にこやかに言った。村長は慌てて男たちに指示し、運ばれていく若者たちを見送る。
そして、クェルの視線が俺に向けられた。
「準備はいい?」
さっきまでとは違う、少しだけ真剣な眼差し。でも、笑顔はそのまま。
俺も応える。
「もちろん」
村を襲う魔獣。その脅威が、もうすぐここにやってくる。
けれど、不思議と怖くなかった。
クェルと、リラと、俺がいる。何とかなる――いや、何とかしてみせる。
そう、心から思えた。
「――といっても、俺が直接戦うわけでもないんだよな……」
『まあまあー』
リラの気の抜けたような声が脳内に響く。俺は今、デンズ村で一番高い建物――教会の屋根の上に座り、あたりを見下ろしていた。
時間は経ち日が傾いて、空は藍色に染まり始めている。そろそろ夜だ。空には三つの月が浮かんでいて、幻想的というよりは、もう見慣れてしまった異世界の風景だ。
今のところ、何も起きていない。静かすぎるくらいだ。
そして、クェルはというと。
「クフー……クフー……」
教会の塔、鐘の下で寝ている。規則正しい寝息を立てながら、ぐっすりと。
いや、わかる。わかるよ。これからクェルが主戦力として、並の冒険者じゃ太刀打ちできないような魔獣を相手にするんだ。体力を温存したいのも当然だ。
「わかるんだけど、なあ……」
無防備に寝ているクェルを見て、ちょっと心配になる。本当に魔獣が来たら、ちゃんと起きられるんだろうか。
空を見上げると、三つの月がじっと俺たちを見下ろしているように感じた。これにも慣れたってのが、なんだかおかしい。
「俺だって、寝たいんだけどな……」
『人間は寝ないと大変だものねー』
「うん。最悪、死んじゃう」
『ええー!? 死んじゃうの!?』
「うん。まじで」
『ケイスケー! 死なないでー!』
ちょっとリラ、焦りすぎだ。
「まあ、一晩や二晩寝ないくらいじゃ死なないけど。ストレス溜め続けたらマジで死ぬからなあ……」
『じゃあ、ケイスケは死なないの?』
「うん。今のところは。この魔獣退治が終われば、ぐっすり寝れると思うよ」
ああ、ベッドが恋しい。マジで。
『じゃあ、早く魔獣に来てもらわないとだねー!』
「それな……」
もうリラへの返答もだんだん雑になってる気がする。眠気がピークに近い。まぶたが重い。
『私、ケイスケが早く寝れるよう頑張るねー! むむむむむ……!』
「おう、頼んだー……」
適当に返事して、またあたりを見回す。太陽はもう完全に西の森の向こうに沈んでいた。辺りが急激に暗くなっていく。
ふと、スマホを手に取る。時刻は午後七時ちょうど。そろそろ……と思った瞬間、画面に通知が出ていた。
「……あれ? 通知がある? 通知って……通知!?」
一気に目が覚める。スマホの通知って、アップデートじゃ――。
『あっ! 来た来た、来たよー!』
「はあ!?」
なんとも間の悪いタイミングで、魔獣が現れたようだ。
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