第二百二十九話「ティマの魔法」
光球の魔法を消し、小さく息を吐く。
「次は光の幕の魔法。これは光幕と言えばよろしい。使ってみたまえ」
ロシオリー先生の低く、しかしよく通る声が教室に響く。
言葉に抑揚は少ないが、淡々としながらも不思議と圧を感じさせる声だ。
なるほど、光幕。まんまだけど、先生がそう言うなら、今度からそう呼ぼう。
俺は小さく頷いて、再び詠唱に入る。
『輝ける精霊たちよ、集って害なすものから守る光の幕を張れ……キオール』
手を前にかざすと、淡いオーロラのような光が空間に広がった。
揺らめく幕が幾重にも重なり、やがて薄い膜のように教壇を包みこむ。
物理的な防御はないが、魔法的な力を弾く――光魔法の初歩的な防御術だ。
「ふむ。本当に使えるのか。よろしい、次」
ロシオリー先生は短くそれだけ言って、俺に興味を失ったように目を逸らした。
……まあ、先生からすれば大して珍しくもない魔法なのだろう。
でも、なんとなくクラスの空気が変わったのはわかった。
ちらちらと向けられる視線。
あの熊みたいな体格のトルトでさえ、「おお……」と口を開けている。
俺が席に戻ると、トルトが小声でつぶやいた。
「ケイスケ、すげぇだな……あんな光、初めて見た」
「そうか? 練習すればすぐできるさ」
そして――次に名を呼ばれたのは、ティマだった。
壇上へ向かう彼女の足取りは硬く、肩がぎゅっと力んでいる。
指先は微かに震え、白い髪がその震えを受けて細かく揺れた。
緊張しているのがありありとわかる。
通り過ぎる横で、俺は小声で言った。
「ティマ、魔法を使うだけだ。他のやつの視線は気にするな。……俺に、ティマの魔法を見せてくれ」
ピタリと足が止まり、ティマが振り返る。
緊張で強張った顔が、ふっとゆるみ――小さく微笑んだ。
「……うん。ケイスケに、見せるね。……私の魔法」
胸の奥がじんわりと温かくなる。
その一言で、ティマの歩みはまるで別人のように迷いのないものに変わった。
壇上に立つ彼女は、真っすぐこちらを見ていた。
「ティマ、です。光魔法の、適性値は3、です。使える魔法は、光球と、光幕と、あと光弾です……」
「三つか。適性値も高い。よろしい、使ってみたまえ」
ロシオリー先生の声が響く。
やはり、彼女に対してだけどこか期待を含んでいるようにも聞こえる。
ティマの適性値と、使える魔法が三つと聞いてざわめく教室。
先ほどと同じようにロシオリー先生は皆に静粛を促し、ざわめきを治める。
ティマは胸に手を当て、深呼吸をひとつ。
その仕草は緊張を祓うというより、祈りに近かった。
そして――静かに、詠唱を紡ぎ始める。
その姿は、さっきまでの震えが嘘のようで。
光に愛されているかのように、どこか神聖ですらあった。
まずは光球――俺と同じフォティノ。
淡い光の球が、花が咲くようにふわりと生まれる。
次に光幕。
俺のものよりも柔らかく、包み込むような温かな光だった。
教室の空気がほのかに暖まり、息を呑む音がいくつも上がる。
ここまで、完璧。
そして――美しい。
『うんうん、ティマちゃんの光もいい感じー。優しいし、あったかい光だねー』
確かにわかる。
なんというかティマの光は安心するような、優しくも強い光だ。
魔法そのものが、その子の性格を映すと言うなら。
ティマは誰よりも、優しい光の持ち主なのかもしれない。
そして三つ目の魔法。
『リラ、光弾の魔法ってどんな魔法なんだ?』
念話で問いかけると、リラの声がすぐ返ってくる。
その声音はいつものように軽く、けれどどこか楽しげだった。
『あー、ケイスケって実は、魔法の種類そんなに覚えてないもんねー』
『う……。まあ、そうだな。浄化の魔法は使えるけどな』
『そうだねー。魔法を扱う力はあるけどねー。種類はこれから覚えていけばいいんじゃないー?』
『うん、それより光弾ってのは……?』
『見てればわかると思うよー。ほら、もうティマちゃん、使うよー』
確かに、ティマはすでに光球と光幕の実演を終え、わずかに肩を上下させながら三つ目の魔法へと意識を集中させていた。
教室は静まり返り、誰もがティマの周囲に漂う光粒に視線を向けている。
淡い金色の粒子は、彼女の呼吸に合わせるようにふわりと揺れ、まるで拍動するかのようだった。
ティマは息を整え、姿勢を正す。
ロシオリー先生が軽く頷くと、彼女はゆっくりと詠唱を始めた。
『輝ける精霊たちよ、集い輝き、弾となりて穿て……フォティア・ザン!』
詠唱の最後の一節が響いた瞬間――光が爆ぜた。
ティマの手のひらから、眩い光が凝縮された弾丸が飛び出す。
中空を一直線に走り、空気が震えたような感覚とともにロシオリー先生が用意した鉄板へと直撃した。
どん、と重たい音が鳴り、鉄板が後ろへ倒れる。
同時に、焼け焦げた鉄特有の匂いが鼻をついた。
「マジか、鉄板が歪むって、かなりの威力だぞ……」
思わず声が漏れた。
鉄板は貫通こそしていないが、中央部分は大きく凹み、表面には黒く焦げた痕が広がっている。
魔力の密度が尋常じゃない。
同年代の少女が出せる威力とは思えなかった。
『結構強力な魔法だよねー。ティマちゃん、頑張ってるー』
リラが感心したように言う。
ティマは魔力を消耗しきったのか、息を荒げて肩で呼吸していた。
光が消えた手のひらを見つめ、少し震えている。
小柄な体のどこに、あの威力を生む魔力が詰まっているのか……本当に不思議だ。
「ふむ。見事だ」
先生の声には、珍しく感心の響きがあった。
教室もざわつく。
ティマが聖女候補という噂はすでに皆の知るところだが、こうして力を見せられると説得力がある。
ティマの息がようやく落ち着いてきた頃、ロシオリー先生は眼鏡を押し上げ、興味深そうに彼女へ声をかけた。
「たしか君は聖女候補とされる生徒だったな? 光の精霊と契約しているというのは本当かね?」
「え……と」
ティマが不安げに俺を見る。
――どうしよう、という目だ。
俺は、誰にも聞こえないように小さく頷く。
もう隠しても意味はない。
むしろ、ここで認めた方が余計な中傷を避けられるだろう。
ティマは俺の頷きを受けて、決意するようにそっと唇を結んで小さく答えた。
「……はい」
「そうか。精霊を顕現させてもらうことは可能かね?」
「えっと、……はい」
再びざわめきが走り、今度はそれがすぐにぴたりと止まった。
教室中が息を呑んだように静まり返る。
精霊の顕現など、滅多に見られるものではない。
興味というより、畏怖の色すらあった。
先生の意図が、いまひとつつかめなかった。
魔法の授業なのだから、精霊の顕現までは関係ないはずだ。
それでも、ロシオリー先生は興味深そうに眼鏡の奥を光らせていた。
ティマは小さく息を吸う。
そして胸に手をあて、そっと目を閉じる。
まるで誰かに祈るように。
その瞬間――空気が変わった。
ロシオリー先生も、ほかの生徒たちも、誰一人として声を出さなかった。
そしてティマの声だけが教室に小さく響いた。
「……お願い、出て来て、エステレル」
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