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悠久の放浪者  作者: 神田哲也(鉄骨)
第四章

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第二百三十五話「生命魔法の授業」

すみません、まだまだ授業シーンが続きます。

 鐘の音が神学校の中庭に響くころ、俺たちは新しい教室に集まっていた。

 今日は「生命魔法」の授業だ。昨日の光魔法で全員がヘロヘロになったばかりだが、休む暇もなく次の授業が始まる。


 俺は自分の席に腰を下ろし、ちらりと隣を見る。ティマはまだ少し顔色が悪いが、昨日よりはだいぶマシだ。

 それでも、どこか不安そうに膝の上で手を握りしめている。

 ミルカが心配そうに小声で声をかけていた。


「ティマ、大丈夫? 顔色が悪いわ」

「……うん。少しだけ、眠いだけ」


 ティマの声は小さいが、ちゃんと返事をしている。

 隣のトルトも心配そうに頷いた。


 ほどなくして、教室の扉がゆっくりと開く。


「はーい、みなさん席についていますねー。それでは、生命魔法の授業を始めますよー」


 入ってきたのは女性の先生だった。

 年のころは三十歳前後。

 淡い茶髪がウェーブしていて、まるで風に吹かれた草原みたいにふわふわしている。爆発しているように見えるのに、不思議とまとまっている。

 眼鏡の奥の目は柔らかく、おっとりとした雰囲気をまとっていた。

 ローブの下の体つきは豊満で、正直、視線のやり場に困る。


 名前はイズミト・ククシェヒル先生。

 この神学校でも生命魔法の専門家らしい。


 なんだか、見た目からしてマイペースそうだな……。


「えーと、まずはみんなに、生命魔法が使えるか聞きたいと思いまーす。使える人ー」


 おっとりした声で、のんびりとした調子。


 生徒たちの中で、手を上げたのはまばらだった。

 数えてみると――五人。

 俺、ティマ、ヘルヴィウス、カズグラード、ジミー。


「ふむふむ、なるほどですねー。では、念のため、実践してもらってもいいですか? さあこちらに来てくださーい」


 先生に呼ばれ、俺たちは壇上に上がった。

 クラス全員の視線が一斉にこちらに向く。

 昨日の光魔法のときほどではないが、やっぱり少し緊張する。


「それでは順番に、魔法を見せてくださいねー。最初は……ヘルヴィウスくんからいきましょう」


 壇上に立ったヘルヴィウスが軽く咳払いをして、手を掲げた。


『命の精霊たちよ、わが手に集い集いて、あるべき姿に細胞を修復せよ――レパティオ』


 詠唱が終わると、ヘルヴィウスの手が淡く光を放つ。

 治癒魔法の基本形――患部の再生を促す術だ。対象がいないので、自分の手だけがほのかに輝いている。

 空気がわずかに温まり、静寂が満ちる。


「はい、よくできましたねー。とっても上手ですよー」


 先生がにこにこと笑いながら拍手する。

 その緩いテンションのまま、次はカズグラード。

 彼は二回ほど詠唱に失敗し、舌打ちしながらも三度目で成功した。


 俺はその次。

 いつものように、魔力の流れを意識して、短い詠唱で発動させる。

 光魔法とは違う、穏やかでぬるい感覚。生命魔法はまるで体の奥にある温泉がゆっくりと湧くような感覚だ。


「……よし」


 俺の掌が淡く光る。

 リラが影の中から感想をつぶやいた。


『ふむふむ、やるじゃんケイスケ。悪くないよー』

『なんだよそれ。どこ目線の感想なんだ?』

『え? 精霊目線ー』

『まんまか』


 続いてティマ。

 彼女が小さく詠唱を口にすると、白い光がふわりと手のひらに咲いた。

 まるで光の花が開くようで、教室が静まり返る。


 最後のジミーがやや強引に詠唱を終えたところで、全員が終了。


「はい、ありがとうございましたー。では今魔法を使った人たちは席に戻って、少し待っていてくださいねー」


 俺たちは席に戻り、ほっと一息ついた。

 イズミト先生は再び教壇に立ち、今度は生命魔法が使えない生徒たちを見回した。


「みなさんも知っているかもしれませんがー、生命魔法は光魔法の適性があるからといって、必ずしも使えるわけではありませんー。なのでまずは生命魔法が使えるかどうか、調べることから始めたいと思いまーす」


 おっとりした口調なのに、言っていることは真面目だ。

 その言葉に、生徒たちは首をかしげる。


 でも調べるってどうやって?

 詠唱でもさせるのだろうか?


 先生はおもむろに机の引き出しを開け、中から一本のナイフを取り出した。


「えーと、まずは見本を見せますねー」


 え? 見本? 何の? ナイフで?

 そんな疑問が全員の頭に浮かんだ次の瞬間――。


 先生はためらいなく自分の袖をまくり上げ、ナイフを腕に当てた。


 スッ――。


 鋭い音とともに、白い肌に赤い筋が走った。


「ええぇっ!?」

「わ、わあああ!?」

「きゃああ!?」


 教室中から悲鳴があがった。

 ティマが思わず椅子を引き、ミルカは口元を押さえて目を見開く。

 トルトは「うおっ!?」と声を漏らして立ち上がりかけた。


 先生の腕からは、確かに赤い血が流れている。


「はい、大丈夫ですよー。見えますねー? 私の腕からは今、血が流れていまーす」


 にこにこと笑いながら言うその様子が、かえって怖い。

 誰もが凍りついたまま、先生の腕を凝視していた。


『……ねぇ、ケイスケ。あの人、だいぶヤバいね?』


 リラの軽い声が頭の中に響く。


『いや、マジでヤバいだろこれ……』


 俺が返すと、リラはケラケラと笑った。


『でも、そういう人ほど魔法極めてたりするよー? たぶん、研究バカだねー』

『フォローになってねぇ……』


 場が完全に静まり返ったところで、イズミト先生が穏やかに言葉を続けた。


「ではー、この傷を誰かに治してもらいましょうかー。えーと……そうですね、一番詠唱が滑らかだった――ケイスケ君、お願いしますー」

「……え?」


 いきなりの指名に思わず声が漏れた。


 なんで俺!?


 心の中で叫びつつも、断れそうな雰囲気ではない。

 先生の笑顔がやけに柔らかいのに、なぜか背筋がゾクッとした。


『がんばれー、“人体実験その一号”くんー』

『やめろ、そういう言い方……!』


 俺は仕方なく壇上に上がり、先生の腕に手をかざした。


『……命の精霊たちよ、我が願いに応え、その血と肉を正しき形へ導け――レパティオ』


 淡い緑の光が先生の腕を包み込む。

 滲んでいた血が引いていき、裂けていた皮膚がゆっくりと閉じていく。

 ほんの数秒で、傷跡はすっかり塞がっていた。


「はいー、良くできましたねー。血は残ってますけどー、傷はきちんと塞がってますー」


 先生はにこりと笑いながら、自分の腕をひらひらと動かす。

 教室に安堵とも困惑ともつかない空気が流れた。


「みなさんが生命魔法を使えるかどうかは、この魔法が作用するときの流れを感じられるかどうかで決まりますー。だからこれから、簡単な方法で確かめてみましょうねー」


 彼女はナイフを机にコトリと置き、ゆっくりと全員を見回した。


「そして生命魔法が使えるかどうかは適性だけではなく、受けたことがあるかどうかでも違ってくるんですー」

「……受けたことがあるかどうか?」


 俺は思わず口に出していた。


「そうですー。つまり、自分が一度生命魔法の効果を体感するとー、体が生命の循環を覚えるんですよー。これは近年の研究の結果、わかってきたことなんですがー。実際に光魔法の適性があった、生命魔法を受けたことがある人の生命魔法の習得率は、八割を超えているんですー」


 八割というのは、確かにすごい。

 そうでなかった場合の習得率も知りたいところだが。


「だから――」


 淡々と、まるで料理のレシピでも説明するかのような声。

 そして――次の一言で教室中が凍りついた。


「だからー、まずはこのナイフで軽く自分の腕に傷をつけてくださいねー。それを、生命魔法を使える人に治してもらいましょうー。順番に壇上にどうぞー」

「…………え?」


 誰もが息をのんだまま固まる。


 ……いや、マジで言ってんのかこの人。


 俺の口が勝手に開きかけたが、その前にミルカが小さく叫んだ。


「せ、先生!? 自分で傷つけるって、それは――」

「あらー? 大丈夫ですよー。腕を切ったくらいで人は死にませんからー」


 その笑顔は、完全に悪意のない天然。

 だがその天然こそが、一番怖い。


「で、でも、アポロ神教の教えでは、自傷はダメなことじゃ!?」

「定められているのは自殺についてですからねー。それにちょっとの傷は大丈夫ですよー」


 先生に抗議しているのはローサ・エストという女子の生徒だ。

 確か彼女の両親は神職者だったはず。

 確かに自分で自分を傷つけることとかって、宗教では禁じられていそうだけど、流石は先生。そこにも精通していて論破されてしまっている。


 教室は完全に混乱状態だった。

 ざわめきが広がり、誰も立ち上がらない。

 トルトでさえ、唇をかみながら視線を泳がせている。


「――あらあら? 誰も出てこないんですかー? だったら、こっちからいっちゃいますよー?」


 にこにこと笑いながらナイフを持ち直すイズミト先生。

 教室のどこかから「ひぃっ!?」と悲鳴が上がった。


「あ、あのっ! 俺は行くだよ!」


 そんなとき、最初に立ち上がったのはトルトだった。

 その大きな体がゆっくりと壇上に向かう。

 彼の顔は青ざめているが、決意の色も見えた。


「トルト……無理するなよ」

「だいじょぶだあ……治療してくれるんなら、痛いのなんてすぐだあ……」


 そう言いながら、彼は袖をまくる。

 先生は満足そうにうなずいた。


「いいですねー、では軽く、ほんのちょっとだけ切りますからねー」


 スッ。

 トルトの腕に細い傷が走り、赤い血が浮かぶ。

 彼の眉がピクリと動くが、悲鳴は上げなかった。


「はいー、ではケイスケ君、もう一度お願いしますー」

「……了解っす」


 俺は再び魔法を発動し、トルトの腕を癒やした。

 光が消えると同時に、彼は腕を見つめてぽかんと口を開いた。


「おお……痛くなくなっただ……」

「はいー、いいですねー。このように、実際に受けることで身体が覚えるんですよー」


 その後、ミルカが渋い顔で壇上に上がった。


「……やりますけど、これ、倫理的にどうかと思います」

「倫理ってなんですかー?」

「……もういいです」


 ミルカ、がんばれ……。


 ひとり、またひとりと壇上に上がっていき、教室の空気はもはやカオスだった。

 泣きそうになりながら腕を差し出す子、足が震えて進めない子、そしてそれを見て興味津々な顔をしているイズミト先生。


 彼女の言葉は一貫しておっとりしているが、妙に熱がこもっていた。


「命というのは、とても尊いんですー。だからこそ、失いかける瞬間を知っておくことが大事なんですよー」


 その言葉に、一瞬だけ静寂が落ちた。

 先生の声音が、少しだけ真剣に聞こえたのだ。


「……失いかける、か」


 俺は小さくつぶやく。


『ケイスケー?』

『いや……この人、やっぱり根っこは本気で命に向き合ってるんだな』

『うん、たぶんそう。でも怖いのは変わんないけどねー』


 確かに。

 怖いし、やり方もぶっ飛んでる。

 けど、たしかに命というものを考えさせられる授業だった。


 結局、全員が一通り体験を終えた頃には、教室の空気はどこか達成感すらあった。

 みんな腕を押さえながら、それでも小さく笑っていた。


「はいー、これで今日の授業はおしまいでーす。皆さん、素晴らしい生命反応でしたー」

「生命反応って言い方やめてほしいんだが……」


 俺はぼそっとつぶやいたが、誰も突っ込む気力は残っていなかった。


 こうして、俺たちの血まみれの生命魔法入門は幕を閉じた。

 だが、イズミト先生の言葉――「失いかける瞬間を知る」――は、なぜか頭から離れなかった。


最後までお読みいただきありがとうございます!

ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!


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