第二百十七話「王都での魔獣退治」
入学式は二週間後――。
その間は基本的に自由。
寮に入った以上、生活にはある程度の規律がある。だが、門限以外に特別厳しい決まりはない。
深夜から早朝にかけて寮の門が閉まる。それだけだ。要するに、夜遊びさえしなければ問題ない。
そんなわけで、俺はこの一週間、王都をぶらぶら歩き回っていた。
神学校の周辺を中心に、街並みを眺め、人々の生活を観察する。
パン屋からは焼き立ての匂いが漂い、広場では吟遊詩人が竪琴を奏でている。
行商人が馬車を並べ、子どもたちが駆け回り、空には白い鳩の群れが旋回していた。
王都の空気には、活気と秩序が入り混じっている。
ハンシュークも都会だったが、ここは次元が違う。
地方都市と東京の違い、とでも言うべきか。人の流れが絶えることがない。
獣人の商人たちは豪快な声で客を呼び込み、貴族らしい装いの人々は通りを静かに歩いていく。
石畳を馬車の車輪が軋ませ、時折、遠くの教会から鐘の音が響く――。
そんな光景を見ているだけで、どこか心が落ち着いた。
……いや、正確には、落ち着きすぎて手持ち無沙汰になった。
冒険者としての活動は休止中とはいえ、まったく体を動かさないのは性に合わない。
剣を握らないと、自分の感覚が鈍っていく気がした。
要するに――暇だったのだ。
そんなとき、冒険者ギルドの掲示板で一枚の依頼書が目に留まった。
『王都下水道の魔獣退治』。
内容は、下水道に巣食った鼠型の魔獣の討伐。
危険度は低く、鉄級でも受けられる。報酬は悪くない。軽い肩慣らしにはちょうどいい。
依頼書を手に取って眺めていると、背後から懐かしい声が響いた。
「お、ケイスケじゃねえか」
振り向くと、そこにはオールバックの髪をしたニトが立っていた。
相変わらず、かなりガラの悪い不良っぽいが、どこか憎めない顔をしている。
「おお、ニト」
ニトとは三日ほど前に再会した。
兄貴たちが死んでしまい、天涯孤独の身となってしまったニトだが、その兄貴たちとも血が繋がっていたわけでもなく、もう完全に吹っ切れているらしい。
まだ金は返せねえぞ、と言われたが全然構わない。
そう伝えておいたはずなのだが、ニトは意地でも返すと言ってきかなかった。
「せっかくだから、一緒にこの依頼やらないか?」
「……鼠の魔獣かよ」
「まあまあ、報酬もいいし、軽く体慣らしにはちょうどいいって」
「下水道だぞ? あそこ臭えんだよなぁ……」
文句を言いながらも、ニトは結局ついてきてくれた。
口では嫌がっていても、こうして誘いに乗ってくれるあたり、やっぱり根は面倒見のいい奴だ。
俺たちは装備を整え、昼前には下水道の入口へと向かった。
鉄の格子がかけられた階段の下は薄暗く、どこかひんやりとしている。
「しかしよ、王都の下水道ってのはな……」
ニトが階段を降りながら言う。
「迷宮みたいなもんなんだ。全体を把握してるやつなんて誰もいねえ。本当にダンジョンと繋がってるって噂まであるくれえだ」
「え、マジで?」
「そんなことも知らねえのかよ」
「仕方ないだろ、王都に来てまだ一週間なんだから」
「お上りだもんな、お前」
軽口を交わしながら、二人で階段を降りていく。
下水道の中は湿った空気が満ち、壁や天井からは冷たい水滴が落ちていた。
俺は光の魔法で小さな光球を作り出し、通路を照らす。淡い光が壁の苔を照らし、ゆらゆらと揺れた。
「おい……それ、光の魔法か?」
「見ての通りだよ」
「マジかよ。お前、神学校に行くんだっけか? ほんと変な奴だな。将来神さんの仕事するようなやつが、俺なんかと一緒に下水道潜ってんだからよ」
「別に問題ないだろ。俺は俺のやりたいことをやってるだけだよ」
俺がそんなことを言うと、ニトは「ほんと、変な奴だよな、お前って」と呟いた。
進むうちに、鼻を突く悪臭が漂ってくる。
とはいえ、俺はアイレに頼んで簡易的な空気遮断をしてもらっている。
おかげでほとんど臭わない。
「……なんだか今日は臭くねぇな?」
ニトが不思議そうに鼻を鳴らす。
「気のせいじゃないか?」
「いや、絶対おかしい。まあいいけどよ」
足音が水面に反射し、低く響く。
しばらく進んだ先――崩れかけた壁の向こうから、かすかな鳴き声が聞こえた。
光を当てると、青白い目が三対、暗闇の中で光った。
毛並みは汚れ、体長は犬ほどもある。
鼠の魔獣だ。
「来るぞ!」
「任せろ!」
ニトの武器はナイフ。
肉体強化魔法は得意なのか、身のこなしがよく、力も強い。
一度力比べをしたら、持続力では俺の方が上だったが、瞬発力では負けた。
総合的には勝っているが、多分ニトは随分と尖った能力を有しているようだ。
ニトが前に出てナイフを構え、俺は剣を構える。
「強い光の魔法を放つから、気を付けて!」
「おう!」
光球が弾け、通路全体が一瞬、昼のように明るくなる。
鼠たちが怯んだ。
その隙を逃さず、ニトが一直線に飛び込み、一匹の首元に鋭い一突き。
刃が骨を貫く感触が響き、鼠が崩れ落ちる。
残る二匹が暴れながら突進してきた。
俺は光球を操り、眩い光を閃かせる。目を焼かれた鼠の動きが鈍る。
その隙に、一匹を斬り伏せ、ニトが拳に魔力を纏わせてもう一匹を沈めた。
――戦闘は、ほんの数分で終わった。
狭い通路に響いていた金属音も、今はただ滴る水音だけ。
俺は剣を軽く振って血を払うと、足元に転がる鼠の魔獣の死骸を見下ろした。黒ずんだ毛並みの隙間から、うっすらと青光りする魔石が覗いている。
膝をついて、それを丁寧に取り出した。
「……青い魔石、か」
「おう。下水道の魔獣のくせに、けっこう綺麗じゃねえか」
青、ということは、水属性ということか。
しかし血の汚れを拭ったが……どうにも飲み込む気にはなれなかった。
「今日はありがとう、ニト」
「おう。思ったより簡単だったな」
彼は気楽に笑う。
報酬は山分け。安い依頼ではあったが、こうして一緒に汗を流す時間は悪くなかった。
久しぶりに、誰かと肩を並べて戦った気がする。
「じゃ、また」
「おう、またな」
軽く拳を合わせ、俺たちはそれぞれの方向へ歩き出した。
ニトは次の仕事に向かうという。どうやら先日受けた荷物運びの仕事が性に合っていたらしく、定期的に受けているようだった。
あの不器用そうな性格なのに、人の役に立つことを嬉しそうに語る姿が、少しだけ印象的だった。
「またな……か」
『ふふふ、意外といいコンビになりそうだよねー』
リラがそう茶化すが、確かにそう悪いものじゃない。
けれど、もうすぐ神学校の入学式が始まる。授業が始まれば、今のように気軽に依頼を受けることはできなくなるだろう。
「……学校がはじまったら、どうなるんだろうな」
ぽつりと呟いた声は、街の喧騒に溶けていった。
ニトはきっと、これからも一人で動くのだろう。仲間を作るより、自分の足で立ち続けることを選ぶ男だ。
「何か力になれればいいんだけどな」
そんなことを言えばきっとニトは「余計なお世話だ」と言うのだろう。
不器用で、まっすぐな彼がこの街でどうか無事でありますように。と願わずにはいられなかった。
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