第二十八話「割り算は習ってない」
「そういえばさ、リエト。なんで雷の精霊ってことを知ってたんだ? 絵本の中にはそんなこと書いてなかった気がするんだけど」
ふとした疑問が口を突いて出た。あの絵本を思い返してみても、雷の精霊という具体的な名前や属性には触れられていなかったはずだ。俺は念のため手元の絵本をパラパラとめくって確認するが、やはりそのような記述はどこにも見つからない。
だがリエトは自信満々の表情で、胸を張って答えた。
「教会の司祭さまが教えてくれたんだよ!」
小さな胸を張り、まるで「えっへん」と音が聞こえてきそうな勢いだ。
隣でロビンも微笑ましそうに頷く。
「司祭さまは何でも知ってるのよ。王都で勉強してきたんですって。村の中で一番ものしりなの!」
なるほど、そういうことか。
どうやらこの村にもちゃんと教会があって、司祭が村人たちに知識を分け与えているらしい。宗教施設でありながら、教育の場も兼ねているというわけだ。
「……寺子屋みたいなもんか?」
思わずそんな感想が口をついて出る。
だがロビンが不思議そうに首を傾げた。
「テラコヤ? テラコヤってなに?」
そうか、ここには寺子屋の概念が存在しないらしい。まあ、よく考えれば当然だ。あれは日本の江戸時代に存在した庶民のための教育機関だ。こんな異世界でそれを知っているほうが不自然だ。
「んー、まあ……小さな学校みたいなものだよ。子どもたちが集まって勉強する場所って感じかな」
「へー、そうなんだ。でもケイスケ、記憶がないのに、変なことは覚えてるのね」
ロビンがくすくすと笑う。その笑い声が柔らかく風に溶け、リエトもつられて笑い出した。
どこか楽しげな空気に包まれて、俺も自然と笑みがこぼれる。
「確かに。自分でも不思議だよ」
正直なところ、知識そのものは不意に必要になったときに、どこからともなく頭の中に浮かんでくる。それがどうしてなのか、俺自身にもよくわかっていない。
知識はあれど、記憶はない、か。この二つは同じようで違うものなのだろうか。
「あと……覚えていることで言えば、計算もできるよ」
「へー!」
「えー、本当に?」
リエトとロビン、対照的な反応を見せる兄妹。
リエトの瞳は好奇心でキラキラと輝き、ロビンは疑い半分、興味半分といった顔でこちらを見ていた。
「じゃあじゃあ、1足す2は?」
「3」
ロビンが軽く出した問題に、即答する。
するとリエトが目を丸くして「おーっ!」と感嘆の声をあげ、両手で小さく拍手した。
その仕草があまりにも無邪気で、思わず笑ってしまう。
「じゃあ、5足す6は?」
「11」
「はやーい!」
またもや拍手が飛ぶ。だがさすがにこの程度の計算でそこまで驚かれるのは、ちょっと申し訳ないような気もする。
「む……じゃあ、11引く2は?」
「9だな。もっと難しくてもいいぞ」
ちょっと調子に乗って言ってしまうと、ロビンがにやりと笑った。
その表情は、いたずらを思いついた子どものそれだ。
「言ったわね! じゃあ、難しいわよ! 78引く29足す11は?」
おっと、急に難易度が跳ね上がったな。
だが頭の中の計算は不思議とスムーズに進む。
「……60だな」
「ちょっと待って……えーと、78から29を引いて、それに11を足して……」
ロビンが指を折りながら、慎重に計算している。その様子を見守っていると、やがて困惑したような顔で口を開いた。
「……合ってるわ」
「おーっ!」と、またリエトが素直に声をあげた。まるで手品でも見ているかのようなリアクションだ。
「じゃあ今度は逆に俺から問題を出すぞ。5かける3は?」
「えーと……15!」
「おっ、なかなかやるな。じゃあ、21割る7は?」
「……えっ!?」
その瞬間、ロビンの表情が固まった。
ぱちぱちとまばたきを繰り返し、視線を泳がせる。
そこには明らかに戸惑いの色が見えた。
「どうした?」
「……私、まだ習ってない!」
頬をぷくっと膨らませ、ぷいとそっぽを向くロビン。
その姿が妙に子どもらしくて、たまらなく可愛らしい。
けれど、そんな穏やかなやり取りの最中、ふと思い出したことがあった。
「それにしても、教会か……。そういえば昼間、ロビンが司祭さまだったら光の魔法が使えるって言ってたよな?」
「使えるわよ。一度だけ見せてもらったことがあるの」
「へえ、どんな魔法だったんだ?」
「光の玉がふわって浮かんで、辺りを照らしてくれたの。まるで小さなお日さまみたいだったわ。とてもきれいな光だったのよ」
ロビンはそのときのことを思い出しているのか、うっとりとした目で語った。照明の魔法――なるほど、魔法の初歩としてはわかりやすいし、きっと実用的なんだろう。
「照明の魔法、か……」
思わず呟いていた。
俺は自分のステータス画面を思い浮かべる。そこには確かに、光素との同期率が高いことが示されていた。
もしかしたら、自分も光の魔法が使えるかもしれない。そんな淡い期待が心の中に芽生える。
「明日、その教会に行ってみたいな」
気づけば、そんな言葉が自然と口から漏れていた。
彼女は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに明るい笑顔を浮かべた。
「いいわね! じゃあみんなで行きましょうよ!」
「僕も一緒に、いいですか!?」
リエトも目をきらきらさせながら尋ねてくる。
「もちろん」
俺は二人の頭を優しく撫でながら、笑って答えた。
――明日が、少し楽しみになってきた。
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