第七十六話「糞袋と司教様」
朝の光が石畳に差し込み、まだ涼しさの残る空気の中を俺は歩いていた。向かう先は、冒険者ギルド。昨日受けた「中央通りの清掃」依頼の集合場所だ。
ギルドの掲示板には、俺が選んだような体力系の仕事がいくつも並んでいる。掃除、害虫駆除、土木に誘導警備……。ファンタジー世界に来てまで、こういう現実的な作業があるって、ちょっと新鮮だ。
ギルドに顔を出すと、すでに他の依頼参加者たちが集まっていた。五十代くらいの厳ついおじさんと、十二、三歳に見える少年少女が五人。
見た目からして、俺と同じ「子供」に分類されるメンバーだ。
「おう、お前が昨日の新入りか。俺はビル。今回の清掃作業のまとめ役だ」
そう名乗った中年の男は、銅級のプレートを胸に付けている。どうやらこの班のリーダーらしい。
ビルに案内されて向かったのは、街の中心を走る広い石畳の通り。朝からすでに人と馬車でにぎわっていて、掃除なんて本当にできるのかと不安になるほどだった。
「この通りの掃除な。道具は各自持ってきたブラシと袋。ここからあの角までが作業範囲だ。糞を入れる袋は別にしろよ。トラブルは起こすな。分からないことは俺に聞け」
そう言い残して、ビルは俺たちを放り出した。
各々が急いで道具に手を伸ばす中、俺は様子を見てから残った道具を手に取った。それは――糞専用の袋と、やたらと年季の入ったブラシ。
「クソ係、よろしくー」
ニヤニヤと笑いながら声をかけてきたのは、いかにも生意気そうな少年だった。
「ちょっと、かわいそうよ」
とその隣の少女がたしなめたが、口調に同情はあっても、俺を下に見てる感じは隠せてなかった。
俺は軽くため息をついて、糞袋とブラシを手に取り、無言で作業を始めることにした。
最初はどこから手を付けていいのかわからなかったが、慣れてくると意外と楽しい。人や馬車を避けながら、馬の落とし物を発見しては拾い上げていく。その繰り返しが、ちょっとしたゲームみたいだった。
「考えてみれば、馬車って生きた馬が引いてるんだから当然か。リームさんたちとの旅のときは、糞はそのままだったけど……街中じゃそうはいかないよな」
『ケイスケ、あっちにもあるよー』
「おっ、了解!」
リラが周囲に目を光らせているので、探すのは二人がかり。
午前中だけで、五袋目がいっぱいになった頃、正午の鐘が鳴った。ビルが声をかけてくる。
「そろそろ休憩にするぞ」
「はい」
水が配られ、俺は一人で座ってそれを飲んだ。周囲の少年少女たちは固まって笑いながらおしゃべりしている。最初から知り合いだったのか、俺には全く声をかけてこない。
そんな俺に、ビルが近づいてきた。
「一人でよく頑張ってたな。午前中で五袋は立派だ」
「ありがとうございます」
夢中でやってただけだが、そう言われると嬉しいものだ。ビルは少年少女たちをちらりと見てから、声を潜めるように言った。
「……午後は作業、入れ替えるからな」
どうやら、俺のために気を利かせてくれているらしい。でも、そんな必要はなかった。
「大丈夫ですよ。糞集めも慣れてきて、楽しいので」
「……無理はしていないな?」
「はい」
ビルは短くうなずき、それ以上は何も言わなかった。午後の作業が始まると、俺はさらにスピードアップして、次々と糞を回収していった。
そんな時だった。
「あれ? ケイスケ君?」
聞き覚えのある声に振り返ると、教会の助祭――ヘズンさんがそこにいた。
「ヘズンさん、おはようございます」
「……お、おはよう。って、君、何やってるの? こんなところで」
「見ての通り、清掃作業です」
「それは見れば分かるけど……冒険者なのに、どうしてまた?」
「依頼です。社会勉強ってやつですよ」
苦笑しながらそう答えると、ヘズンさんは何とも言えない顔をした。まあ、確かに、こんな姿を見れば驚くのも無理はない。
その時、背後からやわらかい声がかかった。
「ヘズン、そちらの子どもは?」
見るからに高そうな服をまとった女性が一人。長い茶色の髪、艶やかな肌、温和そうな垂れ目に長いまつげ……品のある美しい人だった。
「マデレイネ様、失礼しました。こちら、先日お話した――」
「……ああ、あの子ですか」
ヘズンさんが話し終える前に、その女性――マデレイネ様は察したように頷いた。
アポロ教会の司教だと、ヘズンさんが小声で教えてくれる。助祭よりも階級が二つも上とのこと。
――って、そんな人にまで報告されてたのか、俺。
「君がケイスケ君ね。噂は聞いているわ。光魔法の素質のある、将来有望な、特別な子だって」
「噂はちょっと盛られてるかもしれませんけど……はい、俺です」
マデレイネ様は俺をじっと見て、微笑んだ。
「……糞袋を抱えている姿は、確かに特別ね」
うん、言われてみればそうかもしれない。
「あんまり近づかない方がいいですよ」
「ふふっ、大丈夫よ。でも、それだけ誠実だってことよ。素敵なことだと思うわ」
その言葉に、なんだか少し救われた気がした。少年たちに馬鹿にされても、教会の助祭や司教に笑われても、俺はこれでいいと思えた。
清掃作業は、ただの依頼じゃない。俺にとっては、ここで生きるための一歩。
見た目が子どもで、中身が大人の自分だからこそ、地に足をつけるための「体験」が必要だった。
「それじゃあ、邪魔して悪かったね」
「今度教会に来たときは、私ともお話しましょう?」
そう言葉を残して、人の流れの中に戻るマデレイネ様とヘズンさんを見送った。
『あの人、光ってないけど、本当は光の精霊みたいな雰囲気あるねー』
リラが俺の影からひょいと念話を飛ばしてきた。
「おい、また唐突なコメントだな」
『だって、品があるじゃない。あれ、疲れない光ー』
そう言うと、リラは俺の影の中に戻っていった。
「まったく、どういう意味だよ?」
『意味はないよー! フィーリング、フィーリングー』
俺は笑って、また一つ袋を取り出す。そして、清掃作業に取り掛かった。
空は高く、街の喧騒がいつもより少しだけ、温かく感じられた。
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