第六十四話「初依頼」
手元に持ってきた魔法についての本は、大体要点を掴めた気がする。
もっと掘り下げて魔法や精霊のことも調べてみたいところだが。
「さすがに、もっと大きな図書館とかじゃないと、そういうのはないか……」
手に持っていた本を閉じながら、俺は軽く伸びをした。この資料館にもそれなりに興味深い書物はあったが、専門的な魔法理論や歴史の詳細となると、やはり限界がある。そもそも、この領都に図書館とかあるのだろうか?
「また今度、リームさんに聞いてみよう……」
そう思いながら顔を上げると、窓の外の空がすでにオレンジ色に染まり始めているのが目に入った。
「あれ? そういえば……」
俺はふと、リームさんの言葉を思い出した。
『暗くなる前には帰ってきてくれよ』
「って、やば!?」
慌てて立ち上がり、本を元の棚に戻す。どれくらいの時間ここにいたのか分からないが、感覚的には二時間、いや、三時間くらいは経っているかもしれない。
「急いで帰らないと……」
荷物をまとめて、資料館の扉へ向かおうとした瞬間、その扉がゆっくりと開いた。
「……む、まだいたのか?」
低く落ち着いた声が聞こえ、俺は反射的に振り向く。そこに立っていたのはハンスさんだった。
「すみません、もう閉館の時間ですよね」
「ああ。そろそろ閉めるところだった」
やはり遅くまで居座りすぎたらしい。
「すぐに帰ります!」
慌てて荷物を整えていると、ハンスさんが少し笑って言った。
「そんなに急がなくてもいい。もしまだ調べたいことがあるのなら、明日にでもまた来るといい」
「ありがとうございます。でも今日は、すぐ帰らないと……」
俺は礼を言い、足早に資料館を後にした。
外に出ると、すでに町は薄暗くなり始めている。辺りの店から漏れる灯りが、街道をぼんやりと照らしていた。急ぎ足で進むが、案の定途中で少し道に迷い、家にたどり着いた頃には、すっかり夜になってしまっていた。
玄関の扉を開けると、すぐにリームさんの声が飛んできた。
「おお、帰ってきたか!」
「すみません! 遅くなりました」
「いや、心配したんだぞ」
申し訳なさそうにしていると、イテルさんが優しく微笑んだ。
「無事に帰ってきたなら、それでいいわ」
リームさんもため息をつきながら、軽く頷く。
「まあ、今後は気をつけろよ」
「はい、本当にすみませんでした」
夕食の席につくと、リームさんがダッジのことを聞いてきた。
「今日はあの冒険者と行動したんだったな。何か問題はなかったか?」
「特にありませんでしたよ。普通に良い人でした」
そう答えると、リームさんは少し渋い表情になった。
「……用心に越したことはないぞ。あの手のやつは、何を考えているか分からん」
「でも、普通に接してくれましたし……」
「だからこそだ。善人面が上手い奴ほど、何か裏があるかもしれん」
そう言われても、ダッジが悪い人には思えない。だけどリームさんがこれほどまでに言うのだから、何か感じるものがあったのかもしれない。念のため警戒はしておこう。
「それで、明日の予定は?」
「依頼をこなしてみようと思います。あとは――えーと、教会ってどこにあるんですか?」
「教会なら中央区だ。領主の城の近く、東側にある」
「へえ……」
あと知りたいことと言えば、図書館はあるのだろうか。
「この領都に、俺でも利用できるような図書館ってありますか?」
「残念だが、ないな」
「やっぱり……」
予想はしていたが、少しがっかりする。
「神学校に行けば、図書館があるはずだがな」
「神学校、ですか」
推薦状をもらってはいるが、行くかどうかはまだ決めかねている。
「迷っているようだな。なら、教会に行って詳しく聞いてみるのもいいのではないか?」
「……そうですね。明日、依頼が早く終わったら行ってみようと思います」
こうして、翌日の予定が決まった。
翌朝、俺は鐘が二つ鳴る前にギルド前に到着した。周囲にはすでに多くの冒険者が集まっている。俺は邪魔にならないように、隅で静かに待つことにした。
それからすぐに鐘が二つ鳴ったが、ダッジたちはまだ来ない。日本の感覚では、待ち合わせは五分前到着が基本だが……やはり文化が違うのか?
しかし日本でも終業ギリギリに来る人はいるし、遅刻する人だっているから、こんなものなのかもしれない。
そう思いながら待っていると、さらに十分ほど経ってようやくダッジたちが現れた。
「おう! いたな!」
「おはようございます」
軽く会釈すると、ダッジは親しげに笑う。
「おう」「……」
相変わらずの三人組だ。
「じゃあ、早速行くか」
「よろしくお願いします」
南の門から出発し、二時間ほど歩くと、明るい森に到着した。
道中、ダッジが俺の過去について尋ねてきた。
「そういや、お前ってこれまでどんなことをしてきたんだ?」
ダッジたちのことを信用しきっているわけではないので、適当に無難な返答でやりすごしながら話を続けるのだった。
「ここの薬草は群生してるから、それなりに採取できるんだけどよ、採りすぎんなよ」
「わかりました」
ダッジの言葉に頷きながら、俺はしゃがみこんで薬草を摘み取る。
森の中は薄暗く、時折木々の間から差し込む日差しが地面を照らしていた。
手に取った薬草はミネラ村近くの森で採ったものと同じフグリ草だ。
つまり、そこまで珍しいものではないということだろう。
「短剣を持っているが、獣は狩ったことがあるのか?」
「……あー、一人では、まだないですね」
ゴンタと一緒にいたときは、彼が主に狩ってくれていたし、ミネラ村では、まだら熊を魔法でひるませはしたが、実際にとどめを刺したのはモンドさんだった。
「ふーん。まあ、ないよりゃましか」
ダッジはそう言うと、摘み取った薬草を籠に入れていく。
この森には何か危険な獣が出るのかと尋ねると、彼は肩をすくめた。
「特に危険な獣はいねえよ。だからここを教えたんだ」
「そうなんですか」
「ただし、夜は狼や夜行性の蛇が出るから危険だな」
なるほど、それなら今のうちにさっさと摘み終えて帰るのが得策だ。
俺たちは手分けして薬草を摘み取り、昼過ぎには領都へ戻った。
そのまま冒険者ギルドへ向かい、受付に薬草を納品する。
受付嬢は、細身で素朴な印象の金髪の女性だった。
「依頼品、確かに受領しました。お疲れさまです」
「ありがとうございます」
初めての依頼達成。報酬は銅貨七枚だった。
ダッジによれば、安宿に一泊して、食事ができるくらいの額らしい。
「初依頼達成だな」
「ありがとうございました」
俺が礼を言うと、ダッジは得意げに笑う。
「な? こうやって依頼をこなせば、金も稼げるし経験にもなる。お前も俺たちと組めば、もっと稼げるぜ?」
「そうですね……」
明後日から討伐の依頼に同行しないかと誘われたが、聞けば泊りになる可能性がある依頼らしい。
いきなり泊まりがけの依頼は避けたいし、やりたいことがあるのでと丁重に断った。
「今日はこのあとどうするんだ?」
「教会に行こうかと」
「教会? あるのは中央区だな。あんなとこに何の用だ?」
「あー、単なる興味ですね。小さな村の教会しか知らないので、都会の教会はどんなもんかと」
「ふーん。そんなもんか」
「そんなもんです」
こうして俺は冒険者としての初依頼を達成し、教会を目指すのだった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
あなたの貴重なお時間を物語に使っていただけたこと、とても嬉しく思っています。
ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!
もし「いいな」と思っていただけたら、
お気に入り登録や評価をポチッといただけると、とても励みになります!
コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、
どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。
これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!




