第三十九話「森の獣」
木の幹につけられた傷跡。モンドはそれを見て言った。
「まだら熊の縄張りの印だ……まずいな、ここはもう奴の縄張りの中だ」
「まだら熊?」
リエトが不安げに俺の袖を握る。
「その名前の通り、まだら模様の毛並みを持つ熊だ。森の景観に溶け込み、待ち伏せして獲物を狩る習性がある。普通ならこの辺には出ないんだが……」
周囲を見渡して、異常がないか目を凝らすモンド。
俺も同じように周囲を見渡すが、異常を見つけることはできない。さっきまでと何も変わらない森。
しかしさっきまでの楽し気で穏やかだった雰囲気は既になく、今はこの森に潜む危険を感じとってしまったからか、それがひどく不気味なもの見えてしまっていた。
「みんな、すぐに帰るぞ。俺が背後を警戒する。ケイスケは先頭を進んでくれ」
モンドは剣を抜き、俺も借り受けた短剣を構えた。
緊張感の中、俺達は森を後にするべく進み始めた。
「急がず慎重に進むんだ。周囲に気を配れ。ロビンとリエトはただ前を見て進めばいい」
「わ、わかったわ!」「う、うん」「……わかりました」
足早に、でも走ることはなく進む。
まだ着かないのかと、帰り道がやけに遠く感じる。
わずかな物音に怯えるリエト、強がるロビン。
俺たちは慎重に足を運び、小さな岩場を越えた、そのとき――。
「……ッ!」
息を呑む音が響いた。
茂みから、黒と茶のまだら模様が飛び出してきたのだ。
巨大な影が、リエト目掛けて襲い掛かる。
「ちぃっ!?」
俺が動くよりも先に、モンドがリエトを庇った。
鈍い音とともに、鮮血が舞う――!
「モンド!?」
リエトを庇いながら倒れ込むモンドの姿に、俺は息を呑んだ。彼の腕の中で震えるリエトの顔は真っ青だ。
「くそっ……!」
俺はロビンを背後にかばいながら、手にした短剣を構える。目の前には、血に濡れた巨大な影――まだら熊。
モンドの剣による傷が熊の腕を裂いている。しかし、それだけではまだら熊の戦意を奪うには至っていない。むしろ、自分を傷つけたモンドに対して、より一層の敵意を向けていた。
「ケイスケ、俺が食い止めるから、お前たちは走って逃げろ!」
モンドが叫ぶ。
視線を走らせると、俺たちの立ち位置は最悪だった。森の出口側にいる俺とロビン、それに対してモンドとリエトはまだら熊の向こう側。完全に分断されている。
「……ケイスケ」
背後でロビンの不安げな声が聞こえた。
短剣を握る手に汗が滲む。だが、これだけでこの化け物を倒せるとは到底思えない。
逃げる?
いや、無理だ。モンドがあのままでは――。
何か、まだら熊の注意をそらせる手段があれば……。
思考を巡らせる俺の脳裏に、一つの策が浮かぶ。
背中越しに、ロビンに話しかける。
「ロビン、火の魔法を使えるか?」
「え? わ、私の魔法なんて、せいぜい焦げ跡をつけるくらいよ!?」
「それでいい。まだら熊の注意をこっちに向けたいんだ」
ロビンは驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を引き締めた。
「……わかったわよ! 練習中の、もっと大きな火の魔法を当ててやるわ!」
その返事に俺は頷き、モンドに声をかける。
「俺が光の魔法を放ちます! 発動の瞬間に目を閉じてください!」
「……わかった!」
俺たちのやり取りを見ながらも、まだら熊はモンドを威嚇し続けていた。
すぐに襲い掛からないのは、腕の傷をつけられた相手だと認識しているからだろう。
だが、そのおかげでこちらの準備は整った。
『紅き精霊たちよ。集い集いて顕現し、かのものを焼き給え……ボーファ!』
ロビンの詠唱。彼女の手の平から、野球ボールほどの火の玉が勢いよく放たれた。
燃え盛る赤い塊は、一直線にまだら熊へと向かい、その左耳に直撃する。
「グオオオオオッ!」
毛が焼け焦げる臭いがたつ。
いかにその体が強靭であろうと、耳の先なんかは鍛えられないだろう。
突然の痛みに、まだら熊は怒りの咆哮をあげてこちらに振り向く。
その瞬間。
『輝ける精霊たちよ、集い集いて強く輝け! ……フォティノ!』
俺の詠唱とともに、純白の閃光が弾けた。
強烈な光が森を白く染め上げる。
「グゥオオオオ……!」
まだら熊が目を押えて苦悶の鳴き声とともにのたうち回る。その巨体故に近づくだけで危険そうだが、視界を奪われたことで、完全に無防備になった。
「今だ!」
閃光の影響を最小限にするために目を閉じていたモンドが、状況を確認すると一気に距離を詰める。
そして銀閃が、一直線にまだら熊の首元を捉えた。
「ハアッ!!!」
鋭い閃きが走る。
次の瞬間、まだら熊は断末魔の声を上げることなく、首が落ち。その巨体を地面に沈めた。
「はぁ、はぁ……」
モンドは息を荒げながらも、倒れたまだら熊を見下ろす。
俺たちはしばし呆然と立ち尽くした。
「やったの……?」
ロビンがかすれた声で尋ねる。
「ああ、終わった……」
まだら熊は首を失い、身動きひとつしない。赤黒い血は地面に流れ、辺りを染めている。血の匂いが強く鼻に届き、俺は安堵の息を吐いた。
「モンド、大丈夫!?」
リエトの声に、ハッと気づく。
駆け寄ると、膝をついて血の流れる肩に手を当てているモンドの姿が視界に入った。
「傷……大丈夫なの?」
「……まあな。だが、これくらいなら村に戻れば何とかなる」
彼は少し青い顔で無理に笑って見せた。
「よかった……」
涙目のリエトがモンドにしがみつく。
俺は改めて、まだら熊の死骸を見下ろした。
「……危なかったな」
「でも、あなたの光の魔法がなければ、どうなっていたか……」
ロビンが疲れたように微笑む。
「……帰ろう」
モンドの怪我もある。これ以上の危険を冒すわけにはいかない。
俺たちは足早に森を抜け、村への帰路についた。
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