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悠久の放浪者  作者: 神田哲也(鉄骨)
第四章

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第二百二十五話「前を向く朝」

「なんか感じ悪くない?」

「折角パトリック様がお声をかけてくださったっていうのに、なに、あの態度」


 歩き出した俺達に向かってわざとらしい、鼻にかかった声が聞こえてきた。

 振り向かなくてもわかる。陰口だ。

 しかも、それを言った女子生徒たちは、俺たちに聞かせるつもりで声を上げている。

 わざわざこっちをチラチラ見ながら喋っているのが見えた。


 ティマ足が止まり、顔から血の気が引いた。

 あれだけ怯えていたのに、ようやく落ち着いたところだったのに、また肩が小さく震えている。

 ミルカがすぐに寄り添って、背中を撫でながら声をかけた。


「ティマ、気にしてはだめよ。あんなの放っておけばいいの」


 だが、ティマの唇はきゅっと結ばれたまま。

 震える指が自分のローブの裾をぎゅっと握りしめていた。


「……ティマ」

「……ごめん、なさい……」


 その一言に、俺の胸の奥が痛くなる。

 なんでこの子が謝らなきゃいけないんだ。


「謝るなよ。悪いのは向こうだ。」

「だいじょぶだか? 怖がらせたやつ、もう行っただ」

「ティマ、気にしないで。あの人たちが悪いのよ」


 俺は小声で言って、わざと大きく息を吐いた。

 怒りを隠すためだ。

 いま睨み返しても、余計に騒ぎになる。ティマを守るには、冷静でいないといけない。


 だが、時間は待ってくれない。

 ミルカが周りを見て焦った声をあげた。


「……授業が始まっちゃうわね」


 確かにもうほとんど俺たちの他に生徒たちは歩いていない。

 いても少し足早で、急いでいるのがわかる様子だ。


「……俺がティマについているから、二人は先に行ってくれないか? 先生に事情を説明してくれると助かる」


 俺がそう提案すると、二人は一瞬迷ったものの、すぐに頷いた。


「わ、わかっただ」

「了解よ。頼むわね」


 別に俺は神学校の成績についてはどうでもいいと思っているから、遅刻して印象が悪くなかろうがどうでもいい。

 でも、トルトやミルカは違うだろう。

 ティマを放っていけるような性格の二人でもないことは、僅かな付き合いでもわかっている。

 俺が助け船を出してあげなければ、二人はいつまでも悩んだままになってしまっただろう。


「こっちこそ、頼んだ」


 ミルカとトルトが頷いて、駆け足で校舎の方へ向かっていく。

 その後姿を見送って、俺はティマをすぐ側の低い花壇のそばの縁に座らせた。


 すると、鐘の音が鳴り響いた。

 金属がぶつかり合うような、荘厳な鐘の音。

 神学校の始業を告げる合図だ。


 ティマが不安げに鐘の音に耳を澄ませる。


「授業が……」

「気にするな。落ち着くまでここにいよう」


 俺がそう言うと、ティマは小さく頷いた。

 その肩のあたりに、ふわりと光が差す。

 エステレルが小さく姿を現し、ティマの肩に乗っている。

 淡い金色の光が、優しく彼女を包んでいた。


 余韻を残し、鐘の音が鳴り止むと、周囲は急に静かになった。


「ティマ、大丈夫か?」


 俺が声をかけると、ティマは俯いたまま、か細い声で答えた。


「……うん。ごめんなさい……」

「仕方ないさ。」


 ティマは小さく頷くけれど、その目はまだ怯えているようだった。

 パトリックのあの堂々とした態度は確かに人当たりがいい。だが、ティマにとっては支配者と同じに見えてしまったんだろう。

 優しい言葉でも、力を持つ人間の目は、彼女にとって恐怖の象徴なのだ。

 そして何よりも、あの女生徒たちのあからさまな悪意。

 ティマは敏感だ。生まれてからずっと、人の顔色を窺って生きてきたのだから。


『んー、困ったねー。ティマちゃん、完全に参ってるじゃん』


 影の中から、リラの声がする。

 姿は見えないが、俺の足元の影がわずかに揺れた。

 ティマの肩を見つめて、どこか心配そうな調子だ。


「……ごめん、なさい……」


 ティマがまた小さくつぶやく。

 俺は首を振った。


「いいさ。今はティマのことのほうが大事だ」

「……うん。ありがとう……」


 その言葉に、わずかに口元が緩んだ。

 ほんの少しだけど、彼女の表情に光が戻った気がした。


 授業初日から遅刻は確定だな……と心の中でぼやく。

 けれど、仕方がない。

 ティマの心を守る方が、よっぽど大事だ。

 トルトとミルカが説明してくれていると信じよう。

 二人ならきっと筋を通してくれるはずだ。


 俺は座るティマの前に膝をついて、彼女の手を握り続けた。

 こういうときは、人のぬくもりを感じた方がいいって、どこかで読んだような気がする。


 春の日差しは温かく、じっとしてそれを浴びていると体も熱くなってくる。

 時折吹く風が若干それを和らげてくれるものの、じわりと汗が肌にまとわりついているのがわかる。 


 だから俺はティマの手から左手だけを離して額の汗を拭う。

 それを見てなのか、ティマは口を開いた。


「……もう、大丈夫。行こう、ケイスケ……」


 ティマが立ち上がって、微笑もうとする。

 その顔はまだ青ざめていたが、それでも前を向こうとしている。

 その強さに、俺は少し驚かされた。


「本当に大丈夫か?」

「うん。ありがとう……」

「無理はするなよ」

「うん」


 彼女は小さく頷いた。

 儚げな笑顔が、曇った空に似ている。

 晴れたようで、どこか遠くに陰りがある笑顔。


 ――ティマは昔、家族から虐待されていた。


 そのことを、ヘズンさんから聞いたのを思い出す。

 アルビノの特徴を持つ少女。銀の髪、白い肌、薄い灰色の瞳。

 俺から見れば幻想的で綺麗だと思うけれど、この世界では違うようだ。

 「神に選ばれた印」と見る者もいれば、「呪われた印」と恐れる者もいる。


 ティマの家族は後者だった。

 生まれた時から「異形」だと罵られ、家の中に閉じ込められていた。

 村人も誰も助けなかった。誰も知らなかったのだ。……いや、知っていてそうしていたのか。それとも知られたらもっとひどいことになっていたのか……。

 そんな彼女を救ったのは――偶然だった。


 ある日、その村に腹を下した助祭が訪れた。

 彼は旅の途中で体調を崩し、たまたまティマの家に転がり込んだ。

 そこで偶然、部屋から出てきたティマに出会ったという。

 その助祭は、ティマを一目見て「何か」を感じ取った。

 話を聞くと、両親は魔法適性の検査すら受けさせていないという。

 助祭は親を叱責し、ティマを教会に連れ出した。

 そして検査を受けさせた結果――光魔法の適性3。

 光魔法の適性があるというだけでも驚かれるというのに、それは驚異的な結果だった。


 そしてそれが、ティマが教会に保護されるきっかけだった。


 その助祭の名はヘズン。

 ハンシュークの教会の、あの少し抜けた青年だ。

 笑いながら「腹をくだしたおかげで人生が変わったよ」なんて言ってたけど、実際、彼の行動が一人の少女を救ったのだ。

 まさに“神の思し召し”というやつだろう。


 ちなみにヘズンさんには恋人がいて、結婚も近いらしい。

 ティマはその話を聞くたび、嬉しそうに微笑む。

 彼女にとってヘズンさんは恩人であり、兄のような存在でもあるのだという。


「……ティマ」

「なに?」

「もし、また何か言われたら、俺が前に出る。だから無理して笑わなくていい」


 ティマは少し驚いた顔をして、それから静かに頷いた。


「……うん。でも、ケイスケが怒られちゃう」

「構わないさ。悪口くらいなら、俺が受けとめる。こういうのは慣れた人間に任せればいい」


 あんな子供の悪口くらい、社会人を経験してきた俺からすれば可愛いものだ。

 クレーム処理の部署にいたときは、それはまあ酷かったものだ。

 在席は一年くらいだったはずだが、そのおかげで随分と鍛えられた気がする。


『ははっ、格好つけたねー、ケイスケ。けど、そういうとこ、嫌いじゃないよー』

「やかましい」


 小声で返すと、リラはくすくす笑いながら影に沈んでいった。


「行こうか」

「……うん」


 立ち上がり、膝のほこりを払って校舎の方へ歩き出す。

 その際に自然と手を放したが、ティマは名残惜しそうにその手を見つめていた。


 花壇の縁から立ち上がったティマは、少しだけ顔を上げ、朝の光を受けた。


「……でも、私も、強くなりたい……。だから……」

「ティマ……?」

「……私にその強さを、もっと教えてね……」


 ティマの声は少し震えていたが、確かな意志を帯びていた。

 頷いた瞬間、彼女の髪が朝日を受けて銀色に輝き、その横顔はほんの少しだけ、凛として見えた。


 遅刻は確定。でも、悪くない朝だ。

 ティマが少しでも前を向けたなら、それで十分だ。


最後までお読みいただきありがとうございます!

ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!


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