第二百十四話「入学の誓い」
「おや? 司教、どうなさいましたか? 先ほどそちらの子の手続きは終わりましたが、忘れ物でも?」
事務室に足を踏み入れた瞬間、柔らかいがよく通る声が響いた。
中年の女性が立ち上がり、穏やかな笑みを浮かべてこちらを見る。
ゆったりとした助祭服を纏い、胸元にはアポロ神教の象徴である金の双環――二つの円が重なった徽章が光っていた。
その一挙手一投足に、長年この職に携わってきた者の落ち着きが感じられる。
室内は静かで、窓から差し込む光が埃を照らして舞っていた。
机の上には書類が整然と並び、棚には分厚い帳簿や紙がぎっしり詰まっている。
どこか聖堂の延長のような空気だ――ここにいるだけで、少し背筋が伸びる。
「いえ、忘れ物といいますか……入学手続きをもう一件お願いしたいと思いまして。お願いできますか?」
マデレイネ様が、まるで花が咲くような笑顔で答えた。
その声には礼儀と気品、そして相手を包み込むような温かさがある。
「もう一件……? ああ、その後ろの少年でしょうか」
女性の視線が俺に向けられる。
一瞬だけ、彼女の目が細くなった。
言葉には出さないが、内心で「なぜ剣士がここに?」とでも思っているのが伝わってくるようで、俺の背中にうっすら汗が滲む。
……しまった。
今さらながら、鎧に剣という完全装備のままここへ来たのは失敗だった。
戦場へ行くような格好で神学校に来る奴なんて、どう考えても浮いてる。
せめて鎧だけでも脱いでおけば……。
人の第一印象は、想像以上に重い。
その一瞬の印象で、相手の信頼も疑念も決まってしまう。
ソフィーリア・キュステンテルが俺を「物騒」と断じたのも、まさにこの外見のせいだ。
俺は苦い息を吐き、咳払いして懐から封筒を取り出した。
「……これを」
それはミネラ村のイネハギート・デルネブラ司祭から預かった推薦状だ。
これだけは絶対に失くせないと、何度も確認してきた。
女性職員は封を丁寧に切り、指先で紙の端を滑らせながら目を走らせた。
小さく頷き、次にマデレイネ様へと視線を向ける。
「……確認いたしました。司教もまた、こちらの少年の適性に、疑問はないということですか?」
「ええ。アポロ神に誓って、こちらのケイスケ君の適性に問題はありません」
マデレイネ様の声は、穏やかでありながら一分の迷いもない。
俺の心臓が、どくりと跳ねた。こうも自信を持って言い切られると、逆に不安になる。
実際、光魔法は使えるものの、このアポロ神教の教えについて少し齧った程度で、俺には信仰なんてものはないのだ。
「なるほど、承知しました。では、入学手続きを進めましょう。こちらの機械に手を置いてくださいね。適性を測りますので」
「……え?」
俺の視線の先には、机の端に置かれた水晶玉のような装置。
半透明の球体が金属製の台座に固定され、そこから細いコードが伸びて女性の手元の魔導板につながっている。
木製の枠は古びているが、水晶の内側では微かな光が渦を巻いており、ただの飾りではないことは一目でわかる。
――嫌な予感しかしない。
ハンシュークで測った時の適性値は「2」だった。
だが今の俺は、光素の同期率が三九・九%。どう考えても3に跳ね上がっているはずだ。
魔法の適性が後天的に変化するなんて、普通にありえるのか?
もし珍しい現象なら、マデレイネ様やティマに怪しまれるかもしれない。
下手をすると「不自然だ」と調査される可能性だってある。
『ねえケイスケ、考えすぎじゃないー? 適性値が上がるなんてきっと珍しくないよー』
影の中からリラが軽い調子で囁く。
『確証なさすぎだろ……俺が珍種認定されたらどうすんだよ』
『うーん、でも「珍しい」って褒め言葉だと思うけどなー』
『お前は気楽でいいよな……』
心の中で軽口を交わしても、緊張は消えない。
「どうしました? そこに手を置きなさい」
女性職員の穏やかな声に、思考が現実へ引き戻された。
逃げ場はない。
俺は深呼吸して、恐る恐る水晶の上に手を置いた。
指先が触れた瞬間、ひやりとした感触が伝わる。まるで光が血の中を逆流していくような、奇妙な感覚。
水晶の中に、淡い光の粒が生まれた。
それはやがてひとつの輪を描き、中心に向かって収束していく。
ほんの一瞬――白い閃光が弾けた。
次の瞬間、光は静かに消える。
俺は息を呑み、女性の反応を待った。
彼女は無表情のまま、魔導板を確認する。指先が数度、軽く動く。
……頼む、普通であってくれ。
「適性は確かにありますね。入学資格は十分です」
「え?」
思わず声が漏れた。
女性職員は平然とした様子で言い、引き出しから数枚の書類を取り出す。
「こちらを記入してください。お名前と生まれた場所、それと誓約の署名を」
――セーフ。
胸の奥で力が抜ける。どうやらこの装置、詳細な数値までは測らないらしい。
「適性の有無」だけを確認する簡易版だろう。
助かった……マジで助かった。
「読めますか? 読めなければ代読しますが」
「あ、大丈夫です」
紙を受け取り、目を通す。
そこにはびっしりと細かな文字が並び、学生としての誓約と規律が記されていた。
――「神を欺かず」「信仰を怠らず」「己が力を誇らず」……。
最後の一文に目が止まる。
『アポロ神に誓い、私はこの誓約を守る』
俺はペンを取り、迷わず名前を書いた。
もし信仰を試される場面があるなら、偽りでも躊躇うわけにはいかない。
「願書は受理しました。ようこそ、聖ソフ・パンタイレス教理神学校へ。貴方の入学を歓迎します。ともに神の御名を高めましょう」
その瞬間、胸の奥で張りつめていた緊張がふっと解けた。
肩から力が抜け、深く息を吐く。
俺はついに――正式に、この神学校の一員になったのだ。
最後までお読みいただきありがとうございます!
ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!
もし「いいな」と思っていただけたら、
お気に入り登録や評価をポチッといただけると、とても励みになります!
コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、
どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。
これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!




