第八十二話「光の精霊、その扱い」
成長促進と抑制作用のある魔法を俺が成功させ、部屋の中は静まり返った。
「……え、と? 発動しました、けど?」
沈黙が続く。なにかやらかしてしまったのかと、俺の方が不安になる。
ようやく、その沈黙を破ったのはマデレイネ様だった。
「ケイスケ君、貴方は……何者ですか?」
口調は穏やかなままだった。けれど、その目には探るような光が宿っていた。
ああ、これは適当な誤魔化しでは逃げられないな、とすぐに察した。
「何者……ですか? それは自分が一番気になっているところでして……」
俺はふっと息をついて、ぽつりと打ち明ける。
「実は俺、記憶喪失なんです」
ティマの目がさらに大きく開かれる。何も言わないが、その驚きは隠しようもない。
一方で、マデレイネ様は表情を変え、今度は小さく首を傾げた。
「記憶喪失、ですか?」
「はい。昔の記憶がなくて。自分がどこで生まれて、どんなふうに育ったのか――そういったことがまるで思い出せないんです。ここ最近の記憶はちゃんとあるんですけどね」
この世界に来た理由も、若返った理由も、本当の意味ではわからない。
地球の記憶も、断片的にしか思い出せない。まるで霧がかかっているように。
「……そういえば、そんな記憶喪失を治す魔法ってあるんでしょうか?」
ふと気になって、尋ねてみる。
期待半分、諦め半分だったが――。
「記憶に関する魔法、ですか。そうですね……浅学の身ではございますが、私の知識では存じ上げません」
マデレイネ様は申し訳なさそうに言った。
「ですが、王都の神学校にいらっしゃる“教老”の方々であれば、何かご存知かもしれません」
「教老……?」
「はい。神学校の中でも特に高名な研修者で、光魔法や生命魔法において最も深い造詣を持つ方々です」
教老……か。もし会うことができれば、俺の記憶の霧も少しは晴れるかもしれない。
知りたい。自分が誰なのか。なぜこの世界に来たのか。何を為すべきなのか――。
神学校に行く理由が、またひとつ、増えた。
「でもケイスケ君、貴方はもしかしたら、高位の神職者の子供だったのかもしれませんね」
マデレイネ様のその言葉に、俺は思わず口を半開きにして固まった。
「え……」
いやいや、それはない。心の中で即座に否定する。
だって俺は、日本のどこにでもいるような、ごく普通の男子だった。宗教的な背景なんて全くない。正月に神社に初詣に行き、クリスマスにはケーキを食べていた、それだけの無宗教な家庭で育った。神職者の血筋なんて、どこにも見当たらない。
さすがにこの記憶は間違いないはずだ。現に俺はこの世界のことは何も知らない状態だった。
けれど、そんな俺の心の声が聞こえるはずもなく、マデレイネ様はゆっくりと微笑んだまま、話を続けた。
「だって、あんなにも滑らかに生命魔法の詠唱を唱えることができるなんて、さぞかし修練を積んだのだと思います。貴方がご自身の過去に何があったのか知りたいと願うのは、とても自然なことですし、その思いは正しいと思います。……私も同じ思いです。そして是非ともその一助になりたいと思っています。私にできることがあれば、遠慮なく私や教会を頼ってくださいね」
その声は、どこまでも温かくて、柔らかくて……まるで陽だまりのようだった。
言葉の一つひとつが、心の奥まで染み込んでくるような感覚。俺がこの世界で何者かになっていく、その手助けをしてくれると本気で思ってくれているのがわかる。
「ありがとうございます」
自然と感謝の言葉が口からこぼれた。
「本当に、頼ってくださいね?」
慈愛に満ちたその瞳に見つめられ、少し緊張しながらも俺は頷く。
「あ、はい」
じゃあ……この流れなら、今のうちに聞いてしまおうか。
俺は一度、小さく咳払いをしてから口を開いた。
「あの、早速なんですけど、ひとつ聞きたいことと、提案? があるんですが」
「まあまあ、是非聞かせてもらいたいです。何でも聞いてくださいね」
マデレイネ様は頬に手を添え、期待に満ちた表情でうなずいた。ほんと、この人、どこまで懐が深いんだ。
「じゃあ、まず聞きたいこと、なんですが……光の精霊って、アポロ神教ではどんな存在ですか?」
「光の精霊ですか? それは勿論、とても尊い存在ですよ」
言葉を選びながら、ゆっくりとマデレイネ様は答える。
「珍しい存在ですか? 契約したりしている例はあったりします?」
「ええ。珍しいといえば珍しい存在ですね。そうですね……光の精霊と契約していた方は、確かにいらっしゃいました」
よし、大丈夫か。
じゃあ、いけるな。
「……リラ、いいかな?」
小声で呼びかけると、俺の耳元にそっと声が返ってくる。
『いいよー!』
その軽い返事とともに、空気がわずかにきらめいた。光が凝縮されるように、ひとつの姿が生まれる。
それは、人の形をした光の精霊――リラ。
以前、ロビンに見せたときに取り決めた通り、人前では『ピカピカモード』で出てもらうことにしている。だから、普段とは違ってリラは無理して光を増している。
「……まさか、本当に?」
マデレイネ様の声が震えた。
その目はリラを凝視し、まるで幻でも見ているかのように動かない。
「……精霊、様?」
ティマも小さな声でそう呟く。彼女の反応は純粋な驚き。けれど、マデレイネ様のそれは、何かを思い出すような、畏れにも似た表情を浮かべていた。
「……ケイスケ君、貴方は……こちらの光の精霊と、契約を?」
「はい。リラといいます」
俺は素直に答えた。途端に、マデレイネ様の目が大きく見開かれる。
「……なんということなの……」
その呟きには、敬意とも、畏れともつかない、複雑な感情が込められていた。
しかしその反応に、疑問が浮かぶ。
……あれ? 契約している人は、いるって話じゃなかったっけ?
「……あれ? 契約している人は、いるんじゃないんですか?」
「……ええ、はい。確かにいましたよ」
マデレイネ様は静かにうなずいた。
「……いま、した? ということは?」
「現在、光の精霊と契約している神職者は、いません」
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「まじですか……」
「ええ、まじです」
神妙に頷くマデレイネ様。何とも言えない空気が、その場を包む。
「リラ」
『なにー?』
「やってしまったかもしれん」
『んー?』
光の人型が、小さく首を傾げた。
「ちなみにその過去、契約していた人って、どんな人だったんですか?」
「……そうですね、過去に光の精霊と契約していたとされる神職者は、記録に残っているだけでも十七人です」
「十七人……」
意外と、いるっちゃいるのか?
「その御名を全て挙げさせていただいてもいいのですが……そうですね。最後に契約していたのは、聖人パスカシリス・ビスレンド様。ビサワの大氾濫において、その身を賭して人々を救った方です。御身の傍には、いつも光の精霊が輝いていたと言われています」
「……ビサワの大氾濫……」
『ほほー』
リラがどこか楽しげに声を漏らす。
……待て。なんだか、すごい人っぽいぞ。
「いずれにしろ、光の精霊と契約していた方々は皆、歴史に名を刻んでいますね」
そう微笑んだマデレイネ様は、すっかり落ち着きを取り戻していた。あの混乱ぶりから一転して、今は聖職者らしい慈愛のこもった表情で俺を見つめている。
「……マジですか?」
思わず口に出してしまった軽率な言葉に、マデレイネ様はふふっと笑った。
「はい、マジですよ」
堂々と返されたその言葉に、俺は肩をすくめた。
「だから、ケイスケ君も、いずれそうなるかと、私は思っています」
「いやいやいや、そんなまさか」
「なりますよ」
「ははははは、マデレイネ様も冗談がうまいですね」
「うふふふ、私は本気ですよ?」
柔らかく微笑むその表情が、冗談のようで本気なのだから困る。これ以上この話を続けていても埒が明かない。俺は無理やり話題を戻すことにした。
「まあ、それはそれとして、提案のほうなんですけど」
「ええ、質問はこちらの光の精霊についてということですよね? 先ほど申し上げた通り、光の精霊――光に限らずですね。何の精霊でもそうですが、契約者はいずれも歴史に名を刻むほどの方々ですよ」
「……それはわかりました」
「ふふふ、それで、提案とはなんでしょうか?」
マデレイネ様の柔らかな笑みに促され、俺は隣にいる少女――ティマをちらりと見た。
さっきから黙ったままのティマ。もともと口数の多い子ではないが、それにしても会話に入りづらそうにしているのがわかる。
俺の視線を受けて、ティマが小さく首をかしげる。
「……私?」
「ティマのことですか?」
マデレイネ様が問い返してくるのと同時に、俺は頷いた。
「はい。実は、ティマにも光の精霊がついているみたいなんです。多分、普通に契約できると思いますよ」
「……はい?」
俺の言葉に、マデレイネ様とティマは揃って目を丸くするのだった。
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