第二百五十六話「初夏の昼下がり」
神学校での授業も、気が付けばすっかり日常の一部になっていた。
最初の頃は、異世界の学校、しかも神学校なんてものに通っている自分に違和感しかなかったのに、今では鐘の音で一日が始まり、授業の合間に友人たちと話し、課題に頭を悩ませる生活が当たり前になっている。
「……なんだかんだで、もう入学してから三か月にもなるのか……」
そう呟くと、隣でパンをかじっていたトルトが、もぐもぐしながら大きくうなずいた。
「もうそんなに経つだなあ」
季節も確実に進んでいる。
最近は、屋外で日に当たっていると汗ばむことも増えてきた。校舎の中は石造りで涼しいが、外に出ると日差しはもう初夏に近い。
昼休み。
俺たちはいつものように、木陰のベンチで軽食をとっていた。
「さっきの授業だけど、ケイスケ、ちょっと聞いていいかしら?」
小さなクッキーを飲み込んだミルカが、眼鏡を押し上げながら話しかけてくる。
「ん? なんだ?」
「ケイスケは、休みの日に冒険者として活動しているのよね?」
「ああ、まあな」
先日はニトと組んで、王都郊外の川に出た魔獣退治をしてきた。
イタチの魔獣だったんだが、胴体が異様に長くて、ほとんど蛇みたいな姿をしていた。
前にスラムで受けた依頼のときも思ったが、王都の冒険者組合って、鉄級でも普通に魔獣討伐を振ってくるんだよな。
というか、王都周辺、ハンシュークより魔獣多くないか?
「ケイスケって、魔獣とか魔物とか……倒しているのかしら?」
「まあ、そうだな。結構それ系の依頼はこなしてるぞ」
「そうなのね……。ジェベルコーサ先生が言っていたけど、危なくはないの? 基本的に人を襲ってくるって」
「普通に危ないと思うけど」
即答すると、ミルカは少し眉をひそめた。
確かに、さっきの授業でジェベルコーサ先生は、魔獣や魔物について詳しく説明していた。
基本的な生態や分類は俺の知っている情報と大差なかったが、過去に現れた災害級魔獣の話は興味深かった。
「……き、気を付けてね……」
小さな声でそう言ったのはティマだった。
本当に心配そうな表情で、胸の前で手を握りしめている。
「大丈夫だよ。無茶はしてない」
そう言うと、今度はトルトが身を乗り出してきた。
「仲間はいるんだか?」
「ああ。ニトっていう、ちょっと乱暴だけど、いいやつとよく組んでる」
「なら良かったわ」
ミルカがほっとしたように息を吐く。
会話が一段落した、そのときだった。
「僕もご一緒してもいいかな?」
柔らかな声が、横から差し込んできた。
ヘルヴィウスだった。
入学当初は、正直言って距離があった。
貴族と平民。立場の違いもあって、互いに踏み込みづらかったのだと思う。
けれど、二か月も同じ教室で、同じ授業を受けていれば、嫌でも顔見知りになる。
今では、こうして自然に会話に加わってくるくらいにはなった。
ヘルヴィウスは、貴族であることをひけらかさない。
物腰は穏やかで、誰に対しても同じ態度で接する。
正直、ここの貴族組の中では、かなり好感度が高い。
他の貴族たちはというと……。
少しは丸くなったが、幼い傲慢さがどうしても滲み出ていて、平民の生徒は距離を取っている。
当の本人たちは、それを「恐れられている」と勘違いしている節があるのが、なんとも言えない。
「なんの話をしていたんだい?」
ヘルヴィウスが、にこりと笑って聞いてくる。
「ケイスケの冒険者の話よ」
「ケイスケは、魔獣を狩ってるだあよ」
トルトの説明に、ヘルヴィウスは一瞬だけ目を見開いた。
「そうなんだ……。すごいね、ケイスケは」
彼は、自分が盗賊に襲われたとき、俺に助けられたことを口にしない。
貴族の体面を気にして、というより――俺が目立つのを嫌っていることを知っているからだ。
そういう気遣いができるところも、評価が高い理由のひとつだった。
「そういえば、みんなは休日、何して過ごしてるんだ?」
俺は話題を変えることにした。
「俺は、勉強してるか、散歩だあよ」
トルトはまだ読み書きや計算が得意じゃない。
だから休日も勉強して、気分転換にこの辺りを散歩しているらしい。
実に、トルトらしい。
「私は色々ね。この間はティマと喫茶店に行ったわ」
「へぇ」
ミルカは王都生まれ育ちだ。
この都会にも慣れていて、自然体で過ごしている。
ティマと二人で出かけるほど仲良くなっているのも、見ていて微笑ましい。
勉強したり、買い物に行ったり、たまに甘いものを食べたり――そんな話を、ミルカは楽しそうに続けた。
ティマは少し照れたようにうなずいている。
こうして過ごす、何気ない時間。
「そういえば、ヘルヴィウスは?」
話題を彼に振ると、ヘルヴィウスは少し考えるように視線を上に向け、それから穏やかな笑みを浮かべた。
「僕はそうだね。みんなと一緒だよ。勉強したり、たまに遊びに出かけたり。でも……そうだね、部屋にいることのほうが多いかな」
「そうなのか」
貴族の子息なら、もっと社交やら何やらで忙しいのかと思っていたが、意外と地味だ。
「あとは、この間、観劇にも行ったよ」
「ほー」
思わず間の抜けた声が出た。
観劇。完全に王都っぽい響きだ。
「いいわね! 誰と行ったの?」
ミルカが食いついた。
どうやらその話題の劇を知っているらしい。さすが都会育ちだ。
「カズグラードたちと一緒にね」
その名前を聞いた瞬間、ミルカはわずかに顔を顰めた。
ヘルヴィウスは貴族ということもあり、比較的彼らと仲良く付き合っているようだ。
「ははは、まあ彼らも悪気はないんだよ」
ヘルヴィウスは苦笑しながらそう言った。
「それが尚たちが悪いのだけどね」ミルカの指摘はもっともだったが。
「それは耳が痛いな」と、ヘルヴィウスはさわやかに受け流す。
ミルカも、他の貴族組の前ではこんな言い方はしないだろう。これも、ヘルヴィウスに心を許している証拠だ。
少し雑談が続いた後、ヘルヴィウスがぽつりと言った。
「それにしても……ケイスケがうらやましいな」
「ん?」
突然の言葉に、俺は間抜けな声を出した。
「俺たち庶民からすれば、お前のほうが羨ましいと思うんだが」
率直にそう返す。
貴族の家に生まれ、衣食住に困らず、将来もある程度約束されている。どう考えても恵まれている。
だが、ヘルヴィウスは小さく笑って首を振った。
「貴族なんて、そういいものじゃないよ。きらびやかな生活だけに目を向ければ、そうかもしれないけどね」
「そうだか?」
トルトが素朴に首を傾げる。
「うん。陰謀や策謀が、常に蠢いているんだ。見た目は綺麗でも、中身はどろどろだよ」
ヘルヴィウスは、少し寂しそうにそう言った。
年相応の無邪気さの裏に、早くから現実を見せられてきた影が垣間見える。
「でも、なんでケイスケが羨ましいなんて言うの?」
ミルカが率直に問いかける。
「だなあ。ケイスケは冒険者だから、危険も多いと思うだよ」
トルトも同意するように言った。
ティマもまた、不思議そうな表情でヘルヴィウスを見つめている。
ヘルヴィウスは一度、俺から視線を外し、それから真っ直ぐにこちらを見た。
「ケイスケはきっと、自分だけの力でこの世界を生きていける。そんな気がするんだ」
一瞬、言葉を選ぶように間を置く。
「……僕は確かに貴族かもしれない。光魔法も使える。きっと人よりは恵まれている。でもね、そんなものはまやかしで、僕自身は強くはないんだ」
そう言って、彼は目を伏せた。
その姿は、子爵家の子息という肩書きを脱ぎ捨てた、ひとりの十一歳の少年に見えた。
「……でも、ケイスケは違う」
ヘルヴィウスは再び顔を上げ、俺を見つめる。
「ケイスケは、自分自身の確かな力がある。誰かの地位や名前に寄りかからなくても、立っていられる。僕とは違うんだ。それが……たまらなく羨ましい」
その瞳には、渇望のような感情がはっきりと滲んでいた。
しばらく、誰も言葉を発さなかった。
トルトも、ミルカも、ティマも、ただ静かにその空気を受け止めている。
……正直、困った。
俺自身、自分をそんなふうに評価したことはない。
必死に生きてきただけだし、運に助けられている部分だって多い。
だからこそ、俺は沈黙を破るように口を開いた。
「……なら、やってみるか?」
「え?」
ヘルヴィウスが、きょとんと目を瞬かせる。
「ヘルヴィウスも、冒険者」
その言葉に、ヘルヴィウスは完全に固まった。
ぽかん、と口を開けたまま、数秒動かない。
「僕が……冒険者に?」
ヘルヴィウスは、俺の言葉を何度も頭の中で反芻しているようだった。ぽかんとした表情のまま、少し遅れてそう問い返してくる。
「ああ」
俺は短く頷いた。
考えは単純だ。自分ひとりで生きていける力がないなら、身につければいい。それだけの話だ。
貴族だとか、家柄だとか、魔法の適性だとか。そんなものは確かに有利にはなる。でも、それだけに縋って生きるのは、きっと息苦しい。ヘルヴィウスの言葉を聞いて、そう思った。
「実は俺、銅級に上がったんだよ」
思い出したようにそう言うと、全員が一斉に俺を見る。
「銅級……?」
ミルカが確認するように首を傾げる。
「ああ。先日、冒険者ギルドに行ったときにな」
あの時は、正直俺も驚いた。
依頼の報告を終えて帰ろうとしたら、受付の人に呼び止められて、別室に通されたんだ。
階級が上がるには、試験だの面接だの、いろいろ必要だと聞いていた。だから、何かやらかしたのかと一瞬身構えたくらいだ。
説明を聞くと、どうやら俺のこれまでの任務達成件数と、達成率を総合的に判断した結果らしい。
淡々と「昇級です」と言われて、逆に実感がなかった。
そういえば面接があるって話も聞いたことがあったな、と思って聞いてみたら――。
「ケイスケさんは神学校に通っていることから、免除となります」
と、あっさり言われた。
この国じゃ、読み書きができるだけでも評価が高い。
まして冒険者は体が資本で、学問とは縁遠い世界だ。冒険者だけで見れば、識字率はさらに下がるだろう。
そう考えると、神学校に通っているというだけで、一定の知識が保証されている扱いになるらしい。
ちなみにニトは、依頼関係の字だけは必死で覚えたそうだ。
「どんな依頼で、報酬がいくらか分かれば問題ない」
そう言って笑っていた。まあ確かに、それが分かれば受付で詳細は教えてくれるからな。
「冒険者の銅級って、すごいだか?」
トルトが素朴な疑問を口にする。
「んー、そうだな。中堅の冒険者ってとこか? 銅級になれば、一応一人前って扱いだと思う」
「へぇ、そうなのね」
ミルカが感心したように相槌を打つ。
銅級は冒険者の中でも一番人数が多いと言われている。
ただし、ここから銀級に上がるには大きな壁があるとも有名だ。
「それで、銅級になると、どうなるの?」
ミルカの問いに、俺は少しだけ間を置いてから答えた。
「ああ。一応な、銅級になると、新人の監督ができるようになるんだよ」
「新人の監督?」
ヘルヴィウスが、はっとしたように顔を上げる。
銅級になると、石級の新人冒険者を監督し、指導しながら依頼を受けられるようになる。
これは新人育成のための制度のひとつで、銅級が銀級に昇級するためにも必要な実績だ。
石級や鉄級でも人と組むことはできるが、「監督」という立場にはなれない。
組む、というのはあくまで対等なパーティだ。依頼達成には、それぞれが個別に実績を得る必要がある。
だが監督の場合は違う。監督されている冒険者が依頼を達成すれば、監督側も実績としてカウントされる。
意外と、冒険者ギルドの仕組みはよく考えられている。
「新人の監督……」
ヘルヴィウスが、小さく呟いた。
俺はその言葉を受けて、静かに頷く。
「そう。それなら俺も、いろいろ教えることに集中できるんだよ」
正直、鉄級の時でも一緒に動いて教えること自体はできたかもしれない。
でも、自分の身を守りながら、人の面倒を見るのは難しい。どうしても中途半端になる。
しばらく、ヘルヴィウスは黙り込んだ。
視線を落とし、何かを考えている様子だ。
貴族の家に生まれ、望まれない立場で生きてきた少年。
与えられた枠の中でしか、生き方を選べなかったのかもしれない。
やがて、彼は小さく息を吐いた。
「……なら、お願いしてもいいかな?」
不安と期待が入り混じった声だった。
俺は、その頼みに迷いなく頷いた。
「ああ。任せとけ」
ヘルヴィウスの表情が、ほんの少しだけ明るくなった気がした。
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