第八十七話「カント村の魔獣マルモグラ」
カント村は、これまでに立ち寄った村々の中でも、随分と整っていた。木材と煉瓦を使った建物がきちんと並び、道もある程度舗装されていて、村というよりは小さな町に近い印象を受ける。
「へぇ、ここはミネラ村よりもずっと栄えてるな」
そう思わず口に出した俺に、リラが影の中からひょっこりと念話を送ってきた。
『そうだねー。でも、光るほどじゃないなー。私がねー』
よくわからん基準だな。返答に困るぞ。と内心で突っ込みながら、俺はカント村の外れにある畑を見渡した。
人参、蕪、大根……主に根菜類を栽培しているという畑が、見るも無惨な状態になっていた。そこら中が盛り上がり、巨大なモグラ塚のようなものが点在している。
いや、モグラ塚というにはスケールが違いすぎる。普通のそれが拳くらいだとすれば、ここにあるのはマンホールサイズだ。
「……これが魔獣の仕業か」
案内してくれた村人は、その状況を確認させると、「多分、マルモグラの魔獣だと思うんだけどね。こんなにされちゃってほんと困ってるんだ。じゃあ、頼んだよ」とだけ言い残し、颯爽と去っていった。
無責任ってレベルじゃない。
俺が溜め息を吐いていると、後ろでダッジたち三人が畑を見回していた。
「広い……」と俺が思わず呟くと、すぐに「だな」とダッジが軽く応じてくる。
「まあでもやるしかねえ。どうする? 早速使うか?」とバンゴ。
彼の背中には、なにやら金属の箱のようなものが括りつけられていた。聞けば、モグラ退治用の“魔獣寄せ”魔道具らしい。魔力の匂いを撒き、魔獣を誘い出す仕組みだという。
魔獣は基本的に人間を襲うが、人間自体を襲うのではなく、畑や家畜、建築物などを主に狙うものもいる。今回のマルモグラはまさに後者。
そういった魔獣退治には、魔獣寄せの魔道具を使うのだそうだ。
「そうだなー。でも、広いしなー」
両手を頭の後ろんで組んで、やる気のない声を上げるダッジ。
あー、なんか嫌な予感がするな……と思った矢先、ダッジの視線が俺に向けられた。にやっと、悪戯を思いついた子供のような笑みだった。
「お前、体力あるよな?」
その瞬間、俺の嫌な予感は確信に変わった。
ダッジが提示してきた作戦は、つまりこうだ。
――魔獣寄せの魔道具を背負って、お前が畑の中を走り回れ、と。
馬鹿じゃねえのか、と心の中で何度もツッコミを入れたが、ダッジの言葉が少し引っかかった。
「肉体強化魔法は、使えば使うほどに伸びるぞー。馴染むぞー。ついでに周囲把握の方法も教えてやるぞー」
周囲把握……それは俺にとって、新しい可能性だった。
「……わかった。やってやるよ」
こうして俺は、重たい魔道具を背負って、広大な畑を走り回る羽目になった。
走りながら、ダッジの言っていた「周囲把握」の感覚を試す。肉体強化の応用らしい。自分の体の周囲に魔力を少しだけ漏らして、その反応で外界を知覚するのだ。
「言葉にすれば簡単そうだけど、実際にやるとなると……」
意識を集中しながら、小走りででこぼこの土の中を踏みしめていく。
『がんばれー。リラはここにいるよー』
「助かる。魔獣が出たら教えてくれ」
『はーい』
魔獣の気配は、いまのところなし。どうやら地上には出てきていないようだ。
あたりは広い。広さでいえば、陸上競技場2~3個分。しかも足場は悪く、あちこちに盛り上がった土がある。だが、走っているうちに、肉体強化の効果もあって少しずつ慣れてきた。
「……なるほど。魔力を皮膚の外に薄く張るような感覚か」
最初は難しかったが、次第に周囲の空気の流れや地面の感触を、自分の体の延長として感じ取れるようになってきた。
今はせいぜい拳一個分の範囲だが、訓練すればもっと広がりそうだ。
「これ、かなり有用だぞ……」
やって損はない。縦横無尽に畑を走り回る自分はまるでロボット掃除機みたいだと笑いながら、俺は走り続けた。
気がつけば、太陽は西に傾いていた。時間の経過とともに、俺の体も熱を帯びてきている。
「……だが、悪くないな。得るものは多い」
はじめは不満だったけれど、いまはむしろ集中できて楽しい。
ふと、影の中のリラに問いかける。
「……リラ、魔獣の気配は?」
『うーん、地面の上にはいないよー。中に潜ってるなら、私じゃちょっと広すぎて探しきれないかもー』
「やっぱりな。モグラだし、夜行性なのかもしれないな」
とりあえず、今は地道に走って誘い出すしかない。そう思って一度、畑の外に視線を向けた俺は、信じられない光景を目にした。
「……寝てやがる」
バンゴ、ズート、そしてダッジ。三人は揃って地べたに寝転がり、空を見ながら談笑していた。
「……まじか」
俺は走って、走って、魔力使って、感覚鍛えて……こっちは真面目にやってるってのに、あいつらは――。
「……まあ、いなくなってるよりは、マシか」
自分を納得させるためにそう呟いたけれど、内心ではやっぱり釈然としない。
「ちょっと今後の付き合い方を考えるレベルだな……」
『そうだねー。あいつら、ケイスケのこと見て笑ってたもん。いい気分じゃないよー』
リラの声が脳内に響く。軽い口調なのに、妙に引っかかるその言葉に、俺は眉をひそめた。
「マジか……。この依頼が終わったら、ちょっと距離置こうかな」
『それがいいよー。ダッジってやつ、やたら馴れ馴れしいしー』
「うん、まあ……そう考えると、帰り道でどう接しようか悩む……」
『疲れてるって、話さなきゃいいんじゃないの?』
「確かに。それでいこう」
三人は完全に寝てしまったようで、声も聞こえなくなっていたそんなとき、俺はそんな結論に達していた。
俺は自分が騙されていたのかどうか、今はまだ判断がつかない。少なくとも、周囲把握の技法は確かに教わることができたのだから。
それにしても――。
「さすがに少し暗くなってきたな」
ぼんやりと呟く。太陽の残滓がかすかに地平線を染めているが、視界はかなり心もとない。今日一日で何周この畑を走っただろう。自分でも驚くほど、肉体強化魔法のおかげで体力はまだ残っている。でも、精神のほうがそろそろ限界だ。
「あと一週したら、終わりにするかな……」
そんなことを考えながら、俺は再び畑の外周を走り出し、ちょうど折り返し地点に差しかかった頃だった。
『ケイスケ、後ろ! 動いてるよー!』
リラの叫ぶような念話に、反射的に振り返る。
「え、マジで!?」
俺は暗がりに目を凝らした。最初は何も見えなかったが、少しして後方十メートルほどの場所で、土がもぞもぞと動いているのが見えた。
モグラ塚だ。ゆっくりと膨らみ、そして何かがそこから出てこようとしている。
「出た!」
俺は腰の短剣を抜き、全力で駆け出す。肉体強化魔法で強化した脚力なら、十メートルなど一瞬だ。音もなく距離を詰める。
土から顔を出しかけたでかいモグラ――いや、マルモグラと呼ばれる魔獣は、まるで緊張感なく両手を突き出していた。
「コラー! そこから動くなよっ!」
怒鳴り声が自分でも驚くほど大きく響いた。怒りの矛先はモグラか、それとも、やる気のないあの三人か。どちらにせよ、今は全力だった。
その声に、モグラはビクリと動きを止めた。
今だ!
「短剣キック! おらあああああ!」
俺はそのままモグラ塚に跳び蹴りを食らわせた。
「キュウッ!?」
マルモグラの悲鳴が空に消える。舞い上がる土煙とともに、そのずんぐりとした身体は空高く舞い、十メートルほど跳ね上がったかと思えば、重力に引かれて地面に「べしゃっ」と落ちた。
「よしっ!」
『やったねー!』
リラが褒めてくる。俺は慎重に近づいて、その死骸を確認した。中型犬ほどの丸々とした体。すでに息絶えており、ぴくりとも動かなかった。
マルモグラを担ぎ、三人のいる場所へ戻ると、目を覚ましていたダッジが目を丸くして立ち上がった。
「お! まじか! もう倒したのか?」
「すげえじゃねえか! お手柄だな!」
「……やるな」
三人は俺を称えるように口々に褒めてくる。けれど、不思議なほど、その言葉が俺の胸には響かなかった。
「……これで依頼達成ですよね? じゃあ村の人に言ってから、帰りましょうか」
我ながら冷たい声だったと思う。けれど、それが今の本心だった。
「え? いや、お前、もうこんな時間だぞ? もう暗いし、今日は村に泊まればいいじゃねえか」
ダッジが慌てたように言う。
俺は淡々と返す。
「いえ、今から走って帰れば、日が変わる前に領都に着きます。大丈夫、肉体強化魔法使えば、疲れなんてありません。それに、皆さん今日はいっぱい休憩してましたもんね?」
「う……、いや、そりゃあ、なあ……」
ダッジが言葉に詰まる。「お、おう。魔獣が出てきたらすぐ参戦するつもりだったぜ?」とバンゴも気まずい表情だった。
ズートは何も言わない。ただ視線をそらした。
あからさまに、彼らは俺を引き留めようとしていた。でも、もう遅い。信頼は少しずつ削がれ、今はその残り滓しかない。
『……泊まるー?』
リラの声がふと問いかけてきた。
俺はしばし考える。確かに、今このまま突っぱねて帰ったところで、何かが好転するわけでもない。もう、十分に言いたいことは伝えたつもりだった。
「……わかりました。じゃあ、村で一泊してから帰ります。ただし、もう二度と今日みたいなことはしないって、皆さん約束してもらえますか?」
その言葉に、三人は同時に顔を上げ、そしてうなずいた。
「……ああ、悪かったよ。ちょっと調子に乗りすぎたな」
「まあ、そうだな。お前が頼りになりすぎて、甘えちまったかもな」
ズートは……やっぱり何も言わなかったが、肩をポンと叩いてきた。
一応、謝れるのな。
これで逆切れとかしてきたら本気で縁を切るところだったけど。
その夜、俺たちは村の小さな宿に泊まった。灯りの届かない夜の静けさの中で、俺は少しだけ目を閉じる。
でもやっぱり、もう少しまともな依頼仲間を探そう、そう思いながら。
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