第二百三十七話「自主学習」
一日の終わりを告げる鐘の音が、校舎の外からかすかに響いていた。
教室の中には、鉛筆の転がる音と、誰かのため息しか残っていない。
「……疲れただあ……」
「……うん……」
机に突っ伏したトルトとティマの声が重なった。
昨日は魔力を使い果たしてぐったりだったが、今日は違う。
体じゃなく、頭が疲れ切ってる。
たぶん全員がそう思っていた。
俺とミルカだけはまだ座ったまま。
教本を閉じて、深く息をつく。
「みんな、へとへとだな」
「先生、容赦なかったものね」
ミルカが眼鏡を指で押し上げながら苦笑した。
スパルタなラーラパシャ先生の声が、いまだ耳に残っている。
あのテンポの授業についていける新人なんて、そうそういない。
「……ケイスケ、文字、教えてもらえるか……?」
トルトが、机に突っ伏したまま顔を上げた。
真剣な目をしている。
今日の授業で、自分の力不足を痛感したんだろう。
「……ミルカ、私も、お願い……」
「いいわよ。寮でも教えてあげるわ」
ミルカが優しく微笑むと、ティマの表情が少し和らいだ。
同室の彼女に頼れるのは、きっと心強いことだろう。
――と思っていたら、教室の後ろからおずおずと声が上がる。
「な、なあ、俺も、教えてもらえないか?」
ジミーが手を上げた。
その隣で、シプスもすぐに続く。
「俺も教えてもらいたい!」
「わ、私も……」
「わ、私も教えてもらいたいですっ!」
次々と名乗りを上げるのは、ナイセラ、タイーズ。
さっきまで机に突っ伏してたくせに、みんな急に元気だ。
彼らの視線が、俺とミルカに集中する。
「全員となると……」
ミルカが腕を組み、軽く眉をひそめた。
「寮の部屋では狭いわね」
確かに、女子寮で教えるわけにもいかない。
みんなの様子を見て、俺は考える。
「放課後に教室に居残って勉強してもいいのかな?」
「どうでしょう?」とミルカ。
「先生に確認してみるしかないか。みんな、明日俺が確認してみるから、ちょっと待ってくれ」
そう言うと、教室の空気が少し緩んだ。
ジミーが期待に満ちた顔で俺を見てくる。
「そ、それは教えてもらえるってことで、いいのか?」
「ああ、いいよ。みんなでやった方が効率もいいしな」
そう答えると、全員の顔に笑みが広がった。
なんだかんだで、みんな素直だ。
学びたいって気持ちは、どこの世界でも同じなんだなと思う。
翌日、ラーラパシャ先生に放課後の教室利用を相談してみた。
結果は――拍子抜けするほどあっさり。
「構いませんよ。ただし、遅くなりすぎて鍵がかかってしまわないように」
お墨付きをもらった。
これで準備は整った。
週三回の普通科の授業以外の日、放課後に教室で勉強会を開くことが決まった。
月曜日から土曜日までは授業。日曜日は安息日。
この世界では、そのサイクルが延々と続く。
七日間のサイクルはこの世界でも同じ。しかし何故同じなのか? 天体の動きとか一緒ということだろうか?
地球の七日間の曜日の由来は古代メソポタミアにあるとされている。じゃあこの世界では――?
最初の一週間は、まるで嵐のように過ぎていった。
光魔法の授業では、ひたすら光球の維持とコントロール。
手のひらに浮かべた小さな光を安定させるだけで、初心者たちは一苦労だ。
ティマの光はふわりと柔らかく、トルトの光は妙に脈打っていた。
ジミーは勢いよく光を出しすぎて、天井にぶつけて爆ぜさせた。
シプスは「俺のは消えた!」と叫んでいたが、見事に指の影に隠れていただけだった。
生命魔法の授業も続いた。
あの初回のサイコっぷりは何だったのかと思うくらい、今は穏やかだ。
今はとにかく詠唱を覚えること。リズム、発音などに重点が置かれている。
俺達のように生命魔法を使える生徒は詠唱をスムーズにする練習と、使えない生徒の見本で魔法を使うこと。
基礎を何度も繰り返す日々が続いた。
そうして迎えた、初めての安息日――日曜日。
俺は早朝の静けさの中、冒険者ギルドへ向かっていた。
寮の外はまだ薄暗く、石畳の道に朝靄が漂っている。
吐く息が白い。
鳥の鳴き声もまばらで、人影もほとんどない。
この時間なら誰にも見つからずに出られる。
冒険者装備のまま寮の敷地を出るのは、さすがに目立つからな。
トルトには昨夜のうちに話しておいた。
「明日は冒険者ギルドに行ってみる。こっちは俺の用事だし、ゆっくり休んでてくれ」
「わかっただ」
そう言うと、彼は素直に頷いた。
初めての学校生活で疲れが溜まってるはずだ。
それに、彼には別の目的もある。
「……文字を、早く覚えたいからな。俺、家帰ったら、村の子らに教えてやりてぇんだ」
昨日そう話していた。
トルトの目は真っ直ぐで、まるで小さな炎が灯っているようだった。
「マジで立派だよな、お前……」
思わずそう呟いた俺に、彼は照れくさそうに笑っていた。
不器用だけど、真面目で優しい。
彼みたいなやつが、本当の意味で“聖職者”になるんだろう。
――あの大きな背中が、いつか村で子供たちに文字を教えている光景が、目に浮かぶ。
その姿を想像すると、胸の奥がじんわりと温かくなった。
『ケイスケもさ、教師っぽいけどねー。昨日の授業とか、完全に先生ムーブだったじゃん』
影の中から、リラの声が聞こえる。
その軽い調子に、俺は小さく笑った。
あれは仕方ないだろ。ほっといたらジミーが教本食いそうな勢いだったんだぞ。
『いや、でもさ、ちょっと楽しそうだったよー?』
『……まあな。あいつら、やる気は本物だよ』
俺はリラとの念話を切り、足を止めた。
視線の先に、石造りの大きな建物が見える。
王都の中心部にある冒険者ギルド――重厚で光り輝く石壁の建物。
「さて……久しぶりの冒険者活動だな」
『最近は暇だったからな! 暴れたいぞ!』とカエリ。
『お話もあまりできませんでしたー』とシュネ。
『ん。リラとアイレばっかり、ずるかった』とポッコ。
確かに神学校の生活では、夜寝る前の僅かな時間くらいしか、話したりすることもできなかった。
俺自身も最近は満足に剣も振れないから、ストレスが溜まっている。
『前は毎日振ってたもんねー』
『確かに、ああいった時間はとれなくなってしまいましたわね』
俺は小さく頷いた。
ギルドの重い扉に手をかけ、ゆっくりと押し開く。
中からは、温かな光と、かすかな喧騒が漏れ出した。
まだ朝早いというのに、すでに数人の冒険者が受付前に並んでいる。
革鎧のきしむ音、武器の金属音、香ばしい朝食の匂い。
俺はその空気を一歩、深く吸い込んだ。
学校での“学び”とはまた違う、もうひとつの現実。
ここでは、生きるための知恵と力が試される。
――さて、体を動かすことにしよう。
心の中でそう呟き、俺は静かにギルドの中へ足を踏み入れた。
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