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悠久の放浪者  作者: 神田哲也(鉄骨)
第四章

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第二百二十七話「昼の光景」

 午前中の授業が終わると、鐘が高く鳴り響いた。

 神学校の広い中庭には、次第にざわめきが広がっていく。木造の校舎を出る生徒たちの足音がいくつも重なり、昼の光に溶けていくようだった。


「昼休憩は一刻半だ。食堂を利用するなら混むから早めになー」


 教壇の前でジェベルコーサ先生が軽く手を振る。


「外出は禁止だぞー」と冗談めかして言っていたが、こっそり抜け出す生徒もやはりいるらしい。


 神学校の生徒といえど、普通の子供たちというわけだ。

 立ち上がって移動する生徒の波に乗って、俺達も移動する。

 ティマが小さく俺を見上げる。

 昼の光が彼女の白い髪に反射して、柔らかく輝いていた。午前中よりも表情が和らいでいる。緊張していた顔に少し笑みが浮かぶのを見ると、俺の方もつられて口角が上がった。


「トルトも行くか?」

「おう、腹減っただぁ」


 彼は腹をさすりながら立ち上がる。木の椅子がぎしぎしと音を立てた。


 ミルカも眼鏡の奥で微笑を浮かべ、「ご一緒してもいい?」と尋ねてきた。

 こうして、俺たち四人は連れ立って食堂へ向かうことにした。


 食堂は想像以上に広かった。

 白い石壁のホールに、長テーブルがいくつも並んでいる。

 その間を、白いエプロン姿の調理係が忙しそうに動き回っていた。

 パンを焼く香ばしい匂いと、スープの湯気が混じって立ちこめている。


 ……けれど、すでに人が多すぎた。


 席という席が埋まり、列は入口の外まで伸びている。


「これは……並ぶだけで休み時間が終わるな」


 思わず苦笑が漏れた。


「外で食べることもできるんだよな?」

「うん。軽食だけ買って外で食べてる人もいるみたいね」


 ミルカが壁際の棚を指差す。そこには包み紙に包まれたパンや焼き菓子、果物が並んでいた。


「そっちでいいか」

「おう! 外の空気で食った方がうまいだ」


 トルトの即決で、俺たちは軽食を買うことにした。


 俺とトルトは肉を挟んだ分厚いパン。

 ティマとミルカは焼き菓子を選んでいた。

 支払いを済ませると、裏庭にあるベンチへと向かう。


 裏庭は表の喧騒が嘘のように静かだった。

 昼の陽が差し込む木陰の下、石造りのベンチがいくつも並んでいる。花壇には白い小花が揺れ、遠くで噴水の水音が心地よく響いていた。


 俺たちは並んで腰掛けた。トルトが右、ティマが左、ミルカがその隣。


「昼に食いもん食うなんて、都会だなあ」


 トルトがパンをもぐもぐしながら言った。


「お前の村じゃ昼飯はないのか?」

「んだ。朝と夜の二回だぁ。日が高いうちは畑仕事があるでよ」


 なるほど。ミネラ村でもそうだった。

 一日二食、昼は軽く干し肉をかじるか、飲み水だけ。


「そうなのね。私は小さい頃からずっと三食だったから……。お昼がないってあまり想像できないわ」


 ミルカが少し目を見開いてそんなことを口にした。

 ここ、王都では三食が当たり前。贅沢というより、余裕の象徴だろう。


 俺は手にしたパンを見た。

 焼き立ての香りがする。中には香草で味付けされた肉と、炒めた野菜がぎっしり。

 噛むと肉汁が広がり、パンの香ばしさと混ざって、口の中に旨味が染みていく。


「うまいな、これ」

「うん。パンも重くてどっしりしてるだよ。それに、肉と野菜のバランスがちょうどいいだ」


 トルトは俺よりも早く完食した。

 その大きな手で包み紙を丸めると、名残惜しそうに俺の方を見る。


「……まだ腹減ってんのか?」

「ちょっとだけ、な」

「じゃあ半分やるよ」


 俺がパンを半分ちぎって渡すと、彼の顔がぱっと明るくなった。


「おお、ありがとだぁ!」


 嬉しそうにかぶりつくその姿は、まるで子供みたいだった。

 食べるという行為一つで、こんなに幸せそうな顔をする奴を、俺は久しく見ていなかった気がする。


「こっちの、クッキーも……食べる?」


 ティマが遠慮がちに小さな焼き菓子を差し出した。


「いいのか?」

「うん。……ひとつ、だけ、ね」


 差し出されたそれを受け取り、口に入れる。

 サクッと軽い音。小麦の香りが広がり、ほんのり甘い。

 素朴な味なのに、どこか懐かしい気がした。


「美味いな」

「……よかった」


 ティマが小さく微笑んだ。その笑顔は、午前中の緊張で硬かった表情が嘘みたいに柔らかい。

 幸い昼は皆食事に夢中で、俺達もうまく溶け込んでいる。周りを見渡すが変に注目されているようなことはなさそうだった。


 ミルカはというと、手に持った焼き菓子──しっとりとしたマドレーヌのようなもの──を上品にかじっていた。


「それも美味そうだな」


 俺が言うと、ミルカはちらりとこちらを見てから、無言で首を横に振った。


「……これはあげないわ」

「だよな」


 ちょっとだけ味見してみたいと思ったが貰えないなら仕方ない。

 また機会があったら自分で食べてみよう。


「明日は二つ買うだよ!」とトルトが豪快に笑った。


 その声にミルカもふっと笑い、「よく昼にそんなに食べれますね。見ているだけでお腹がいっぱいになりそうだわ」と呆れたように言う。


「食えることは幸せだぁ」


 トルトは口いっぱいにパンを頬張りながら答える。


「……そうだね。本当に、幸せ……」


 ティマの呟きはとても静かだった。

 だが、その言葉には、重みがあった。


 虐待されていた過去を持つティマ。

 貧困と飢えの中で育ったトルト。

 二人にとって、食べることは、当たり前じゃない。

 パンひとつ、菓子ひとつが、生きる証のようなものなのだろう。


 俺は黙って、空を見上げた。

 青く晴れた空に、白い雲がゆっくり流れている。

 風が頬を撫で、パンの香りがまだ指先に残っていた。


『……なんか、いいねー。こういうのー』


 リラの声が影の中から聞こえた。


『平和っていいよねー』

『ああ。まさに、そうだ』


 異世界だの、調律者だの、記憶がどうだの。

 そういう言葉が、いっとき全部どうでもよく思える。

 目の前にいるのは、温かい日差しの中でただ飯を食って笑ってる連中だ。

 それだけで十分だと思った。


「ケイスケ、どうしたの?」


 ティマが不思議そうに首をかしげた。


「いや、なんでもない。……いい昼だなって思っただけ」

「……うん」


 彼女は小さくうなずいて、彼女の光の精霊エステレルが光の粒をふわりと散らした。


 その光が、まるで昼下がりの空気に溶けるようで。

 俺は一瞬だけ、時間が止まったような気がした。


 トルトが笑い、ミルカが眼鏡を指で押し上げる。

 ティマがその光に顔を向けて、微笑んだ。


 ああ、これが「日常」ってやつなんだな。

 それが壊れないように、俺はきっとここにいる。


 昼の鐘が再び鳴るまで、俺たちはしばらく、

 静かにその穏やかな時間を噛みしめていた。


最後までお読みいただきありがとうございます!

ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!


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