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悠久の放浪者  作者: 神田哲也(鉄骨)
第四章

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第二百三十六話「普通科の授業」

 ――あの授業の後、昼の鐘が鳴るまで、誰もまともに口を開けなかった。


 あんなもん、どこの世界の授業だよ。

 生命魔法の適性を確かめるために「自分の腕を切れ」って。

 いまだに、イズミト先生のあの笑顔が脳裏に焼きついて離れない。


 中庭の石畳の上で、俺たちはいつも通り購買で買ったパンやスープを広げた。

 だが、今日の空気はやけに重い。


「……疲れた……」


 ミルカがスープを啜りながら、ため息を漏らす。

 その目の下には、うっすらとクマができていた。


「……まさか、あんな授業だとは思わなかったわ」

「……んだなあ……」


 トルトも眉を下げて、手にしたパンを見つめている。

 彼みたいな豪胆なタイプでも、今日のアレは堪えたらしい。


 俺はというと、いつもの癖でつい「マジか……」と小声で漏らしてしまった。

 横でリラがクスクスと笑う声が、影の中から聞こえる。


『あの先生、ちょっとイカれてるねー。腕切るって、どう考えても実験好きの狂人ムーブじゃん?』

『同感だ……。でも、あれでいて妙に手際が良かった。慣れてるってことか?』

『うん。ああいうタイプ、昔いたよねー? 研究に没頭して寝食忘れる系の人間ー。――あ、ケイスケも似たとこあるみたいだけどー』

『俺はあんなジャ……ナイ、と思うぞ』


 否定しようとして、ダンジョンで寝食を忘れてデータの海に潜った時のことを思い出す。

 でもさすがにイズミト先生のような、あんな感じではないと思うのだ。


『否定しきれてませんわよ、主。ダンジョンのことは、忘れてないですわ』


 そのときその場にいたアイレに言われてしまえば、何も言えない。

 影の中で笑うリラに軽く返しながら、パンをかじる。

 甘いクリームの味が、どこか遠く感じた。


 ちなみにあのあとは普通に詠唱練習をさせられた。

 腕を切らせたかと思えば、今度は「はい、治癒魔法の詠唱を教えますから、一緒に練習してくださーい」って。

 急にまともな授業に戻ったもんだから、全員、逆に混乱した。


「午後は普通科の授業だっけ?」


 俺がそう呟くと、ミルカが頷いた。


「ええ。文字を読み書きできない一年生は全員、履修することになってるらしいわ」

「俺たち、全員出るんだよな?」

「んだ。……俺、文字とか、ようわかんねぇけんど」


 トルトが少し照れたように頬を掻く。

 その隣でティマが小さく口を開いた。


「……私も、読み書き、苦手……」


 そう言って、手にしたパンをちぎるティマ。

 白い指が少し震えていた。


「別に俺達に付き合わなくていいだよ?」


 トルトが気を遣うように言うと、俺は首を振った。


「いや、俺も改めてきちんと勉強したいと思ったから、いいんだよ」


 本当のところ、言葉や文字はチートのおかげで理解できてる。

 けど、それは「身に着けた」わけじゃない。

 体系的に、この世界の教育を受けてみたかった。

 トルトやティマのためってより、俺自身の興味だ。


「……ミルカも、私のためだっていうなら、大丈夫、だよ?」


 ティマが小さく言うと、ミルカは苦笑いを浮かべた。


「何言ってるのよ。午後、授業を受けなければ奉仕活動でしょ? 私もそれより読み書きの授業には興味があるから、付き合うわよ」


 ミルカのその言葉に、ティマの唇がほんの少しだけ緩む。


「……うん。楽しみ……」


 その微笑みを見て、俺は少しホッとした。


「多めに食べ物買っとく必要はなさそうだなあ」

「そうね。そんなに減らないと思うわ」


 昼食を終え、午後の授業が始まる。


 場所は神法科の棟の隣にある普通科校舎。

 石造りで、少し古びた外観をしている。

 扉をくぐると、どこか懐かしいチョークと紙の匂いが鼻をくすぐった。


 受講者は俺たち四人のほかに――。

 タイーズ、ナイセラ、ジミー、シプス。

 計八人。


 タイーズは十歳の、金髪でツインテールの女の子だ。

 一度話したが、とにかく明るい子という印象だ。


 ナイセラは背の高い女子で、くせっ毛のもじゃっとした金髪で、少し暗めの肌をしている。

 あまり口数は多いほうではない。背の高さがコンプレックスなのか、姿勢は背中が丸まっている猫背である。


 ジミーは背が低く、中肉中背の男子。地味な見た目で、農村から出てきたと言っていた。俺の中では食いしん坊キャラである。


 シプスは目の細い狐顔の男子。なんとなく軽い感じの話し方で誰とも話をしている。あの貴族たちとも不通に話しているのを見て、こいつはできる奴だと思った。


 教壇には、一人の老婆が立っていた。


「さあ、授業を始めますよ! まずは教本を取りに来なさい。筆記用具もありますからね、一人一組ですよ!」


 白髪を外はねにしたショートカット。

 眼鏡の奥で光る目が、まるで獲物を見つけた猛禽みたいだ。

 これがラーラパシャ・エイディネ先生。

 見た目こそ細身だが、声の通り方が尋常じゃない。


「うわ、パワフルなおばあちゃんだな……」と俺が呟くと、ミルカが肘で突いてきた。

「こら、聞こえるわよ」


 壇上に並べられた教本と筆記用具を受け取って席に着く。


「さあ席につきなさい。時間は有限。教本を開くのです!」


 テンポが早い。

 先生の言葉通り、授業は休む間もなく進んでいった。


 読み書きの基礎から始まる内容だ。

 俺とミルカは問題なくついていける。

 だが、問題はトルトとティマだった。


「あ、ああぁ……!?」

「えーと……?」


 ふたりとも、まるで知らない言語の辞書を開いたかのような表情で、教本を見つめていた。

 筆記用具の扱いもおぼつかない。

 トルトの文字は、地震の跡みたいに震えていた。


「トルト、落ち着け。とにかく最初は焦らず、丁寧に書くことを意識しろ」

「お、おう……。こ、こうか……?」


 トルトの太い指が、紙の上でぎこちなく動く。

 横でティマも、必死に文字をなぞっていた。


「ティマ、ほら、そこ間違ってるわよ。そこは横に伸ばすの」


 ミルカが柔らかく声をかける。


「……こ、こう……?」

「そう、上手よ。ゆっくりでいいからね」


 いつもは少しきつい口調のミルカが、まるで姉のように優しかった。

 ティマの顔が、うっすらと赤く染まっている。

 その光景に、なんだか胸が温かくなった。


 ラーラパシャ先生はというと、教室を縦横無尽に歩き回り、的確に指導している。


「そこ! ジミー君、字が太すぎます! まるで石に彫ってるみたいですよ!」

「ひぃっ!? す、すみません先生っ!」

「シプス君、顔で笑っても手が止まってます。動かすのは手です。笑うのは後です!」


 まさにスパルタ教育だった。

 だが、教室の空気は決して悪くない。

 むしろ、どこか懐かしい熱気があった。


『ケイスケ、なんか楽しそうだねー』

『……まあな。こういうの、久しぶりなんだよ』


 地球でも、こんなふうに机を並べて授業を受けた。

 ただ、あの頃は退屈で仕方なかったはずなのに、今は違う。

 目の前の仲間たちが、真剣に学ぼうとしている。

 その姿が、妙に眩しかった。


 時間はあっという間に過ぎていった。

 ひたすら文字をなぞり、読み、声に出す。

 そして書く。


 気づけば、窓の外は少し赤みを帯びていた。


「――はい、そこまで! 本日の授業はここまでにします!」


 ラーラパシャ先生の声に、教室の空気が一気に緩む。

 鉛筆の音が止まり、誰かのため息がこぼれた。


 気づけば、俺とミルカ以外、全員が机に突っ伏していた。

 ティマもトルトも、腕を枕にしてぐったりしている。


「……まるで昨日の再来だな」

「んだなあ……」


 トルトが苦笑する。

 俺は静かに教本を閉じ、天井を見上げた。


 外では夕風が木々を揺らしている。

 太陽が傾き、空の色が少しずつ変わり始めている。


『おつかれ、ケイスケ先生ー』

『……誰が先生だよ』


 リラの声にそう返しながら、俺は小さく笑った。


最後までお読みいただきありがとうございます!

ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!


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コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、

どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。


これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!

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