第二百六十九話「ヘルヴィウスの出会い」
なんとか書けたましたので投稿します。
王都までの道のりは、順調だった。
出発してから数日。雨に降られることもあったし、風の強い日もあった。馬車がぬかるみに足を取られて進まなくなることもあった。
けれどそれだけで、どれも旅程に組み込まれている範囲の出来事だった。
「このあたりで雨が来る可能性が高いです」
出発前、エンブスは地図を広げながらそう言って、実際その通りになった。
野営の準備、進行の調整、馬の休憩。全部が予定通りに進んでいく。
僕はその横で、ただ座っているだけだった。
貴族として、守られる側の存在。
そのことを、改めて実感させられる旅だった。
それでも――。
クリスが淹れてくれた温かいスープを飲みながら、焚き火の前で過ごす時間は、少しだけ昔を思い出させた。
母と過ごした、小さな部屋の温もり。
あの頃とは違う。でも、完全に失われたわけではない。
そう、少しだけ思えた。
だから、油断していたのかもしれない。
王都の影が遠くに見え始めた頃だった。
高い城壁が、ぼんやりと輪郭を現す。
もうすぐ到着だと、みんなが思っていた。
そのときだった。
道の脇、林の陰から男たちが現れた。数は五人。
粗野な装備。剣や斧を手にしている。人相は悪く、見るからに真っ当な人物には見えなかった。
「止まれ」
低い声を発してエンブスがすぐに馬車の前に立つ。
「……盗賊か」
短く呟いた。
ここは王都近郊だ。騎士や警邏が巡回しているはずの街道から、ほんの少し外れただけ。
もう目的地は目と鼻の先。それなのに、こんな場所で?
胸の奥が冷たくなる。
戦えるのは――エンブスだけだった。
僕は、何もできない。剣も、槍も、扱えない。
あの屋敷で教えられたのは、礼儀作法と勉学、そして光の魔法だけ。
暴力に対抗する術なんて、持っていない。もっと時間があれば、少しは身に着けることができたんだろうか。
クリスは、震える手で短刀を握っていた。
その刃先は小刻みに揺れている。
「だ、大丈夫ですよ、坊ちゃん。エンブスはああ見えて、強いんですから!」
声が震えていた。僕じゃなく、まるで自分に言い聞かせるように。
エンブスは一歩前に出る。
「下がっていてください」
それだけ言って、剣を抜いた。
それを見て頷きあう盗賊達。
「護衛一人に女一人。残りは子供だ」
「身なりもいいぜ」
「金も持ってそうだな」
嫌な言葉を言い合う盗賊たち。
口元は一様に嫌な笑みを浮かべている。その動きに、ためらいはなかった。
「抵抗すんなよ? じゃねえと痛えぞ」
そんな言葉を口にしながら、武器を振りかぶってくる盗賊の一人。
次の瞬間、 金属音を鳴らして、盗賊の剣とエンブスの剣が交差した。
ぶつかり合う音。金属が打ち合う高い響きだ。
男たちの怒号。
「きゃあああああっ!」
クリスは突然のことに悲鳴をあげる。
僕は突然のことにただ立ち竦むことしかできなかった。
エンブスは確かに強かった。
一対一なら負けないだろうって思う。
――でも。
「早く始末しろ!」
「攫え! そうすりゃ終わる!」
「女と子供は押さえろ!」
相手は五人。囲まれて、押し込まれていく。
エンブスは三人を相手にして、もう身動きなんてとれなかった。
クリスが必死に短剣を構えて右に左に、近づいてくる盗賊達に向けるけど、盗賊の二人はそれを見ながら僕たちを笑いながら追い詰めてくる。
「……っ」
僕は歯を食いしばる。
僕たちに向けられている鈍色の剣を見て、どうすればいいかわからなかった。
何もできない。ただ見ているだけ。
――嫌だ。
でもこのままじゃエンブスは傷ついて、クリスと僕は盗賊達に捕まって、きっと酷い目にあう。
恐怖で心が塗りつぶされて、体は動かない。でも、目の前のことはやけにはっきりしていて目を離せない。
誰か、助けて――!
僕がそう何かに願ったときだった。
――風が、動いた。
次に訪れたのは爆ぜるような衝撃音。同時に感じたのは、強い強い熱と光。
「ぎゃあああああああっ!?」
気が付けば盗賊の体は半分燃えていた。
「な、なんだ!?」
隣にいた盗賊が、突然のことに驚いて動きを止める。
でも、その盗賊も――。
「……え?」
短い声を漏らしたあと、腕が、飛んでいた。
僕もその盗賊もぽかんと口を開けて、飛んで行った腕を眺めていた。
「う、うあああああああっ!」
盗賊の悲鳴。
いつの間にか、誰かがそこにいた。
暗めの茶髪、紺色の目。僕よりは年上だろうけど、そう歳が変わらないような少年。
剣を振りぬいたまま姿勢から、彼が盗賊の腕を飛ばしたんだとすぐにわかった。
「加勢します!」
放たれたのは、強い言葉だった。
それからは圧倒的だった。
それまでのことが嘘みたいに、盗賊たちはあっという間に鎮圧された。
御者のエンブスが、あの少年に深く頭を下げた。
それだけで、彼がどれほどの働きをしたのかは十分に伝わる。
「加勢、感謝する」
「いえ、無事で何よりです」
息を整えながら答えるその姿は、年相応の少年には見えない。
戦いの余韻がまだ残っている。血の匂いと、焦げたような空気。
僕は視線を落とした。
地面には、倒れた盗賊たち。
……王都の近くで、こんなことが起きるなんて。
「……王都近郊でこのような目に遭うとは思いもしませんでした」
エンブスが静かに言って、そして躊躇なく剣を振るった。
倒れていた盗賊の胸に刃が沈む。短い呻き声。すぐに静寂。
胸の奥が、わずかに重くなる。
「一人残せば問題ないでしょう。そちらもとどめをお願いします」
「……わかりました」
ケイスケは一瞬の迷いも見せなかった。
炎に包まれていた盗賊に歩み寄り、静かに剣を突き立てる。
――この人は、慣れている。
そう思った。
戦いにも、命を奪うことにも。
残った一人は、地面に転がり、苦しそうに呻いている。
それを見て、僕は一歩踏み出しかけて――止まった。
エンブスが縄を取り出し、手早く縛り上げる。
「どうするんですか?」
「一応、このまま引きずっていって、尋問いたします」
「……ですか」
当然のやり取り。
けれど、僕の胸の奥には、どこか引っかかるものが残る。
――これが、この国の当たり前。
分かっている。僕は貴族だから。法律も基本的なことは勉強したから。
でも、実際に見て、慣れることなんてできない。
ふと、少年が小さく息を吐いた。
剣を納めるその仕草に、わずかな疲労と……何かを振り払うような気配。
そのとき、気づけば僕は声を上げていた。
「ありがとうございました!」
「え?」
顔を上げた彼と目が合う。思っていたより、ずっと幼い顔だった。
僕は胸に手を当て、丁寧に頭を下げる。
「私はヘルヴィウス・ウェルナーリスと申します」
名乗ると、彼は少し驚いたような顔をした。
やっぱり、貴族だと分かると反応が変わる。
けれど、彼の表情はどこか自然だった。
「この御者はエンブス、そして彼女はクリスです」
二人もそれぞれ名乗る。
けれど頭は下げない。――それでいい。
……でも。
僕はもう一度、深く頭を下げた。
「本当に助かりました!」
自然とそうしていた。助けてもらったのだから、当然だと思った。
けれど、少年は少し戸惑ったように見えた。
――変だったかな?
「俺はケイスケ。冒険者やってます」
その言葉に、思わず目を見開く。
「その年で!?」
思ったことがそのまま口に出てしまった。
ケイスケは少し笑った。
やっぱり不思議だ。
見た目は僕とそう変わらないのに、まるで大人のような空気を持っている。
改めて彼を見る。
剣の扱い、動き、判断。どれもすごい。
……そして。
どこか、少しだけ――寂しそうに見えた。
理由は分からないけど、そう感じた。
「鉄級にしては、随分と実力がおありのようですね」
エンブスの声。その響きに、僕はわずかに眉を寄せた。
警戒してる。
それも当然だ。
けれど――。
ケイスケは慌てて弁明し始めた。
冒険者証まで取り出して。
……そこまでしなくてもいいのに。
でも、それだけ疑われているって感じたんだろう。
そのとき、僕ははっとする。
「あっ! その前にエンブス、傷を見せて!」
エンブスが戦いの最中に負った傷。
僕はエンブスの腕に手をかざした。
『命の精霊たちよ、わが手に集い集いてあるべき姿に細胞を修復せよ……レパティオ』
淡い光が手のひらから溢れて傷口に触れると、血の流れが静かに止まっていく。
完全に治るわけじゃないけど、これで応急処置にはなる。
「ありがとうございます。ヘルヴィウス様」
「ううん。僕を守ってくれてありがとう、エンブス」
自然に出た言葉だった。
エンブスは一瞬だけ表情を緩めたように見えた。
やがて彼は立ち上がり、周囲を見回す。
「……先を急ぎましょう」
その言葉に、僕は頷き――そして思いついた。
「そうだ! ケイスケさんも一緒にどうですか!? 王都に行くんでしょう!?」
助けてくれた人だ。
せめてそれくらいは。
けれど。
エンブスとクリスの視線。
その鋭さに、僕は気づいてしまう。
――ああ。
そういうことか。
ケイスケもそれに気づいたのだろう。
少しだけ苦笑して、首を振る。
「俺は、遠慮しておくよ」
その言葉に、胸の奥が少しだけ沈む。
「……そうですか。でも本当にありがとうございました」
せめて、もう一度だけ。
エンブスが形式的に礼を述べる。
ケイスケは曖昧に頷いた。
馬車が動き出す。
縛られた盗賊を引きずりながら、ゆっくりと街道を進む。
僕は振り返った。
ケイスケは、その場に立ったままこちらを見送っている。
――不思議な人だ。
強くて、落ち着いていて。
それなのに、どこか孤独で。
ほんの少しだけ。
もっと話してみたかった、と思った。
どうしてあんなに強いのか。
どうしてあんなふうに戦えるのか。
でも。
「……行くぞ」
エンブスが短く言った。
それからすぐに王都に着いて、休む間もなく騎士に引き渡す。
取り調べの結果、彼らは盗賊ではなかった。
冒険者。ケイスケと同じ。
依頼を受けて、僕たちを襲ったという。
尋問した騎士が教えてくれた。
盗賊はこう言っていたらしい。
「知らねぇよ……顔も隠してた。ただ、身なりは良かった。ちょっと楽しんで、殺すつもりだった」
それだけだった。名前も、素性もわからない。
捕らえられた男は、ほどなく処刑された。
残されたのは、不気味な事実だけ。
誰かが、僕を殺そうとした。
屋敷を出ても、それは終わらない。
「くれぐれも、お気を付けください」
宿で、クリスが言う。真剣な表情。僕を本当に心配してくれているのがわかる。
「大丈夫だよ。流石にあの人達も、神学校の中までは何もできないと思うよ」
僕はそう答えた。自分に言い聞かせるように。
「それはそうですが……」
クリスは納得していない様子だった。
エンブスも無言のまま、窓の外を警戒している。
この二人は、本当に僕のことを気にかけてくれている。
屋敷の誰よりも。
父よりも。義母たちよりも。
温かい。
でも――。
母の温もりには、届かない。でも、それは当たり前。
僕は次の日に教会へ向かった。
神学校の敷地に隣接する、大きな聖堂。
荘厳な空気。高い天井。
色とりどりのステンドグラスから、光が降り注いでいる。
静寂の中、僕は膝をついた。
手を組み、祈る。
そして、問いかける。
――どうして。
どうして僕に、光の魔法なんて与えたんですか?
この力のせいで、僕はここにいます。
この力のせいで、母と離れました。
この力のせいで、狙われています。
……でも、この力がなければ、僕はもっと無力でした。
なんでですか? どうしてですか?
どれだけ見上げても。
どれだけ祈っても。
どれだけ問いかけても。
アポロ神からの答えはなかった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!
もし「いいな」と思っていただけたら、
お気に入り登録や評価をポチッといただけると、とても励みになります!
コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、
どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。
これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!




