第二百五十五話「ダンジョンからの脱出」
中央の大きな棺が、ぎい、と嫌な音を立てて開いた。
中から現れたのは、人の形をしているが、生者とは到底呼べない存在だった。宙に浮き、手には長い杖。ぼろぼろのローブをまとった骸骨――スケルトンだが、ただの雑魚とは明らかに違う。全身から黒い靄が立ち上り、空気そのものが淀んでいく。
「……マジか」
思わず口から漏れる。
どう見ても、魔法職。しかも格が高い。
「リッチか?」
ファンタジーでは定番中の定番。冒険者ギルドの資料で、危険指定モンスターとして載っていたのを覚えている。強力な死霊魔法を使い、倒しても条件次第で復活する厄介な相手だ。
俺がそう判断している間にも、リッチは杖を掲げ、魔力を集束させ始めていた。空間が歪むような感覚。肌が粟立つ。
『魔法が来るっぽいねー』
リラが影の中から、相変わらず軽い調子で念話を飛ばしてくる。
その呑気さが、逆に異常事態を強調しているようだった。
周囲に控えていたアンデットたち――弓矢を持つ骸骨兵が、一斉に構えを取る。
リッチの杖の先に集まった魔力は、黒。
「黒い魔力……」
次の瞬間、それは放たれた。
黒い魔力弾。
数は十を優に超えている。散弾銃のように扇状に広がり、広間全体を覆う軌道。
「さながら闇弾ってとこか!」
自分でも驚くくらい冷静に、そんな感想が口を突いて出た。
だが、内心は焦っている。直撃したらどうなるか、想像もしたくない。
しかしその闇弾が俺たちに届くことはなかった。
『僕の岩壁は、そんな攻撃じゃ壊れないよ』
ポッコの低い声と同時に、地面が盛り上がった。
目の前にそびえ立つのは、巨大な岩壁。だが、ただの岩じゃない。表面にはきらきらとした結晶のようなものが混じり、どこか精霊らしい意匠を感じさせる。
闇弾が岩壁に叩きつけられ、轟音が広間に響く。
衝撃波で空気が震えたが、岩壁はびくともしない。
同時に、骸骨兵たちが放った矢が、岩壁の上空から降り注ぐ――が。
『散らせて差し上げますわ』
アイレの澄んだ声。
突風が巻き起こり、矢は軌道を乱され、あらぬ方向へと吹き飛ばされた。床や柱に突き刺さり、乾いた音を立てる。
『とりあえず、動かないでくださいねー』
次はシュネ。
のんびりした口調とは裏腹に、力は即座に発動した。
空気が急激に冷え込む。
白い霧が立ち、アンデットたちの足元が瞬く間に凍結した。膝から下が氷に閉じ込められ、ぎこちなく軋む音を立てる。
『じゃあ、一気にいくぞー!』
カエリが気合の入った声を上げ、炎を生じさせる。
火は渦を巻き、巨大な熱量となってアンデットの群れへ叩き込まれた。
轟音。
何かが崩壊する音。
それは建造物の破壊音でもあり、同時に、アンデットたちの悲鳴のようにも聞こえた。
火が消えた後、そこに残っていたのは、黒く焦げた床と、崩れ落ちた骨の残骸だけだった。
一体を除いて。
中央に浮かぶリッチは、健在だった。
黒い靄を濃くし、空虚な眼窩でこちらを見据えている。
さすが、というべきか。
俺が息を整える間もなく、リラが言った。
『今度は私の番だねー! 浄化ー!』
「は?」
その声とともに放たれたのは、眩い光――ではなかった。
影。
黒く、しかしどこか澄んだ、光のような影。
それがリッチを包み込む。
黒い光が重なり合い、死霊の魔力を内側から食い破っていくのが、はっきりと分かった。
リッチは抵抗する間もなく、影の中で崩れていった。
骨が砕け、靄が霧散し、存在そのものが消えていく。
あっという間だった。
静寂が戻った広間で、俺は大きく息を吐く。
「……マジか。終わった」
強敵だったはずなのに、精霊たちの連携は完璧だった。
俺は改めて、自分がどれだけとんでもない存在に囲まれているのかを思い知らされる。
静寂が戻った広間で、俺は改めてリラに意識を向けた。正確には、影の中に潜んでいる気配に向かって、だ。
「というか、リラ。闇の浄化って……なんなんだよ、それ」
どう考えても、浄化と闇は結びつかない。
さっきの光景を思い出すたびに、頭の中がこんがらがる。
『へへーん、すごいでしょー? ケイスケの浄化魔法を見て、私でもやれるって思ったんだー』
どこか誇らしげな声。
いや、ドヤ顔が目に浮かぶ。
「確かに、あれは光魔法だから、お前が使えないはずはないだろうけど……なんで光ってないんだよ」
俺の浄化は、少なくとも見た目はちゃんと光っていた。
それなのに、リラのは影。どう見ても闇だ。
『えー? ピカピカ光らせる必要はなくないー?』
「……いやまあ、そりゃそうだけど」
理屈としては納得できなくもない。
でも、感覚的に釈然としない。
『効果は一緒なんだし、気にしない気にしないー』
軽い。とことん軽い。
だが、事実としてリッチは消えた。結果がすべてだ。
なんというか、魔法って発想次第なんだな、と改めて思う。
俺は今まで、浄化するには光と、勝手に線を引いていた気がする。
そういえば、と俺はさっきの戦闘を思い返した。
リッチが使ってきた、あの黒い魔力弾。
「なあ、リラ。リッチが撃ってきたあれ、光魔法なのか?」
『ううん、違うよー』
即答だった。
『魔力の質が澱んで黒かったから、黒く見えただけー。あれは単なる魔力弾だよー』
「……澱んで?」
『ほら、絵具とかって色んな色を混ぜると黒くなるでしょ? あれと一緒ー』
「なるほど……」
わかったような、わからないような。
でも、リラの使う闇みたいな力と同じじゃなくて、あれは別物ってことだけは理解できた。
ふと、広間の奥に視線を向ける。
さっきまで閉ざされていたはずの奥への扉が、いつの間にか開いていた。
振り返ると、俺たちが入ってきた扉も同じように開いている。
「ともあれ、ここは終わったみたいだな」
『じゃあ、帰るー?』
リラの問いに、俺はうなずく。
「そうだな。タイムリミットだ。帰ろう」
ここは死霊の地下迷宮。
別に完全攻略するつもりもなかったし、長居する理由もない。
『なかなか楽しかったですわ』
アイレが満足そうに言う。
『そうだなー。久々に暴れられたからなー』
カエリも肩を回すような気配を出した。
『主が学校に行ってる間は、暇ですー』
シュネは少し拗ねたような口調だ。
『ん。たまにはこういうのも、いい』
ポッコは相変わらず短いが、否定ではない。
でも精霊たちは、概ね満足したらしい。
俺は小さく息を吐き、広間を見回した。
「また来て、今度はちゃんと攻略したいな」
今回はただ単に精霊たちの暇つぶしで潜っただけだ。
本格的に踏破するには、時間が足りない。
そう言葉を置いて、俺たちはダンジョンをあとにした。
――帰り道。
通路を進んでいると、前方からかさかさと嫌な音がする。
骸骨やゾンビが、こちらに向かって集まってきていた。
「……なんか、来る時より魔物多くない?」
『かもねー』
リラはあっさり認めた。
「なんでだ?」
俺の疑問に、アイレが周囲を見渡しながら答える。
『まるで、ここから出すまいとしているようですわね』
その言葉に、俺も同意せざるを得なかった。
明確な敵意。しかも、統率されているような動き。
もっとも、今の俺たちの足を止められるほどの脅威じゃない。
とはいえ、数が多くて面倒だ。
「……リラ。お前の闇の浄化で、一掃していってもらえるか?」
『わかったー! 浄化ー!』
軽い返事と同時に、影が広がる。
ダンジョンの死霊たちは、姿を現した先から次々と、その影に包まれていった。
抵抗する暇もなく、音もなく消えていく。
さっきまで通路を埋めていたアンデットの気配は、あっという間に消失した。
「……便利すぎるだろ」
『でしょー?』
リラは楽しそうだ。
こうして俺たちは、妨害らしい妨害も受けることなく、ダンジョンの出口へと歩みを進める。
死霊の森の地下迷宮は、まだまだ底が知れない。
だが、今日のところはここまでだ。
次に来るときは、もっと深く。
そんなことを考えながら、俺は薄暗い通路を抜けていく。
ダンジョンの出口を抜け、死霊の森の地表に出た瞬間――安堵の息を吐こうとしたそのとき、嫌な予感がした。
森は俺たちがダンジョンに入ったときとは違い、濃い霧が立ち込めていた。
周囲から、かさり、かさりと音がする。背後も含めて。
振り返るまでもなく分かる。追ってきている。
「……マジか」
森の霧の中から、次々と姿を現すアンデットたち。
スケルトン、ゾンビ、それだけじゃない。さっきまで地下にいた連中が、そのまま地上まで出てきている。
「ダンジョンから出ても、追ってくるとか……しつこい!」
『ここもダンジョンの一部だけどねー! 浄化ー』
リラが即座に反応し、影の浄化が放たれる。
前列のアンデットはまとめて消え去った。
だが、それで終わりじゃない。
霧の奥から、また新たな影が動く。
「まだ来るのかよ……!」
『数が多いねー』
リラは相変わらず軽いが、事態は明らかに異常だった。
次に現れたのは、異形だった。
「……獣のアンデットもいるなんてな」
腐り落ちた鹿。骨が露出した狼。
かつてこの森に生きていたであろう獣たちが、死霊としてこちらに牙を剥いている。
『鹿やら狼やら……きっとこの辺りに生息していた獣ですわね』
アイレの声には、わずかな痛ましさが滲んでいた。
アンデットたちの動きは、なりふり構っていられない、という言葉がぴったりだった。
戦術も何もない。ただ数で押し潰そうとしてくる。
「くっ……!」
俺はリラだけに任せるのをやめ、自分でも浄化魔法を使い始める。
白い光が走り、アンデットを消し飛ばす。
だが、追いつかない。
消しても消しても、後ろから湧いてくる。
「このままじゃ、キリがないな……!」
俺は岩山を見つけ、駆け上がった。
視界を確保し、深く息を吸う。
「レガス!」
呼びかけると、空気が震えた。
数秒も経たないうちに、緑がかった鱗を持つ飛竜が空から降りてくる。
レガスは俺の前に降り立ち、低く鳴いた。
「頼む、乗せてくれ!」
俺が背に飛び乗ると、レガスはすぐに翼を広げ、地を蹴った。
視界が一気に上昇する。
アンデットたちが、手を伸ばしながら地上に取り残されていくのが見えた。
「ふいー……」
レガスの背中で、ようやく深く息を吐く。
さすがに、あれ以上は地上で相手をする気になれなかった。
下を見ると、アンデットたちはまだ蠢いている。
表情なんてないはずなのに、必死さが伝わってくるようだった。
「……一体、何がアンデットたちを怒らせたんだ?」
俺はさっきまでの光景を思い返す。
リッチの撃破。広間の殲滅。地表部での破壊。
『アンデットたちっていうより、ダンジョンマスターなんじゃないか?』
カエリの言葉に、俺ははっとする。
「確かに……」
あの統率の取れた追撃。
意思を持っている存在が、背後にいると考えた方が自然だ。
「ダンジョンマスターを怒らせた理由、か……」
思い当たる節が、多すぎる。
「あまりに無双しすぎたからか……?」
精霊たちの連携で、ほぼ蹂躙だった。
あれを侵略と捉えられても、おかしくはない。
「それとも、地表部のオブジェクトを破壊しすぎた?」
アンデットに囲まれ、逃げ道を作るために、かなり派手にやった。
ダンジョン視点なら、完全に迷惑行為だ。
――いずれにしても。
「心当たりしかないな……」
『まあまあー。ダンジョンなんて、侵入されてなんぼでしょー? 気にしない気にしないー』
リラはそう言って、くすくす笑う。
確かに、そうかもしれない。
でも、俺はどうにも割り切れなかった。
レガスの背から、遠ざかっていく死霊の森を見下ろす。
その奥にある、さっきまでいた地下迷宮。
俺は、心の中でそっと頭を下げた。
……悪かったな、ダンジョンマスター。
侵入して、荒らして、好き放題して。
次に来るときは、もう少し加減して、真っ当に攻略しよう。
そんな反省を胸に抱きながら、俺はレガスと共に森を離れるのだった。
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