第二百五十三話「ストレス発散」
やがて、地平の向こうに一本の大きな河が見えてきた。
蛇行しながら流れる水面は朝日を反射してきらきらと輝き、その周囲にはぽつぽつと集落らしきものが点在している。畑や小屋の輪郭も見え、人の生活圏であることがはっきりわかった。
さらに進むと、風景は一変した。
河を越えた先に広がっていたのは、見渡す限りの森だった。
「……あの辺でいいか」
上空から見ても、人工物らしきものはほとんどない。
木々が幾重にも重なり合い、ところどころに岩山が顔を出しているだけだ。
「レガス、降りてくれ」
『ワカッタ!』
レガスは素直に応じ、翼の角度を変えながら高度を落とす。
やがて森の中にぽつんと突き出した小高い岩山の上に、巨体を安定させて着地した。
ごう、と風が収まり、静寂が訪れる。
「ふー……」
俺は岩の上に腰を下ろし、大きく息を吐いた。
「お疲れ、レガス。少し休もう」
声をかけると、レガスは首を傾げてから、少し嬉しそうな声を出した。
『エモノ、トッテキテイイカ?』
「あー……腹減ったのか」
確かに、これだけ飛べば腹も減るだろう。
疲れた様子はまったく見せていないが、食欲は別らしい。
「いいぞ。ただし、遠く行くなよ。集合はここだ」
『ワカッタ!』
そう言うと、レガスは岩山から飛び立ち、森の奥へと消えていった。
念話も通じるし、場所も指定してある。迷子になる心配はないだろう。
レガスがいなくなると、辺りはいっそう静かになった。
空を飛んだせいか、胸の奥に溜まっていたものが少し軽くなっているのを感じる。
俺は持ってきていた簡単な朝食を取り出し、岩の上でかじった。
「……うん、うまい」
食事を終えて一息つくと、自然と考えが巡り始める。
さて、これからどうするか。
正直なところ、特に何も決めていない。
ただ、王都で溜まりに溜まった鬱憤を発散したくて、ここまで逃げてきただけだ。
少し、暴れたい気分ではある。
だが――。
「森を壊すわけにもいかないよな」
見渡す限り、木、木、木。
上空から見てもそうだったが、ここは本当に森のど真ん中だ。
いくつか似たような岩山が点在しているのは見えたが、特別な建造物や遺跡のようなものはなかった。
『どうするのー?』
影の中から、リラの気の抜けた声が響く。
「うーん、何も考えてないけど。なにかあるか?」
『えー? 無計画ー』
「とりあえず、ちょっと逃避行したかっただけだからな」
そう答えると、今度はアイレが落ち着いた声で言った。
『それならば、目的はすでに達成されているのではありませんか?』
「まあな。でも、せっかく来たし、少し体を動かしたい」
『おっ! じゃあ、みんなで暴れるか?』
カエリが楽しそうに言う。
「いや、それはまずいだろ。森が消し飛ぶ」
自然破壊はさすがにまずい。
この辺の感覚は現代人ならではだろうか。
『じゃあ、どうするんですー?』
シュネの間延びした声に、俺はうなった。
「どうするかなあ……」
本当に、何も考えずに来てしまった。
俺は岩山の上に座ったまま、腕を組んで森を見渡す。
そのときだ。
『じゃあ、ダンジョンでも攻略する?』
ぽつり、とポッコが言った。
「……は?」
思わず間の抜けた声が出た。
『この下、ダンジョンあるよ』
「……え?」
聞き返す俺に、ポッコは淡々と続ける。
『正確には、入口は別の場所。でも、足元一帯がダンジョン領域』
「マジか……」
まさか、腰を下ろしているこの岩山の真下に、ダンジョンが広がっているとは。
『主、この森、何か感じない?』
ポッコにそう言われて、俺は改めて周囲に意識を向けた。
……静かだ。
異様なほどに。
風が木々を揺らす音はある。
葉と葉が擦れる、かさりという音もする。
だが、それ以外がない。
「……生き物の気配が、しない?」
『ん。そう。ここ、ダンジョンのせいで生き物がいない』
「言われてみれば……」
鳥の鳴き声も、虫の羽音も、獣の足音もない。
森なのに、命の気配が完全に欠けている。
『主はわかってて、ここに降りたのかと思った』
『僕もそう思ったぞ! ここなら、別に暴れても問題ないしな』
「え? そうなのか?」
思わず声が上ずる。
『この森は、自然な状態ではありませんわ』
『ダンジョンの影響で、生態系が壊れてますー』
『だから、多少壊しても自然破壊にはならないよねー』
アイレ、シュネ、リラが口々に説明してくる。
つまり――。
ここはダンジョンの影響を受けた“ダンジョンの一部”のような場所。
木々も岩も、自然物というよりダンジョンオブジェクトに近い存在らしい。
「なるほど……」
精霊たちの言葉を信じるなら。
ここは、まさに暴れるのに、最適な場所。
胸の奥で、少しだけ黒い感情が蠢いた。
王都で抑え込んできた怒りや苛立ちが、うずうずと顔を出す。
……ちょうどいいかもしれない。
その一方で、ふと思う。
「……レガスの餌、この辺にいなさそうだな」
生き物がいない森。
それはつまり、狩るものもいないということだ。
レガスが戻ってきたら、別の場所を探させる必要があるかもしれない。
俺は立ち上がり、森を見渡した。
「マジか……本当に、都合いい場所に降りたな」
偶然か、それとも必然か。
どちらにせよ、ここは俺のストレス発散にはうってつけの場所らしい。
静まり返った森の中で、俺はゆっくりと拳を握りしめた。
だがひとまず暴れるにしても、一人だ。
それが率直な感想だった。
それから精霊たちと連携して魔法を撃ち、地形を変え、魔力の流れを調整しながら、いくつか試してみた。
制御も連携も、確かに悪くない。むしろ、かなりいい。
だが。
「……張り合いがないな」
呟いた声は、やけに空虚だった。
相手がいない。
的がない。
倒す存在がいない。
だからこそ、力を振るっても、どこか虚しい。
……いや、虚しいなんて言葉で済ませていい状況じゃない。
俺は、今自分の周囲に広がる光景を、改めて見回した。
そこにあったのはカオス、の一言だった。
まず、地面。
広範囲にわたって真っ黒に焦げ付き、踏めばさらさらと崩れる灰になっている。
火の精霊、カエリと連携して放った火魔法の痕跡だ。
その隣には、異様なまでに巨大な氷の塊。
山、と言って差し支えない。
シュネの水と冷却操作を組み合わせた結果、地面ごと凍り付き、氷河のようなものが出現していた。
さらに、天を突くような岩山。
これはポッコと組んで土属性を極限まで引き上げた結果だ。
まるで地面が怒り狂って隆起したかのような、異常な景色。
そして、ずたずたに引き裂かれた森。
アイレの風魔法による竜巻が、木々を根元から断ち切り、吹き飛ばしていた。
どれもこれも大きな運動場どころじゃない。
下手をすれば、街一つ消し飛ぶレベルの規模だ。
「……わー。自然破壊ー」
思わず棒読みで呟く。
『主、これはダンジョンの一部ですわ』
すぐさま、アイレが訂正するように言った。
『そうそうー。だからダンジョンマスターが操作すれば、すぐに元に戻るはずだよー』
リラも軽い口調でフォローしてくる。
「……ほんとか?」
俺は冷や汗をかいた。
理屈ではわかっている。
ここはダンジョンの影響下にある領域で、自然物というよりオブジェクトに近い。
ここのダンジョンマスターがその機能を行使すれば、修復も可能だ。
……可能、なんだろう。
だが、目の前の惨状を見ると、どうしても不安になる。
「いや、これ……やばすぎだろ」
張り合いがないとか、そんな軽い理由で振るった力にしては、結果が重すぎる。
改めて思うが、おいそれと人に向けて使っていい力じゃない。
ふと、王都での出来事が脳裏をよぎる。
総長との、あの強制手合わせ。
あのとき使った、光弾の魔力マシマシ弾。
正直、自分でも引くほどの威力だった。
試しに、ここでも何発か撃ってみた。
だが――。
「……出ないな」
あのとき以上の威力は、なかなか再現できなかった。
確かに、破壊力はある。
だが、あの一撃のような、すべてを塗りつぶすような感覚には届かない。
「やっぱり、あれは……」
俺は小さく息を吐いた。
「あの時、俺、相当キレてたんだろうな」
怒り。
焦り。
恐怖。
そういう感情が混ざり合って、頭の中のリミッターが外れていた。
普段なら無意識にかけているブレーキを、力ずくで引きちぎっていたのだろう。
とはいえ。
「……光弾以外でも、これだもんな」
火、水、風、土。
どれも、基礎魔法のはずだ。
なのに、魔力を込め、精霊たちと完全に連携すると、結果は、この有様だ。
辺りを見渡す。
焦土、氷山、岩山、破壊された森。
この自然破壊のうち、少なくとも半分は、俺の魔法実験の成果だった。
「まさか、基礎魔法で、この威力になるとは……」
思わず、独りごちる。
これが仮にもっと威力があるような魔法ならどうなってしまうのだろう。
『あの神学校の教師も、ケイスケにいいこと教えてくれたよねー』
リラが、どこか楽しそうに言う。
「……ああ」
自然と、あの顔が思い浮かぶ。
ロシオリー先生。
聖女候補のティマびいきで名声を得ようと夢見る教師。だがその魔力制御の力は本物で、きちんと成果は出している。
この力は、便利だ。
強い。
だが、間違いなく――危険だ。
少しでも使い方を誤れば、この目の前の光景のように簡単に破壊の象徴になる。
「でも、少しすっきりしたな……」
人目を気にせず暴れまわって、ストレス発散できたのは確かだ。
胸のモヤモヤは大分小さくなっている。
『じゃあ、次はダンジョン攻略だねー!』
リラがちょっとそこまで散歩でも。というように言ってくる。
俺はそれを聞いて思わず笑ってしまうのだった。
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