第五話「ゴブリンの歓迎」
目の前で平伏するゴブリンたちを前にして、俺はどう反応すればいいのか分からずにいた。
さっきまでの緊迫感はどこへやら。襲われる覚悟を決めていたのに、まさかの土下座。
「……お、おーい?」
声に出してみるものの、ゴブリンたちは反応しない。ただひたすらに地面に額を擦り付けている。俺のことを崇拝しているのか? それとも何かの儀式なのか?
「と、とりあえず、顔をあげてくれないか?」
恐る恐る声をかけると、ゴブリンたちは一斉に顔を上げた。その表情からは敵意は感じられない。警戒心はあるかもしれないが、さっき俺を取り囲んだときのような殺気立った様子ではない。
「なんだったんだ、さっきのは……?」
俺の問いに答えるかのように、ゴブリンメイジらしき個体が一歩前に出た。そして、「ギャギャ!」と元気よく鳴く。
「……わかるのか?」
「ギューギャッ!」
にこやかに返事をするゴブリンメイジ。いや、わかるのかそれ? どうにも微妙な返答だ。
しばらく考えていると、腰ミノゴブリンの一匹が立ち上がり、森の方へ向かっていった。何をしようとしているのか目で追っていると、すぐに何かを持って戻ってきた。俺に差し出してくるのは、テニスボールほどの大きさの、緑色の卵のような丸い木の実だった。
「これは……?」
恐る恐る受け取る。表面はざらついていて、強く握れば潰れてしまいそうな柔らかさだ。食べ物だろうか?
「俺にくれるのか?」
「ギャー!」
嬉しそうなゴブリンの表情を見る限り、多分食べても問題ないんだろう。
その瞬間、俺の腹が大きく鳴った。
「……そういえば、昨日から何も食べてなかったな」
恥ずかしさに頬をかきながら、改めて木の実を見つめる。正直、腹が減っているとはいえ、これを食って大丈夫なのか? 毒はないのか?
そんな迷いを見抜いたのか、ゴブリンメイジが自ら別の木の実を掴み、豪快にかぶりついた。
……なるほど、食えるってことか。
俺も意を決して、口を開ける。
ガブリッ。
ブシュッ。
口の中に広がる酸味。皮は厚くて渋いが、果肉にはほんのりとした甘みがある。目をつむって味わう。
「……うまい!」
思わず声が出た。
それを聞いたゴブリンたちが、「ギャギャギャギャ!」と歓喜の声をあげる。どうやら俺のリアクションが気に入ったらしい。
「ギャギャ!」
腰ミノゴブリンの一匹が、もっと食えとばかりに木の実を積み上げ始めた。気がつけば、俺の前には小さな山ができている。
「いや、そんなには……」
しかし、腹は素直だった。先ほどの一口で、より空腹を強く自覚してしまった俺は、積まれた木の実を一つ、また一つと口に運んだ。
……気が付けば、ほとんど食べ尽くしていた。
「ごちそうさま。うまかったよ」
俺がそう言うと、ゴブリンたちは満足そうな顔をする。
「襲われると思って、勝手に怖がって……ごめん。偏見だったな」
俺は苦笑しながら、目の前のゴブリンたちを見渡した。今まで触れてきたファンタジーの知識では、ゴブリンはただの下等モンスターで、問答無用で倒される存在だった。でも、今目の前にいる彼らは、こうして俺と意思疎通を図り、食べ物までくれた。
「……少なくとも、敵じゃなさそうだな」
そう結論づけると、ゴブリンメイジが満足げに頷いたように見えた。
ゴブリンたちの好意を受け入れ、俺は彼らの集落へと向かうことになった。腰ミノのゴブリンが先頭を歩き、ゴブリンメイジを含む他の三人が周囲を固めるようについてくる。
歩きながら改めて彼らを観察する。一般的なファンタジー作品に登場するゴブリンとは少し違う。確かに体は小柄で、肌は緑色、顔立ちは人間離れしているが、目はどこか知性を感じさせるし、動きにも獣じみた乱暴さはない。むしろ、どこか愛嬌がある。
それに、俺は最初、彼らの匂いを不潔さゆえのものだと勘違いしていたが、それが間違いだったとすぐに気付く。臭いの正体は、汗や汚れではなく、植物由来のものだった。
やがて森の奥へと進むにつれ、小さな集落が見えてきた。竪穴式の住居が点在しており、ざっと見て九つほど。その周囲では数十人のゴブリンたちが活動している。大人が四十人ほど、小柄な子供が十人ほどか。
彼らは俺の姿を見て、一瞬警戒したが、腰ミノのゴブリンが何かを叫ぶと、次第に緊張を解き、興味深そうに俺を眺め始めた。どうやらこの腰ミノゴブリンたちは、集落内でも一定の立場があるらしい。
俺は足元の地面を見て、ふと気付く。土の匂いとは別に、どこかで嗅いだことのある青臭い香りが混じっている。周囲を見渡すと、ゴブリンたちがせっせと草をすり潰し、それを体に塗りつけている光景が目に入った。
「なるほど、そういうことか……」
ゴブリンたちの肌の緑色は生まれつきではなく、この草のせいだったのか。本来の肌の色は黒に近いようだ。
体に塗る理由は、恐らく虫除けやカモフラージュ。あるいはその両方かもしれない。
そういえば、道中、腰ミノゴブリンが蔦のような植物を運んでいた。きっとこれを体に塗るためのものだったのだろう。単なる野蛮な生き物ではなく、意外にも彼らは環境に適応し、工夫を凝らして生きているのだ。
俺も試しに少し塗ってみる。独特の匂いが鼻につくが、気分は悪くない。匂いも慣れれば気にならなくなるはずだ。これで俺も、見た目だけは彼らと同じになった気がした。
ゴブリンメイジの住居に案内された俺は、そこでしばらく世話になることになった。他の住居と比べると、一回り大きく、しっかりした造りをしている。集落のリーダー的な存在なのだろう。
ゴブリンたちの生活は意外にも整っていた。狩りをする者、果実を集める者、腰ミノや毛皮を加工する者。それぞれが役割を持ち、協力して暮らしている。
俺は狩りや採集に同行し、少しずつ彼らの生活に馴染んでいった。初めての異世界生活は、思ったよりも快適だった。
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