第八十六話「こいつ、息が切れないんだが?」
ギルドの掲示板から離れようとしたとき、不意に背後から聞き慣れた声が飛び込んできた。
「よぉ、ケイスケ! また一緒に依頼、どうだ?」
振り返ると、そこには少し軽薄そうな笑みを浮かべた小人族の青年――ダッジが手を振っていた。肩にかけた荷袋が小さな体に不釣り合いなくらい重たそうだが、本人はまったく気にしていない様子だ。その背後には、見上げるほどの巨漢であるバンゴと、長髪で無口なズートの姿もあった。この間一緒に依頼をこなした三人組。少し癖はあるが、悪い印象は別になかった。
「依頼? 内容はなんです?」
「今回は、泊まりでモグラ退治だ!」
ダッジが声を弾ませながら地図を取り出す。広げられた羊皮紙の上に指を滑らせていくと、小さな村の名前が目に留まった。
「モグラ……退治?」
「そうそう。東のカント村にな、でっけえ魔獣のモグラが現れたって話だ。畑が穴だらけで、作物が全滅しかけてんだと。村人が困ってるらしい」
地図を眺めれば、確かにギルドから半日ほどの距離だ。往復するには宿泊が必要だろう。簡単な討伐とはいえ、準備を怠るわけにもいかない。
「まあ心配すんなよ。モグラの魔獣退治なんて、大したことねえからよ。な?」
ダッジが胸を張ってみせる。すると、バンゴが無言で頷き、ズートは目を細めただけだったが、三人ともどこか余裕のある表情を浮かべている。
俺は少し迷ったが、すぐにうなずいた。
「わかりました。ご一緒させてもらいます」
せっかくのお誘いだし、断る理由もなかった。彼らとは一度一緒に行動しているし、少なくとも信頼はできる相手だ。なにより、俺自身にも経験が必要だった。どんな依頼でも、現場に出て学ぶことは多い。
翌朝、俺たちはまだ日が昇りきる前にギルド前で集合し、カント村へと向かった。村までの道は舗装されておらず、緩やかな起伏の続く草地と、小道を縫うようなルートだった。馬車を借りるほどの距離でもなく、俺たちは徒歩で進むことになった。
「皆、小走りで行くぞ。疲れたら休憩だ。……おい、ケイスケ。肉体強化魔法、使ったことあるか?」
先頭を進みながら、ダッジが振り返って尋ねてくる。
「ええと、一応あります」
「なら使え。あれ使うと、疲れにくくて身体が軽くなる。魔力が続く限りな」
「なるほど。やってみます」
俺は立ち止まり、意識を集中させて肉体強化の魔法を発動した。魔力が体内を巡る感覚があり、脚がぐっと軽くなる。まるで重りが外れたかのような錯覚だ。
「おお、たしかにこれは……軽い!」
『へー、肉体強化の使い方も上手くなってきたねー』
影から、リラの念話がふわりと届く。少し得意げになっている俺を見透かすように、彼女はすぐに釘を刺してきた。
『だからって調子に乗って魔力枯渇だけは気をつけなよー? 意識してないと、いつの間にか魔力切れになるからねー』
まだその魔力切れになったことがないんだよな。と、俺は苦笑しつつも、助言を心に留める。
それからしばらく、俺たちは小走りで草原を駆けた。通常ならば息が切れてもおかしくない距離だが、肉体強化の効果か、体はまだ軽く、汗もほとんどかいていない。
ふと、ダッジたちに目をやると――その様子が少しおかしかった。
ダッジの額には玉のような汗が浮かび、呼吸も乱れている。バンゴは無言で歯を食いしばりながら走っており、ズートも苦しげに肩を上下させていた。
「……そろそろ、休憩、するぞ……」
ダッジが言い終えるか終えないかのうちに、バンゴとズートがほとんど同時に草の上に腰を下ろした。
「……やっとかよ」
バンゴが呻くように言い、ズートは無言のまま天を仰いだ。
俺も隣に腰を下ろし、深呼吸をひとつ。吹き抜ける風が心地よい。思わず口元が緩む。
「いやー、教えてもらったおかげで、すごい楽でした! ありがとうございます」
素直な気持ちを言葉にしたのだが――三人の視線が一斉に俺へと向き、そのまま数秒の沈黙が流れた。気まずさを感じるほどの間。やがて、そっと目を逸らされる。
『うわー、なんか気まずい空気になってるー』
リラの声が、半ば楽しげに脳内へ響いた。いや、俺としては礼を言ったつもりなんだけど……。
「……お前、魔力、多いのな……」
ダッジがぽつりと呟く。
「え、そうかな?」
「肉体強化を長時間続けて、全然息が乱れてねぇ……普通じゃねぇぞ。お前、魔法も使えるのか?」
「ええ、まあ」
「……そんなん、聞いてねえぞ……」
「……だから、か」
バンゴとズートもぼそっと呟く。
「別に隠してたわけじゃないですけど……」
俺が魔法を使えることが、それほど珍しいことなのか? 以前、モンドから聞いた話が脳裏をよぎる。
この世界では、魔法適性のある子供は非常に貴重とされている。適性が判明した時点で魔法の教育が始められたり、貴族の養子となったりして、一般社会とは隔絶された教育を受けることが多い。そうした子供が、冒険者などという危険な生き方を選ぶのは、かなり珍しいことなのだ。
「……どんな魔法が使えるんだ?」
ダッジの声が少しだけ慎重な響きを帯びていた。
「光の魔法ですよ」
「光って……マジかよ」
思わず目を見開くダッジ。驚きが隠しきれていない。
「すげえな。将来の司祭候補じゃねえか」
バンゴが感心したように頷く。
「とりあえず安定して使えるのは、光球と、防壁と、治癒くらいですかね」
「三つも使えるのか? やばいな、お前。なんで冒険者なんてやってんだよ。神学校行くか、どっかの家に仕えるかすりゃ、余裕で生きてけるだろ」
「まあ、いろいろあるんですよ」
軽く肩をすくめて誤魔化す。まさかさすがに異世界から転移してきて、若返りましたなんて話をしても信じてもらえる気がしない。
『あははは! ほんとのことは言えないよねー』
リラのからかうような念話に、つい苦笑が漏れた。
俺たちは再び歩き出した。空は高く澄み、道の脇には小さな花が揺れている。ときおり風に乗って、草の匂いが鼻をくすぐった。
あれこれ話しながら歩いていくうちに、遠くに屋根の並ぶ景色が見えてきた。カント村が、ついに視界に入ったのだ。
のどかな農村。けれど、その地下には魔獣が潜んでいるという。どんな相手が待っているのかは分からない。しかし、不思議と怖さはなかった。
――大丈夫。今の俺なら、きっと対応できる。
そう思えるほどに、自分自身が変わってきたことを、俺は静かに実感していた。
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