第六話「ゴブリンたちと」
「……朝、か」
朝、日の出とともに目が覚めた。身を起こし、寝床代わりの草むらの上で伸びをする。すでにゴブリンメイジのメイコの姿はない。彼女は毎朝早く起きて集落の準備や見回りをしているようだった。
メイコという名前は不便だったので、俺が勝手に名付けた名前だ。
メイコはその名前が大層気に入ったようで、また平伏とともに感謝を送られた。
俺は顔を洗うために、集落の近くにある湧き水へと向かった。冷たい水を手ですくい、顔にかける。ひんやりとした感触が目を覚まさせる。身支度を整えた後、広場へと足を運んだ。
広場の中央には、人の頭ほどの大きさの丸い石が祭られている。ゴブリンたちはこの石に向かって平伏し、何かを唱えていた。彼らの日課らしい。俺も郷に入っては郷に従えということで、適当に真似をしてみる。意味はわからないが、これが彼らの信仰の一環ならば尊重しよう。
この集落での生活も、もう1週間が経った。最初は戸惑うことばかりだったが、徐々にわかってきたことも多い。例えば、この世界の1日は24時間で、現在の季節は春であるらしい。スマホの時計がまだ動いていたので、時間の確認ができたのだ。
そしてもうひとつ、最近知ったことがある。
ゴブリンメイジ、メイコが実は女性だったということだ。ゴブリンたちの中で唯一の女性であり、しかもこの集落の子供たちは、すべて彼女の子供らしい。つまり彼女はこの集落の「女王」なのだろう。
確かに、夜になると彼女は俺の隣に身を寄せてくることがある。しかし、残念ながら俺にそういう気があるわけではないので、なんとなく曖昧な対応をしていた。確かによく見ればメイコはゴブリンにしては割と女性らしい、可愛らしい顔をしているのに気が付いていた。しかし、ゴブリンという種族の生態がまだよくわからない。人間の価値観を押し付けるのも違うだろう。
それから、ゴブリンたちに名前をつけることにした。
メイコの名前はそのままだが、特に俺をよく手伝ってくれる腰ミノゴブリン三人には、「ゴンタ」「ゴンスケ」「ゴンザブロウ」と名付けた。
石のナイフで木を削り、それぞれの名前を刻んだ丸い板を作り、蔓を通して首にかけてあげると、彼らは驚いたような表情を見せた後、感激したように地面に平伏してしまった。どうやら、とても喜んでくれたらしい。
ちなみに、ゴンザブロウの名前が一番受けが良かった。なぜなのかはわからないが、彼は何度も自分の名札を撫でていた。まあ、気に入ってくれたのならいいか。
そんな穏やかな時間を過ごしていたときだった。
突然、遠くから低い咆哮のような音が聞こえた。
「……?」
俺は思わず空を見上げた。そして、そこに見えたものに息をのむ。
黒い影が、はるか上空を飛んでいた。
飛行機のようなシルエット。しかし、それは明らかに飛行機ではない。
あれは――ドラゴンだ。
巨大な翼を広げ、悠々と空を滑るように飛んでいる。ドラゴンの存在を疑う暇もなかった。それほどまでに圧倒的な光景だった。
「おいおい……マジかよ……」
思わず独り言がこぼれる。
この世界に来て、最もファンタジーらしい存在を目にした瞬間だった。
ドラゴンの影が空を横切る。
だがゴブリンたちは驚く様子もなく、ただ見上げるだけだった。子供たちにいたっては指をさし、歓声をあげてはしゃいでいる。
「そんなに危険じゃないのか……?」
俺も最初は身構えていたが、どうやら彼らにとっては日常の風景らしい。確かに、村に住んでいる鳥にいちいち驚かないのと同じようなものなのかもしれない。
ドラゴンはそのまま悠然と飛び去っていった。
それから二日に一度は、ドラゴンが空を飛ぶ姿を見ることになった。もしかすると、俺が気づいていなかっただけで、もっと頻繁に飛んでいたのかもしれない。
そんな異世界らしい景色を横目にしつつ、俺は村の生活にどんどん馴染んでいった。
まず、水を汲むための道具を作った。倒木を加工し、深めの器を作って蔓を通しただけのシンプルなものだったが、それだけでゴブリンたちは歓声を上げた。どうやら、彼らは今まで手や葉っぱを使って水を運んでいたらしい。
「いやいや、そんなに驚くことか?」
次に、狩猟用の罠を作った。スマホの辞書で簡単な仕掛けを調べ、それを応用しただけだったが、見事にウサギを捕らえることができた。
「ギャギャー!」
またしてもゴブリンたちから歓声が上がる。どうやら罠という概念があまりないようだ。
「これ、使えば狩りが楽になるだろ?」
嬉しそうに頷くゴブリンたち。そのまま、捕らえたウサギを俺に差し出してきた。
「え? ……いや、そういうのは自分たちで食べてくれ」
するとゴブリンたちは、俺の目の前で生肉を頬張り始めた。
「うおお……マジか……」
魚ならともかく、獣の生肉はさすがに無理だ。
よくよく観察すると、どうやら彼らは肉を焼くという習慣がないらしい。俺は試しに火を起こし、焼き肉という概念を教えることにした。
必死で火起こしをする俺。二回目の挑戦だからか、そこまで苦労せず火をつけることができた。
しかし、ゴブリンたちは火を怖がっているようだった。けれど、俺がウサギの肉を炙り、それを食べると、彼らも恐る恐る真似をする。
一口。
そして、歓声があがった。
「ギャギャー!」
「お前ら、そんなに感動するなよ……」
だが、嬉しそうに焼いた肉を頬張るゴブリンたちを見ていると、なんだか誇らしい気分になった。
そんなある日、狩りに出たゴブリンたちが、妙なものを持ち帰ってきた。
それは、普通のウサギよりも倍以上の大きさのある個体。その体内から、緑色に輝く結晶が取り出された。
「これは……?」
「ギャギュ!」
どうやらゴブリンたちはこの結晶を特別なものとして扱っているようだった。
「まさか、これが魔石とか?」
冗談半分でつぶやいたが、どうやら本当にその類らしい。
ゴブリンメイジ──メイコが、その緑の結晶を飲み込む。
「えっ!? 飲むの?」
すると、メイコの手元にふわりとそよ風が巻き起こった。
「魔法……!」
メイコは得意げな顔をしていた。
どうやら、魔石を体に取り込むことで魔法を使えるらしい。信じがたいが、今の俺は異世界にいるのだ。これくらいのことがあっても驚かないようにしないと。
そして、俺にも小指の先ほどの魔石が手渡された。
「俺も飲むの?」
「ギャ!」
メイコが頷く。
「マジかよ……」
悩んだ末、俺は意を決して魔石を飲み込んだ。
ゴクリ――。
すると、体の内側からホワンッとした温かさが広がるのを感じた。
「おお……?」
だが、俺が何か魔法を使えるようになったかどうかは、まだわからない。ゴブリンたちが期待した目でこちらを見ているが、とりあえず今のところ何も起こらない。
「まあ、ゆっくり試してみるか……」
しかし、その晩、俺は彼らの食事を見て驚愕することになる。
「いや、あのさ……貴重なたんぱく源っていうのはわかるけど……」
目の前には大量のイモムシ。
プニプニしていて、体液が滴るそれらを、ゴブリンたちは美味しそうに食べている。
「これは、俺には無理だ……!」
異世界の文化に馴染むのはいいが、さすがに限度というものがある。俺はそっと顔をそむけたのだった。
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