第六十話「領都を歩く」
リームさんは、領都の概要を説明してくれた。
この領都――ハンシューク。南には商業施設が集まり、俺たちが訪れた問屋もそこにある。東と西には住宅街が広がり、北側には役場や軍の施設といった公共施設が集中しているらしい。
「ちなみに北側の壁の外にはスラムがある」
「スラム……。スラムというと、あれですか? 治安のちょっとよろしくない?」
「そうだ。……ザグレフ侯爵は偉大な方だ。だが、完璧ではない。私は完璧な領主など、存在しないと思っているよ」
穏やかな口調ではあるが、言葉には重みがある。実際に各地を旅してきたリームさんだからこその実感だろう。ハンシュークのスラムは北側、日当たりの悪い壁の外にあるという。治安は悪いが、最悪というほどでもないそうだ。
「お前も王都にそのうち行くことになるだろうが、貧民街には近寄らない方がいい」
「……わかりました」
まさに、君子危うきに近寄らず、というやつだな。
リームさんの自宅は、領都の壁に近い場所にあった。壁の中心――そこにはザグレフ侯爵の居城、中枢がそびえている。中心に近いほど地価は高いというが、なるほど、この辺りはかなり落ち着いた雰囲気だ。
「リームさんは、店を持たないのですか?」
ふと、そんな疑問が口をつく。リームさんほどの人なら、店を構えることだってできるはずだ。
「実は進めている最中だよ。イテルが懐妊したことを機に、決意はした。次の行商で各村に説明していくつもりだ。その際、イテルは留守番になる」
「そうだったんですか!? それはおめでとうございます!」
「ありがとう」
知らなかった。なるほど、そういうことか。確かに、子供が生まれるのなら、旅から離れる必要がある。行商をやめて定住するなら、店を持つのが自然な流れだ。
「もちろん今の顧客は大事にするつもりだ。それで、商品の配達なんかも人に依頼することになる。その時は、頼んでもいいか?」
「もちろんです」
その顧客とは、ミネラ村など行商先の人々のことだろう。お店のお使いで色々な場所に行けるのは、今の俺には魅力的に思えた。
リームさんの家は、四階建ての建物の三階にあった。いわゆるマンションのようなものだ。建物は石と木で造られていて、重厚な趣がある。
木の階段は足元に絨毯が敷かれ、品が感じられる。ヨーロッパの古いアパートとは、まさにこんな感じか。階段を上がるたび、木がぎしりと軋む音が響く。木の手すりは滑らかで光沢があり、手に馴染んだ。
階段の窓からは日が差し込んでいる。この建物は一階に二つの部屋があるらしく、全部で八世帯が暮らしているという。水道、下水は完備。火は魔道具で起こすのだとか。
「そのランプだが、夜になるとつく魔道具だ。そこまで明るいわけではないがな」
階段の踊り場にあるランプは魔道具だった。夜になると自動で点灯するらしい。……これ、CDSでもついてるのか? と一瞬思ったが、この世界にそんなセンサーはない。魔法の応用だろう。
「おかえりなさい、遅かったわね」
扉を開けた先で、イテルさんが迎えてくれた。
「少し混み合っていてね」
「どうぞ、ケイスケも遠慮しないで」
「ありがとうございます」
土足のまま上がるのは、ミネラ村でもそうだったがやはり日本人の感覚だと違和感がある。けれど、壁の白、床と天井の木の色、落ち着いた調度品。実直な二人の暮らしが感じられて、不思議と落ち着いた。
「まずは食事にしましょう」
「……ああ」
暖かな料理が、俺を待っていた。
柔らかいベッドに身体を沈めながら、俺はぼんやりと窓の外を眺めていた。
ミネラ村とは、まるで別世界だ。
窓から見えるのは石造りの建物が立ち並ぶ広い街並みで、その通りには魔道具の街灯が灯っていて、赤みがかった光で街を照らしている。日本で見た水銀灯を思い出すような、どこか懐かしくも暖かみのある明かりだ。蛍光灯の白っぽい光じゃないだけで、こんなに雰囲気が違うんだな。
そして、空。
三つの月が、夜空に浮かんでいた。
でっかい満月が一つ、少し離れて二つ目があり、それよりさらに小さい月がもう一つ。距離が違うのだろうか? どれも微妙に色合いが違っていて、それがまた幻想的というか、現実味を失わせているというか……。いや、現実なんだけど。
「リームさんは、次の旅の準備が整うまで、大体一か月だって言ってたな」
『そっか、色々と見て回りたいねー』
「そうだな」
静かな部屋でリラと会話する。
宛がわれた部屋はもともと物置に使っていた部屋で、ゆくゆくは子供部屋になるのだろう。気が早いのか、赤ちゃん用のベビーベッドが隅に置かれている。
窓の外の景色、部屋とベッド。
地球にいたころ、海外旅行に行きたくてヨーロッパの街並みなんかを調べたことがあるが、そのとき見た観光地の古い街並みよりもこの領都は立派に見える。
映画なんかに出てくるそちらの古いマンションだって、見た目はこちらとほとんど変わらない。
「ほんと、都会だよな」
『そうだねー。街の中はあまり緑もないみたい。人が多いねー』
「王都はもっと都会らしいぞ」
『えー? なんか大変そうだねー』
「あはは、大変か。そうだな、きっと大変だ」
明日は冒険者登録に行って、そのあとは領都観光をしたい。
魔石屋、魔道具屋、本屋に雑貨屋、それから武器屋。領主の城も見学できたりするんだろうか? 教会も気になるし、あの巨大建築の中ってどんなふうになってるんだろう。
『あ、猫ー』
「ほんとだ。こっちにも猫はいるんだな」
窓の外を猫が通っていった。
異世界といえど、こういった動物は一緒みたいだ。
「誰かの飼い猫かな?」
『首に何かつけてたから、そうかもー?』
リラとのとりとめもない会話に、領都の夜は更けていった。
「ケイスケ、私は今日商業ギルドへ行き、それから昨日の問屋、銀行に行く予定だ。そのあとで良ければ冒険者ギルドへいっしょに行けるが、どうする?」
翌朝、目を覚まして朝食をとっていると、リームさんがそう声をかけてきた。
「本当ですか? 是非お願いしたいです!」
俺の返事にリームさんは「わかった。なら朝食のあとに向かおう」と笑った。
「二人とも、早く朝食食べちゃってよねー」
イテルさんの明るい声が飛ぶ。
朝食は固いパンとスープ。質素ではあるけど、どこかホッとする味だった。
大通りに面した立派な建物。それが商業ギルド、ハンシューク支部の場所だった。
正直、こんな豪華な外観の建物を間近で見るのは初めてだ。壁には繊細な装飾が施されていて、窓枠一つとっても芸術品みたいに凝ってる。中はもっとすごいのかもしれないが……。
「私は少し手続きをしてくる。ケイスケはどうする?」
「ここで待ってます。なんか見てるだけでも楽しいですし」
そう言って建物の中に入っていくリームさんを見送る。
それから少し通りの脇に寄って、次から次へと目を引く人たちが通っていくのを眺める。いろいろな人が通った。
背丈が俺の二倍以上はある戦士とか、魔法使いっぽい杖持った人とか、小人族っぽい子供にしか見えない人とか。通りの向こうでは楽器を鳴らしてる集団もいる。音楽に合わせて何かのパフォーマンスをしてるみたいだ。
なんていうか、全部が新鮮。
1時間ほどたって、リームさんが出てきた。
「すまないな、待たせたか? 中で待っていても良かったのだが」
「いえ、ここで色々と眺めてるだけでもすごい楽しかったですよ」
「そうか」
リームさんは少しだけ息を吐いて、次の目的地へと向かった。
問屋は昨日も来た場所。やっぱり人が多い。
「俺、外で待ってますね」
邪魔にならない場所に立って、今日も人の波を眺める。荷物を運んでる人たちがいて、手には大きな袋や箱。運搬に使われてるのは車輪のついた荷台や、魔道具っぽい浮かんだ台車などもある。
目が回るような人の流れだ。
「終わったぞ」
思ったより早く戻ってきたリームさんと、今度は銀行へ向かうことに。
銀行の建物は、重厚感がすごかった。
白い石造りで、入口には剣と盾を構えた兵士が二人。誰でもウェルカムって雰囲気じゃない。中に入る人たちも、なんというか……洗練されてる? 上品っていうのか。服もなんとなくだが高そうだ。立ち居振る舞いが何かが違う。
俺は少し建物から離れた場所で待つことにした。
「銀行って、誰でも口座とか作れるんですか?」
ふと気になって、リームさんに聞いてみた。
「いや、この領都に住居があり、なおかつ一定以上の税金を納めた者しか口座は作れない。ケイスケは無理だ」
「そうなんですね……」
なんとなく、日本みたいに簡単に作れるもんだと思ってたけど、そうか。発展途上国じゃ一般人は口座すら持てないって話、昔聞いたことあるな。だからスマホひとつで金融を利用できる仮想通貨が流行ったとかなんとか……。
「この銀行はこの王国で三番手の大銀行だから無理だが、冒険者ギルドの銀行ならば、登録すれば誰でも口座を作れるはずだ。まずはそっちを利用してみるといい」
少しがっかりした俺を見てか、リームさんがフォローしてくれる。
なるほど、冒険者ギルドにはそんな便利機能もあるのか。登録しに行くのが楽しみだ。
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