第二百六十五話「死霊の森は、初心者に優しくない」
大変長らくお待たせいたしました……。
静かな森の奥。
岩山の側面に、ぽっかりと口を開けた洞窟があった。
「……ここだ」
俺の言葉に、背後の空気が一斉に張りつめるのがわかった。
「うわ……なんか、すげぇ嫌な感じすんな」
「……寒い……」
ニトが顔をしかめ、ミルカが腕を抱く。
トルトは無言だが、明らかに肩が強張っていた。
「ここが、リヴネの森……通称、死の森の地下迷宮ってわけね」
ミルカが授業で習った知識を思い出すように言う。
「地表もダンジョン領域に含まれていて、生物は定住できないって……」
ヘルヴィウスもまた怯えた表情で呟く。
「……中に入るけど、いいか?」
俺に続いて、恐る恐る足を踏み入れる。
洞窟の中へ一歩踏み入れると、空気は一変した。
光が吸い取られたような暗さ。
湿り気を帯びた冷気。
通路の窪みには、いくつもの古びた棺桶。
石造りの通路は、まるで地下墓地――カタコンベだ。
「……やっぱり、何度来ても気持ち悪いな」
『死霊系だしねー』
「出るなら早く出てきてほしいんだよな……。静かだと不気味すぎる」
『そのうち嫌でも出るよー』
リラが影の中であっさり言う。
洞窟の外は風の音だけ。中は俺達が歩く衣擦れ、足音だけ。
「うぅ……」
「……音、しないのが逆に怖い」
ミルカとティマが身を寄せ合う。
トルトは前を見据えたまま、ぎこちなく歩いている。
皆が怖がっていることで、俺は逆に落ち着いていられている。
「初見でここは、まあまあ怖いよな」
こんな冗談を言えるくらいには。
「まあまあどころじゃねえだろ」
ニトのツッコミが響いた、その瞬間。
――ガタン。
「っ!」
棺の蓋が、ゆっくりとずれる。
中から、包帯だらけのミイラが起き上がり、
床からは白骨が這い出てくる。
「で、出た……!」
「……本物の、アンデッド……」
ヘルヴィウスが息を呑み、ティマは完全に俺の背後に隠れた。
いや、魔物だがな。
でも見た目は完全に人間の死体でしかない。
「落ち着け、弱点は――」
「頭だろ? 知ってる!」
ニトが前に出る。
「おらあっ!」
肉体強化魔法。さらに炎の魔法を乗せて。
次の瞬間、ニトの拳がスケルトンの頭蓋骨を粉砕した。
崩れ落ちるスケルトンは、そのまま風化するように消えていく。
「お、おお……」
「思ったより、あっさり……?」
「んだよ。手ごたえねーな」
「まあ、まだ浅層だからな」
俺は説明しながら、次の魔物の頭を砕く。
動きは遅いし、脆い。
冷静に対処できれば、それほど怖い相手じゃない。この場所の雰囲気とビジュアルが悪いのだけが問題なのだ。
ちなみにこんな怖い思いをしてまで何故ダンジョンに来たのか? それはこの世界において、ダンジョンは資源の宝庫であり、鍛錬の場だからだ。
『ダンジョンの中は魔素が濃からねー』
リラが皆に向けて説明する。
『戦えば戦うほど、自然と魔素を吸収できるんだよー』
「つまり……」
空気がプロテイン、ってやつだ。
魔素濃度が高く、それを吸収することで、魔力や肉体により多くの魔素を取り込むことができるらしい。
そして、魔物は魔素で体を構築している。いわば魔素の塊といえる。魔物を倒すことで、その魔素がより多く吸収できるというわけだ。
なんだかゲーム的だが、そういうことらしい。
だが、理屈としては合っている。
地上でも魔素は満ちており同じように鍛えられるが、ダンジョンは効率が段違いだということ。
ならばみんなダンジョンで鍛えたりすればいいだろうって?
それはその通りだ。しかし。
「でも、ダンジョンでだけ鍛えても、技術が追いつかなくなるって聞いたことがあります」
「それに鍛えるのには最適だが、便利なダンジョンは少ないからな」
「管理できないと、人が住めないから、ですね。そして、管理されているダンジョンは、人が多い」
『そうなると、魔素は薄くなったりしてるかもねー』
ミルカが続ける。
「でもこの辺りは山が多くて、水もないし……」
「周りも、岩だらけだっただな。農地には向かないだよ」
人が定住できない。
ダンジョンだけが、そこにある。
かつてクェルの故郷もダンジョンの氾濫で飲み込まれた。……それは人為的なものであったのだが。
「ビサワの大氾濫、ですね」
「……ダンジョンって、扱い間違えると災害だな」
そんな会話をしていると、再び骨の音が響く。
「来るぞ!」
今度は数が多い。
トルトが前に出る。
「……ポッコ!」
土の壁が生え、スケルトンの進路を塞ぐ。
ミルカは水で動きを止め、ヘルヴィウスは風で吹き飛ばす。
ティマの放つ聖なる浄化の光が、死霊を一瞬で浄化した。
「……きれい……」
「天から舞い降りた聖女、って感じだな」
「ち、ちがう……!」
ティマが顔を赤くして、ぽこぽこと俺の腹を叩く。
戦闘は安定していた。
全員、初めての死霊ダンジョンにしては上出来だ。
俺よりもずっと精神的に安定している。
「よし、問題なさそうだな」
俺は皆を見回す。
「ここはまだ入口だ」
「つまり……」
「本番はこれから、だな」
「おうよ!」
最初のうちは、おっかなびっくりだった。
骨が動けば悲鳴が上がり、ミイラが立ち上がれば足が止まる。
それでも、戦闘は数を重ねるごとに確実に洗練されていった。
「……次、来る」
トルトの低い声と同時に、床からスケルトンが這い出す。
ニトが前に出て、迷いなく炎の拳を振るった。
「らぁっ! こいつら、よく燃えんな!」
強化された一撃で頭蓋骨が砕け散る。炎の余波で、周囲のミイラが燃え上がっている。
「吹き飛べっ!」
ヘルヴィウスがアイレと共にスケルトンをまとめて吹き飛ばす。
「任せるだよ!」
大質量の土と石でミイラを押しつぶすトルトとポッコ。
「ミイラは乾いていますから、水分を含むとぐずぐずになって崩れやすくなるんですね。勉強になります」
ミルカはシュネと共にミイラを水攻めにして、更に水流を加えて脆くなったミイラをバラバラにしている。
もはや悲鳴はない。皆、戦いのリズムを掴み始めていた。
特に、ティマの浄化は凄まじかった。
淡い光が広がるたび、死霊は音もなく消えていく。
あまりに効果が高すぎて――。
「……ティマ、ちょっと待って」
ミルカが制止する。
「それ、効きすぎ。皆の鍛錬にならないわ」
「……ご、ごめん……」
しゅん、と肩を落とすティマ。
いや、正論だけどな。
その後も探索は順調に進み、やがて――。
「……宝箱だ」
トルトが指差した。
「え、また?」
蓋を開けると、中には武具、古い金貨、用途不明の魔道具。
「前回来たとき、こんなに宝箱あったか?」
『うーん、私は気づかなかったかもー』
『私も、記憶にありませんわ』
精霊たちも首を傾げる。
理由はわからない。
ダンジョンマスターの気まぐれか、サービスか。
いずれにせよ、探索は前回よりもはるかに順調だった。
そして――。
「……十層、だな」
ニトが言う。
「そうね。階層的にも、丁度ここが区切りだわ」
大広間。
床一面に散らばる無数の骨。
嫌でも、思い出す。
「前回のボス部屋だ」
その瞬間――。
――ガシッ。
「きゃああっ!」
「ひっ!?」
地面から伸びた無数の手が、足を掴む。
ミルカとティマの悲鳴が重なり、
ティマが反射的に浄化の魔法を放った。
光が爆ぜる。
次の瞬間、広間のアンデッドの半数が、跡形もなく消え失せた。
「……」
「……」
全員、言葉を失う。
「……ご、ごめんなさい……」
「いや、正解だ」
そう言った直後だった。
骨のローブを纏った存在が、天井近くに浮かび上がる。
――リッチ。
「来たぞ!」
戦闘が一気に激化する。
ニトの炎が走り、
トルトは大質量の岩を纏った槌を振るい、
ミルカは水流を叩きつけ、
ヘルヴィウスは風で吹き飛ばす。
俺はティマに近づくアンデッドを蹴散らす役に回った。
「リッチの魔法に気をつけろ!」
「わかってんよ!」
黒い魔力弾が連射される。
だがそれらをニトやヘルヴィウスは躱し、トルトの壁に阻まれ弾かれる。
どれも致命打にならない。
だが、問題が一つ。
「……空、飛んでやがるな」
リッチは天井近くを漂い、こちらの攻撃は届きにくい。
一方的に攻撃されているような状況だ。
そして――。
「魔力を貯めてるわ!」
ミルカの警告。
次の瞬間、黒い悪霊のような魔力の塊が、広範囲にばら撒かれた。
蛇のようにうねりながら迫るそれは、
先ほどの魔力弾とは別物だった。
「っ……!」
躱しきれない。
その瞬間、ティマが前に出る。
『輝ける精霊たちよ、集い重なりて、害なすものから我らを守る光の壁を建て……アーシェントム!』
淡く、しかし確かな光の壁が展開され、
悪霊はそれに阻まれ、霧散した。
「……しばらくは、これで……」
ティマの声は少し震えていたが、壁は安定していた。
「よし、作戦会議だ」
俺は声を張る。
「どうする?」
「浄化で消せるんじゃねえのか?」
ニトが言う。
だがティマは、首を横に振った。
「……あんなに、遠くまでは……届かないと思う……」
リッチは、天井近く。確かに遠い。ティマの浄化の魔法の範囲の外だ。
このままでは、決定打がない。
「……引きずり下ろすしか、ねえな。あっ、ケイスケは手ぇ出すんじゃねえぞ?」
「えー……」
「んだんだ。ケイスケがやると、あっという間に終わる気するだよ」
「そうね」
「……経験に、ならないかも」
「ティマさんも同じようなものですけどね……」
「……むぅ」
なんというか、信用があるのかないのか……。
『あらら、完全に除け者だねー』
『主が戦えば、確かにあっという間に決着がつきますものね』
『浄化の魔法で一発だろ?』
『あのくらいの高さなら、簡単に飛び上がれますねー』
『ん。簡単』
精霊たちの俺の評価がえぐい。
いや、簡単じゃないよ? なんでそんなに俺の評価高いの?
俺は遠い目をして、皆の作戦会議を眺める。
とにかく俺の扱いは逆の意味で散々なものだった。
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