第七十二話「回復魔法」
「回復魔法の施術費用は、本来なら銅貨五枚なんだけど、今回は一枚でいいよ」
お金がかかるのかと思ったが、考えてみれば当然のことだ。むしろ安いぐらいだな。
「わかりました、お願いします」
俺は素直に了承した。
「じゃあ、ティマ、やってみなさい」
「……はい」
ティマは俺の前におずおずと進み出る。しかし、なぜかいつも以上に緊張しているように見える。
「……あの、服、を」
「服?」
……コクン。
ティマは小さく頷いた。
「服を脱いで患部を見せろってこと?」
もう一度頷くティマ。
まあ、確かに青あざや打撲の場所が見えなければ治療しづらいよな。俺は納得して、上着を脱ぎ始める。
「……え?」
困惑するような小さな声が聞こえた気がするが、気にせずシャツまで脱いでいく。
「……うわー、我ながら青あざだらけで痛々しいな」
腕を上げたり、胴体をひねったりして自分の体を確認する。あちこちに青あざや打ち身の跡が残っていて、見た目にもひどい状態だ。
ふとティマの方を見ると――。
彼女は両手で目を覆っていた。
……いや、指の隙間からめちゃくちゃ覗いてるな。
「ティマ、恥ずかしがってないで、ちゃんと診なさい」
ヘズンさんが軽く叱ると、ティマはピクリと肩を震わせ、ゆっくりと両手を下ろした。
「……う。……はい」
そしてそっと手を伸ばし、俺の右腕に触れる。
「……痛い?」
「うん、まあまあ痛いよ」
「……そう」
ティマは静かに呟き、そっと目を閉じた。
『……命の精霊たちよ……わが手に集い集いてあるべき姿に……細胞を修復せよ……レパティオ』
ティマの掌が白く淡い光を帯びる。そして触れている部分がじんわりと温かくなった。
「あ、なんか温かい」
「……うん」
熱すぎるわけではないが、じわじわと染み込んでくるような感覚。そして光が収まると、ティマはそっと手を離した。
俺が見てみると――。
「おお、本当に薄くなってる!」
先ほどまでくっきりしていた青あざが、明らかに薄くなっている。完全には消えていないが、痛みも和らいだ気がする。
「……すごいな、ティマの魔法は」
俺が素直に感心すると、ティマは驚いたように目を見開いた。
「……ありがと、う」
なぜか俺にお礼を言うティマ。
「いや、お礼を言うのはこっちだよ。ありがとう」
「……うん」
ヘズンさんが腕を組みながら満足げに頷く。
「魔法は問題なく発動してたし、大丈夫だね! じゃあ、他のところもやってみようか」
「……はい!」
今度は少し自信がついたのか、ティマの返事が少しだけ力強くなっていた。
「ティマ、よろしく」
「……うん!」
ティマは再び詠唱を始める。
『……命の精霊たちよ、わが手に集い集いてあるヘキ姿に細胞を修復せよ……レパティオ』
「……あっ?」
……今、詠唱失敗したな。
案の定、魔法は発動しなかった。
「……あぅ」
それを見て、ティマが落胆の声を漏らす。
「……ティマ、落ち込んでないで次を詠唱しなさい」
「……う、はい……」
慰めるでもなく、ただ淡々と指示を飛ばすヘズンさん。一応実践の場だからなのか、なかなか厳しいらしい。
そしてもう一度詠唱を行うティマ。
次は失敗せず、俺の体がじんわりと温かくなっていく。
ティマの回復魔法によって、俺の青あざは徐々に消えていくのだった。
それから何度か行使される回復魔法。そのたびに体が驚くほど軽くなっていることに気がついた。
青あざや痛みは、まるで最初からなかったかのように消え去っている。
「すっかり良くなったようだね」
ティマの治癒魔法のおかげだ。俺の傷をなぞるように見つめていたヘズンさんが、安心したように微笑む。
俺は素直に感謝を述べた。
「ありがとうございました」
ティマは俺の隣に座り、小さく頷く。
彼女は普段あまり表情を変えないが、どこかほっとしたように見えた。
「……良かった、ね」
か細い声で、ティマがぽつりと呟く。
俺は治癒を終えた体を軽く動かしながら、乱れた服を整えようとする。
そのとき、不意にヘズンさんが問いかけてきた。
「それにしても、昨日の今日で、どこであんな怪我をしたんだい?」
「いやー、あはははは」
適当に誤魔化そうとしたが、ヘズンさんはじっと俺の顔を見つめ、静かに言った。
「もしかして、いじめられたりしてる?」
時が止まったようだった。
「……へ?」
俺は思わず間抜けな声を漏らしてしまった。
だが、時を再び動かしたのは、意外にもティマだった。
「……ダメ!」
それは、今まで聞いたことのないほど大きな声だった。
「ティ、ティマ?」
いつも小さな声で話す彼女が、まるで叫ぶように声を張り上げたのだ。
俺が驚いている間に、彼女の顔が青ざめ、震えながらうずくまる。
「あ、まずい……!」
ヘズンさんが焦ったような表情を浮かべる。
俺は困惑するばかりだったが、すぐに気づいた。
――もしかして、ティマは「いじめ」という言葉に反応したのか?
彼女の外見を思い出す。
異様なまでに白い肌、長く流れる白髪、そして赤い瞳。
この世界の常識からすれば、間違いなく「異端」とされる外見だ。
「事情がある」とヘズンさんは言っていた。
ならば、過去にいじめられていた可能性は高い。
「ティマ、すまない! 大丈夫、大丈夫だから!」
ヘズンさんはティマの背中をさすりながら、必死になだめている。
それでも、ティマは震えが止まらない。
――俺ができることは……。
「ティマ、大丈夫だ! 俺はいじめられてなんてないぞ!」
俺はできる限り明るく言った。
「あのケガは、魔獣と戦ったんだ! いじめなんかじゃない!」
ティマの震えが少し収まった気がした。
長い髪の隙間から、かすかな声が漏れる。
「……まじゅう?」
表情は見えないが、確かに俺の言葉を聞いている。
「……ケイスケは……まじゅうにやられたの……?」
「ああ、でもちゃんと倒したよ。あいつは強かった……」
思い出す。
あのウサギとの戦いは、正直かなりギリギリだった。
モンドさんから教わった肉体強化魔法がなかったら、どうなっていたかわからない。
「……倒したの?」
ティマの声が、少しだけ落ち着いた。
「ああ。それに俺は冒険者だからな。魔獣くらい倒せないと」
俺の言葉に、ティマはそっと顔をあげた。
その赤い瞳には、ほんのわずかに安堵の色が浮かんでいるように見えた。
それからは特に会話もなく、俺は治療費として銅貨一枚をヘズンさんに渡した。
彼はそれを受け取りながら、小さく息をつく。
「……多分もう察しているのかもしれないけど、ティマはここに来る前に、少しいじめられててね……。だから、教会で保護しているんだよ」
やはり、そういうことか。
俺は頷く。
「基本的にあの子は、人間不信になってしまっている。来年神学校に入学する予定だけど、同級生に知り合いがいてくれたほうが、安心なんだよね」
それは確かにそうかもしれない。
でも、それって――。
「……それは、ちょっと卑怯じゃないですか?」
ヘズンさんは苦笑した。
「そうだね。その自覚はあるよ」
自分の行為を認めつつも、それでもティマのために必要だと考えているのだろう。
俺は溜息をつく。
すでに彼女とは知り合ってしまったし、無関係を貫くことも難しい。
「ティマの為だけに、神学校に行くことはないですよ?」
一応、念を押しておく。
「それは当然だよ。君は君自身の為に行くべきだ。ただ、そのときに少しだけ、あの子に寄り添ってあげてくれればそれでいいさ」
「……わかりました」
それくらいなら、俺にもできるかもしれない。
ヘズンさんは満足そうに頷くと、神妙な顔で言った。
「僕や君、そして君とティマの出会い。これもアポロ神の与えし運命のうち、だよ」
神学校の聖職者らしい言葉だ。
「運命……」
その一語を、俺は思わず噛みしめる。
俺がこの世界に来たことも、ティマと出会ったことも、すべてが何かの流れの中にあるのかもしれない。
そう思うと、妙に重みのある言葉に感じられた。
教会を後にする。
『神学校、どうするのー?』
脳内に響く声が問いかけてきた。
「そうだな……まあ、考えてみるよ」
軽く答えながら、俺は歩き出す。
帰ったら、リームさんに相談しよう。
そう考えながら、俺は帰途についた。
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