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悠久の放浪者  作者: 神田哲也(鉄骨)
第四章

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第二百十九話「入学式」

 入学式の朝。

 講堂には新入生たちが列を作って並んでいた――いや、正確には「列を作っているような気がする」程度だった。

 きちんと整列しようという意識が薄い。前の奴の背中と自分の間に空間が空こうが、誰も気にしていない。

 俺だけが微妙に落ち着かない。


 なんだろう、このもやもや。

 「きっちり並ばないといけない」っていう感覚が骨に染みついてるのは、やっぱり日本人だからなんだろうな。

 向こうの世界では、入学式といえば体育館で校長先生の話を聞き、姿勢を正して礼するものだった。

 でもここは異世界だ。誰もそんなこと気にしていない。

 隣の生徒なんて、欠伸を噛み殺しながら隣と雑談してる。


 「なんとなくこの辺にいればいい」――どうやらそれがこの神学校流らしい。

 でも、上級生たちを見ると不思議と整って見える。

 あれは整列しているというより、自然に秩序ができている感じだ。

 もしかしたら、こういうのもこの学び舎の中で学んでいくことなのかもしれない。


 講堂の奥、壇上の扉が開いた。

 ざわめきが静まる。

 ゆっくりと、白いローブを纏った老人が姿を現した。

 神学校の最高責任者――大司教バッシアーノ・セルムゴート。


 白髪に白ひげ。

 豊かにたくわえた髭が胸のあたりまで流れ落ちている。

 着ているローブは質素だが、布の質は一目で上等と分かる。

 その佇まいだけで、場の空気が締まる。

 言葉を発する前から、生徒たちは背筋を伸ばしていた。


 俺の頭の中に浮かんでいた「異世界の学長像」がまさに彼だった。

 ひげを蓄えた知恵者、静かに笑みを浮かべながらも圧倒的な威厳を放つ老人。

 俺は別の意味で感心していた。


 いや、ほんとにいるんだな、こういう人。


 壇上の中央まで歩くと、学長は杖を軽く床に突いた。

 木霊のように、講堂全体に音が響く。

 その瞬間、全員の視線が彼に吸い寄せられた。


「――まずは新入生の諸君、入学おめでとう」


 低く、しかしよく通る声。

 音の一つ一つに重みがある。


「今日の良き日を、アポロ神はきっと喜んでおられるであろう。この日までに、諸君らはそれぞれ異なる道を歩み、異なる苦難を乗り越えてきた。ある者は貧しき村から、ある者は名門の家から、ある者は己の信仰を頼りにここへ来た。だが、いまこの講堂に立つとき――諸君らは、すべて等しく“学ぶ者”である」


 学長は一度、ゆっくりと講堂を見渡した。

 その視線が俺の方へも流れてきた気がして、思わず背筋を伸ばす。


「神の教えを学ぶ学び舎にあって、最も大切なのは、“己の意志”である。諸君らの胸には期待もあれば、不安もあろう。だが心配することはない。神は、乗り越えられぬ試練を与えぬ。されど、乗り越えるための努力を怠る者には、試練の意味すら見えぬであろう」


 杖を軽く掲げ、老人の声がさらに響く。


「聖人カザレット・ボルトエンジはこう語った。“努力は裏切らぬ。一歩を恐れぬ者のみが、神の祝福を受ける”と。彼は若き日に疫病に倒れ、神に見放されたと思いながらも、決して祈りを止めなかった。その姿を見た者たちは言う――。“彼の祈りは奇跡ではなく、努力そのものが奇跡であった”と」


 講堂が静まり返る。

 まるで時間が止まったように、全員がその言葉を噛みしめていた。


「諸君らにも、やがてそれぞれの試練が訪れるであろう。だが恐れることなかれ。神は諸君らの歩みを見守っておられる。祈りと努力を忘れぬ者こそ、アポロ神の光に照らされるであろう」


 ゆっくりと杖を下ろし、老人は静かに微笑んだ。


「……儂からは以上じゃ」


 その瞬間、講堂に拍手が響いた。

 誰からともなく、自然と起こった拍手。

 形式的な礼ではなく、心からの敬意がそこにあった。


 信仰心などない俺にも、言葉が染み入ってくるようだった。これが、この世界の学びなのかもしれない。

 知識だけじゃなく、信仰と心を育てる場。

 ちょっと眩しい世界だな、と俺は思った。


 その後、壇上に壮年の男女が数人ずつ上がっていった。

 初等部の担任が三人、中等部と高等部の担任がそれぞれ二人。

 それぞれ名前と担当学年を告げて降りていく。

 どの教師も神官服を着ているが、顔つきや雰囲気はまるで違う。

 厳格そうな者もいれば、柔らかい微笑みを浮かべる者もいた。


 初等部一年の担任は、三十歳前後の若い男性だった。

 柔らかな茶髪に穏やかな目。

 第一印象は「真面目そう」よりも「優しそう」だ。

 たぶん新入生の不安を受け止める役割なんだろう。


 続いて、教義科と神法科の教師たちが紹介された。

 教義科ではアポロ神教の根幹である白典の読み書きや、儀式、礼拝の仕方などを教わるという。

 白典の原書は古い言語で書かれており、現代語訳されていない部分も多いらしい。

 つまり、原典を読めるようになるだけで、立派な聖職者になれるということだ。


 一方、神法科は光魔法や生命魔法の魔法理論や詠唱の正確さ、魔力制御の訓練など、より実践的な内容。

 リラが俺の影の中で小声を漏らした。


『ケイスケ、こっちは結構ハードそうだねー。魔力の制御、得意じゃないと大変そー』

『詠唱はともかく、魔力制御か……。確かに苦手かもな』

『だよねー。ケイスケってば魔力は有り余るほどあるけど、その分制御が苦手だもんねー』

『ここでじっくりと学びたいところだな』

『まあ、なんとかなるでしょー』


 軽い励ましが返ってくる。


 さらに、普通科という言葉が壇上から聞こえて、トルトがぴくりと顔を上げた。


「普通科では、読み書きや計算ができない生徒のための授業を行います」


 教師の説明に、トルトの表情が少し緩む。


「トルト、良かったな」

「……あ、ああ。読み書きも、教えてくれるだな」


 トルトは大柄な体を少し縮めながら、安堵の息をついた。

 彼の出身はカラフィン領の小さな開拓村、テルカ村。

 畑を耕す毎日で、文字を学ぶ機会なんてなかった。

 識字率の高かったミネラ村でも、きちんとした教育を受けていたのは村長の娘ロビンくらいで、他の子はせいぜい簡単な文字が読めて数字を数える程度。

 読み書きができないのは、この世界では珍しいことではない。


 けれど、王都の学校ともなれば話は別だ。

 識字できないことに引け目を感じる生徒も多いらしい。

 だからこうして普通科が設けられているのだろう。

 少なくとも、トルトがここで堂々と学べるなら、それでいい。


 学校で教えてくれるなんて、当たり前のことじゃないか。

 そう思いかけて、ふと苦笑する。


 そうだ、この世界では俺の当たり前なんてものが、どこにもないんだ。


 式の終盤、再び学長が壇上に立つ。


「では、アポロ神に祈りを捧げよう」


 全員が胸に手を当て、静かに頭を垂れた。

 光が講堂の天井から降り注ぎ、ステンドグラスを透過して床に色を落とす。

 赤、青、金――それが混ざり合い、まるで神の息吹のように揺らめいていた。


 この世界に来てから何度も見てきた“光”だけど、

 今日はなぜか、少しだけ心がざわついた。


 ――神って、何なんだろうな。


 その問いの答えを、俺は知らない。

 けれど、今はただ、目の前のこの世界を見つめよう。

 この学び舎で、何を得ることができるのか。


 式が終わり、生徒たちがざわめき始める。

 さきほど紹介された担任の先生が各学年に声をかけている。

 どうやらこれから教室へと移動するようだ。

 人の流れに従い、はぐれないようについていく。


 俺の歩く隣にはティマ。後ろにはトルト。

 騒めきの中足を動かしているとティマが小声で言った。


「……ケイスケ君……頑張ろうね」


 俺はうなずき、静かに答えた。


「――ああ、頑張ろうな、ティマ」


 光差す講堂を出ると、太陽の光が俺達を照らした。

 ティマの微笑みが、光に照らされて輝いた。


最後までお読みいただきありがとうございます!

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