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悠久の放浪者  作者: 神田哲也(鉄骨)
第四章

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第二百二十二話「一日目の終わり」

「さあ、次は礼拝堂を見に行こう」


 先生がそう言って歩き出す。

 生徒たちは名残惜しそうに扉を振り返りながらも、その後に続いた。


 それからも案内は続いた。

 校内はとにかく広く、そして複雑だ。

 どこをどう歩いたのか、正直もう自信がない。


 長い歴史の中で増築に増築を重ねた結果、建物の構造はまるで迷宮だ。

 部屋の中に階段だけがある部屋、廊下の途中に行き止まりがある通路、ドアを開けたら反対側の棟に出るという謎構造まであるらしい。


 俺が知ってるどんな学校よりも複雑だ。

 まるでダンジョンだな、ここ。


 ジェベルコーサ先生によれば、神学校の隣には「神学研究院」――通称『神研』の建物が併設されていて、廊下一本で繋がっているという。

 そこでは神職者や学者たちが研究を行っているらしく、学生の立ち入りは制限されている。


 俺たちがその廊下へ向かうと、雰囲気が一変した。

 古めかしい木製の廊下で、歩くたびにギシギシと音が鳴る。

 天井は低く、窓もなく、昼間なのに薄暗い。


『わぁ……いい感じの陰だねー』

『リラ、こういうところ好きですわよね』

『だって落ち着くもん。静かで、ちょっと不気味で、なんか秘密が隠れてそうでさー』

『褒め言葉の方向性が間違ってる気がしますわ』


 影の中で二人の精霊がこそこそ話しているのが聞こえてくる。

 俺も正直、わずかに背筋が寒くなっていた。

 廊下の両脇には燭台型の魔道具が等間隔に設置されていて、ぼんやりと青白い光を放っている。

 どうやら自動点滅式らしく、人が通るとふっと灯り、離れると消える。


 こういう仕組み、俺のいた世界でもセンサーライトって言うんだよな。

 でも、魔法でそれをやってるあたり、なんか面白い。


 廊下を抜けた先には、またしても重厚な木の扉があった。

 古びているが、造りはしっかりしている。

 取っ手を握って押してみたが、びくともしない。


「ここは……?」


 俺が尋ねると、先生が振り返って言った。


「神研の保管庫だ。学生は立ち入り禁止になっている。許可がないと入れないぞ」


 ためしに少し力を込めてみたが、本当に動かない。

 鍵穴らしいものも見当たらない。


『魔法的なロックがかかってるねー。多分、魔力を読み取るのかなー』

『なるほど。指紋認証みたいなもんか』


 この学校、どこを見ても魔道具だらけだ。

 扉、照明、清掃用のゴーレムまであるという。

 それだけ技術が発展している証拠でもあるが――。


「やっぱり都会って感じだな」


 俺がぽつりと呟くと、トルトが後ろで「んだな」と短く返した。

 ティマは無言のまま、廊下の明かりを見つめている。

 青白い光が彼女の白い髪を淡く照らして、まるで本当に光の精霊みたいに見えた。


 その後も案内は続いたが、俺の頭の中は半分『神研』とその保管庫のことでいっぱいだった。

 あの建物の中にはどんな知識が眠っているのだろう。

 きっと、長い歴史の中で積み重なった、膨大な歴史が詰まっているのだろう。


 たぶん、ここにいる生徒の中で一番そのことを気にしてるのは俺だろう。

 でも、今ここで無理に探るわけにもいかない。


『夜になったら行くー? 私たちなら、入れるかもよー』


 リラがいたずらっぽく囁く。


『……行かないぞ』

『ふふ、そう言う人に限って中まで入っちゃうんだよね〜』

『俺を何だと思ってるんだ』

『ふふふー。秘密ー』


 ふと振り返ると、暗い廊下の奥に光が一瞬、揺らめいた。

 青白い燭台の光とは違う、もっと柔らかい、金色の――。


『ケイスケ?』

『……いや、なんでもない』


 見間違いだろうか。

 そんな不思議な感覚を胸に抱えながら、俺たちは再び明るい廊下へと歩き出した。


「よし、では今日のところはこれで終わりだ。明日からしっかりと勉強に励むように」


 教室に戻り、ジェベルコーサ先生の穏やかな声が響いた。

 俺たち一年生の初日は、こうしてあっけなく終わった。


「はいっ!」


 生徒たちの明るい返事が重なり、教室の空気が一気に緩む。緊張していた顔、眠そうな顔、どこか達成感のある顔――みんな一様にほっとしているようだった。

 それもそのはずだ。長い入学式と校内案内を経て、ようやく最初の一日が終わったのだから。


 教師が去ると、生徒たちはざわざわと立ち上がり、何人かは話しながら寮へと帰っていく。

 俺たちもそれに倣って席を立った。ティマは俺の隣、トルトはいつものように後ろだ。

 なんとなく、もうこの並びが定位置になりそうな気がしている。


 初日ということで授業は早く終わったが、明日からはどうなるのだろう。

 神学に魔法、教理、祈りの作法――聞くだけでも盛りだくさんだ。

 ジェベルコーサ先生たち教師は授業の準備に加えて聖職者としての務めもある。

 そう考えると、教師って案外ブラック職なんじゃないかと思う。


 ……ああ、こういう考え方、社会人時代のクセが抜けないな。


 日本でサラリーマンをしていた頃、学生の「先生」なんてお気楽だと思ってたけど、実際はそうでもない。

 教師もまた、神に仕える一つの職業ってわけか。


「ティマ、同室の人はいい人そうか?」


 俺がそう尋ねると、ティマは小さく首をかしげ、少し考えるようにしてから答えた。


「……うん……良い人、だったよ」


 どうやら女子寮では相部屋らしい。

 ティマのルームメイトは、昼間見かけた眼鏡の女の子だった。

 利発そうで、控えめに自己主張するタイプ。

 確か名前は――。


「ミルカ……だよ」

「そうそう、ミルカだっけか」


 ティマが小さくうなずく。


 ミルカ・ノーツ。暗い茶色の髪に、深い紺色の瞳。今の俺の髪と目の色と同じだ。

 背中までのまっすぐな髪をリボンで軽くまとめ、整った印象を受ける。年は十三。

 年齢だけ見れば俺と同じだが、落ち着き方はまるで違う。


 真面目で筋の通った子――そんな印象だった。


「ティマ!」


 名前を呼ぶ声に振り向くと、そのミルカ本人が教室の入口に立っていた。

 眼鏡の奥の瞳がきらりと光る。


「あっ……ミルカ」


 ティマが小さく笑う。

 どうやら、もうすっかり打ち解けたようだ。


「一緒に帰るわよ!」


 その言葉は、まるで当然のように明るく響いた。

 ティマの小さな肩がわずかに揺れる。

 友達と呼べる相手ができたことが、彼女にとってどれだけ貴重なことか、俺は知っている。


 ――ほんと、よかったな。


「あら? あなたたちは……」


 ミルカの視線が俺とトルトに向けられた。

 少し首をかしげてから、俺が口を開く。


「ケイスケだ」

「トルトだあ」


 名乗ると、ミルカは小さく笑って、すっと右手を差し出してきた。


「ああ、なんだかあなたたち仲が良さそうね。私はミルカよ。よろしく」

「ああ、よろしく」

「よ、よろしく、だあ」


 握手を交わす。

 柔らかい手のひらだが、意志の強さを感じた。


「貴方たちも寮へ帰るんでしょ? 一緒に行きましょうよ」

「ああ、いいのか?」

「……? 当然じゃない。さ、行くわよ」


 言葉に裏も遠慮もなく、あっさりしている。

 嫌味がなく、気持ちいいくらい真っ直ぐな性格だ。


 廊下に出ると、夕方の光が斜めに差し込み、長い影を伸ばしていた。

 神学校の建物はどこも白く、ほんのり金色に染まって見える。

 どこか神聖で、同時に人の温かみも感じる光景だ。


「ティマとは、知り合いなのよね? なんだか今日も一緒にいたし」

「ああ。ティマとはハンシュークの教会で知り合ったんだ」

「う、うん。ケイスケ、とは……友達、だよ」


 ティマの声が小さく震える。

 でも「友達」という言葉をちゃんと口にしてくれた。

 俺の胸の奥がじんわりと温かくなる。


 ティマが他人に心を開くのは、そう簡単なことじゃない。

 ヘズンさんに聞いたが、虐待されて育った彼女にとって、人と関わることは恐怖でもある。

 それでも彼女が「友達」と言ってくれた。


 ――それだけで十分だ。


「友達、ね」


 ミルカは小さく笑って、ティマの肩を軽く叩いた。


「うん、そうだね。じゃあ、私も友達ってことで」

「……うん」


 ティマの表情がわずかに和らぐ。

 その笑顔を見て、ミルカもつられて笑った。


 なんというか、見ていて安心する組み合わせだ。

 ミルカの真面目さとティマの静けさは、意外と相性が良さそうだった。


「ミルカは王都出身なんだよな?」

「ええ。壁の中よ」


 さらっと言うが、王都の中の居住権は庶民には簡単に得られない。

 彼女の家は裕福な家庭なのだろう。

 貴族ではないが、生活には困らない階層――中流以上というやつだ。


「父は建築士なの。母は料理人。だから、建物とか食べ物の話なら、ちょっと詳しいわよ」

「へえ、すごいじゃん」

「王都のことは何でも聞いてね!」


 ミルカは胸を張って笑う。

 その明るさが、どこか懐かしい。

 日本の中学で、クラス委員長をしてたようなタイプだ。


「じゃあ、また、ね」


 女子寮と男子寮の分かれ道で、ミルカとティマが立ち止まった。

 寮の建物は二つの塔のように並んでおり、片方が男子、もう片方が女子。

 中央には小さな噴水があり、夕陽に照らされて水が金色に輝いている。


「ああ、また明日」

「また、なあ」


 手を軽く振って、それぞれの寮へ。

 ミルカとティマの後ろ姿がゆっくりと遠ざかっていく。

 並んで歩く姿が、なんだか微笑ましかった。


『ティマと一緒にいた子、良い子そうだねー。光もキラキラしてたー』


 リラの声が影の中から響いた。

 姿は見えないけど、俺の足元でふわふわ漂っているのがわかる。


『ああ、良かったよ。ティマが孤立するかもと思ってたからな』

『あの子、正直者だねー。ああいう子は好きだよー』


 リラが楽しそうに笑う。

 精霊に「光がきれい」と評される相手に悪い人間はいないだろう。

 ミルカ・ノーツ、見た目どおりのいい子らしい。


 寮の玄関をくぐると、広いホールには長椅子と掲示板があり、壁には神の教えを記したプレートが並んでいる。

 天井には魔道具の灯りが浮かび、やわらかい光を放っていた。


 ……一日が、ようやく終わった。


 いろんなことがあった。貴族たちの自己紹介、校内見学、「試しの扉」。

 どれも興味深くて、どこか落ち着かない一日だったけど――

 こうして一日の終わりに仲間と笑い合えた。それだけで十分だ。


 部屋に戻ると、トルトがベッドに腰を下ろしながら大きく伸びをした。


「ふあぁー……けっこう疲れたなあ」

「だな。見て回るだけで迷宮探索並みだった」


 思わず笑って、ベッドに倒れ込む。

 ふかふかの布団が背中を包み、目を閉じると今日の出来事が頭の中を巡る。


 ティマの笑顔。

 ミルカの明るい声。

 ジェベルコーサ先生の穏やかな表情。


 ――ああ、悪くない一日だったな。


 こうして、俺の聖ソフ・パンタイレス神学校での最初の一日は、静かに終わりを迎えた。


最後までお読みいただきありがとうございます!

ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!


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これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!

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