第八十五話「実験」
草原を渡る風が心地いい。
程よい疲労感を感じながら、草を分けながら依頼達成の帰り道を歩く。
すると、不意に気配を感じた。
「……ん?」
草むらがざわめき、小さな影が飛び出してきたのだ。
前に遭遇したあれだ。穴ウサギの魔獣。
前回は奇襲気味だったが、今回は違う。
俺は即座に肉体強化魔法を展開し、両足に力を込めた。
「よっと!」
跳びかかってきたウサギを、すばやく横にステップしてかわす。
間髪入れず、拳に力を込め、カウンターで頭を小突く。
ぽすん、と鈍い感触が手に伝わり、穴ウサギは草の上に転がった。
「……ふう、今回は楽勝だったな」
一度戦った相手には慣れる。これが経験というものだろう。
しっかり成長できている感じがする。
ふと、倒れ伏した穴ウサギを見て思いつく。
「……そうだな。練習台には、最適かもしれないな」
俺はつぶやくと、穴ウサギに近づいた。
その小さな体は、まだかすかに震えている。生きている。
少し気が引けたが、やるしかない。
『何するのー?』
リラが俺の影の中から、何をするのかと声をかけてくる。
「俺の医学の発展のためだ。スマン」
俺は自分に言い聞かせるように答えた。
穴ウサギは何も言わない。ただ弱々しく身を震わせるだけだ。
「まずはちょっと、拘束させてもらうぞ」
俺は手早く縄を取り出し、手足を軽く縛った。
動けないようにしてから、まずは鎮痛の魔法を詠唱する。
『命の精霊たちよ、わが手に集い集いて痛苦を緩和させよ……ポヒアン』
淡い光が穴ウサギを包み込む。
体の震えが、わずかに収まった。
「効いてるっぽいな。よし、次だ」
俺は短剣を取り出し、穴ウサギの足に向ける。
じっとこっちを見てくる穴ウサギに俺は躊躇うも、心を鬼にして短剣で切る。すると穴ウサギの茶色の毛が血で赤黒く滲んでいった。
鎮痛の魔法が効いているからか、僅かに身じろぎする穴ウサギ。
そして俺は深く息を吸い、試作中の生命魔法を発動する。
『命の精霊たちよ、その力を以って、裂けた肉体を修復せよ……リペア』
手のひらに宿った光を、穴ウサギの傷へとかざす。
ビクン、と穴ウサギの体が跳ねた。
「おお……効いてる効いてる」
『おおー』
傷口からジュクジュクと肉が盛り上がり、塞がっていく。
見た目は少しグロテスクだったが、出血も止まったようだ。
俺は手を止め、穴ウサギの様子を観察した。
ピスピスと鼻を鳴らしながら、穴ウサギがこちらを見上げている。
「切り傷は治ったな……。ついでに実験だ」
『次は、なにやるのー』
「次は、完全な思いつき。大雑把に魔法を使ってみる」
『えー?』
そして俺は唱える。
『命の精霊たちよ、その力を以て、このものの肉体を完璧に修復せよ……フル・リカバリー』
すると、今までとは違う、強い光が俺の手から放たれた。
「おおぉ!?」
ついでに、はっきりとわかる、魔力の流れ。今まで使ってきた魔法とは、明らかに違うものだった。
光るというより、輝くといった表現の光に包まれる穴ウサギ。
それは時間にして数秒のことだった。
「……えっと、どうなったんだ……?」
『……どうだろー?』
目の前には変わらぬ姿の穴ウサギの魔獣の姿が。
「魔法は発動していたし、体は治ってるはずだけど」
相変わらず身じろぎしない穴ウサギは縛られたままだ。
俺は「動くなよー。自由になっても、襲ってくるなよー」と声をかけながら縄を解いた。
すると解き放たれた穴ウサギは、一目散に草むらへと駆け込んでいった。
あっという間に姿が見えなくなる。
少し穴ウサギが逃げ去った方向を見て警戒していたが、その心配はなさそうだった。
「なんで魔獣って、人を襲ってくるんだ?」
俺はリラに尋ねた。
『うーん、よくわかんないよー』
リラはのんびりした調子で答える。
意外だった。精霊なら何でも知っていると思っていたが、そうでもないらしい。
ふと、惑いの森で出会ったドラゴンのことを思い出した。
あの時、俺もゴンタも襲われなかった。
「魔獣でも、ドラゴンは別なのか?」
『ドラゴンは、魔獣じゃないよー?』
「えっ」
目を見開く俺。
ドラゴンは魔獣と同じカテゴリじゃない? 魔獣の頂点がドラゴンだと思ってたが、違うのか?
確かに、ドラゴンは人間以上に知恵もあるらしいし、圧倒的な力もある。
「まあ、確かにドラゴンって、特別だもんな……」
自分で呟いた言葉に、妙に納得してしまった。
魔獣とは違う存在。
だからこそ、俺たちは襲われなかったのかもしれない。
「それにしても、魔獣がなんで人間を襲うのか……」
俺は草むらを見ながらつぶやいた。
今度、誰か詳しい人に聞いてみよう。
たとえば、ギルドのハンスさんとか。
考えながら、俺は歩き出した。
「さて、帰るか。ギルドに依頼達成の報告もしないとな」
『はーい』
リラが明るい声で返事をする。
西の空は、夕焼け色に染まりつつあった。
その時だった。
がさり、と背後で草が揺れる音がした。
振り向けば、さっき逃がした穴ウサギが、またこちらを見ていた。
「……襲って、こないな」
俺は警戒しながらも立ち止まる。
『だねー?』
リラも不思議そうに言った。
穴ウサギは、ただじっとこちらを見ているだけだった。
敵意もなければ、怯えもない。
俺は小さく笑って、手を振った。
「じゃあな」
そう言って背を向ける。
穴ウサギはついてくることなく、そこにじっと立っていた。
そのまま俺は、草原を後にした。
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