第二百十二話「金髪縦ロールのお嬢様?」
神学校から吐き出されるように現れた学生たちは、俺の存在に気づいても特に絡んでくることはなかった。
ちらりと一瞥し、足早に通り過ぎていく。
怪訝そうに眉をひそめた者もいたが、それ以上でも以下でもない。
「……ふう」
少しだけ安堵の息をついたそのとき――。
「あら?」
鈴を転がすような、柔らかくも澄んだ声が耳を打った。
その一音で、まるで周囲の喧騒が遠のいた気がした。
俺は咄嗟に顔を上げる。
そこに立っていたのは――陽光をまとったような少女だった。
背丈は俺と大差ない。
だが、何よりも目を奪ったのは、その金色の髪だ。
ただの金髪じゃない。きっちりと手入れされた縦ロール。まるで絹糸を束ねて螺旋にしたかのように、光を受けてきらきらと輝いている。
漫画や舞台の中でしかお目にかかれないような“あの髪型”が、現実に存在しているとは――。
「……マジか」
思わず口から漏れた。
いや、だって本当に人形みたいなんだ。
肌は雪のように白く、瞳は宝石めいた碧。小さな唇が形よく結ばれ、鼻筋はまっすぐ通っている。
表情は少し気高く、それでいて年頃の少女らしい好奇心を滲ませていた。
完璧なバランス――まさに、造形の暴力だ。
彼女の身にまとっているのは神学校の制服。
淡い赤のローブに金糸の刺繍が施され、胸元には小さな聖印が下がっている。ヘズンさんが着ていた助祭服の簡略版、といったところか。
どうやら、ローブの色で男女を区別しているらしい。
その人形のような少女は、足を止めて俺を凝視すると、ててて……と駆け寄ってきた。
軽やかな足取り。縦ロールがぶんぶんと揺れ、陽光を散らす。
「え、と……?」
間合いを詰められ、俺は思わず一歩後ずさった。
少女は俺の前にぴたりと立つと、頭の先からつま先まで、まるで鑑定でもしているかのようにじろじろと眺め回した。
その目は真剣そのもの。
上、下、横、また上――。
……そんなに珍しいか、俺。
そして、彼女は小さく息を呑み――。
「貴方、物騒ね!」
「……は?」
いきなり怒られた。
頭が追いつかない。
「物騒ですよ!」
少女の視線は俺の腰に吊った剣、そして冒険者然とした装いに向けられていた。
「物騒ですよ! ここは神の教えを学ぶ神聖なところ。物騒な人はお呼びじゃないのですよ」
腰に手を当て、ぷりぷりと怒っている。
まるで怒られている子供の立場に立たされた気分だが……いや、俺も見た目は子供なんだったな。
「……あー、なんか、ごめん?」
とりあえず謝ってみる。
怒られている理由はわかるがよくわからない。が、怒りの炎が広がる前に鎮火しておきたい。
「謝ってもダメなのですよ! 早く立ち去るですよ!」
「……ですよ?」
少女の言葉遣いが、どこか子供っぽい。令嬢然とした見た目とのギャップがすごい。
『あはは、ケイスケ、完全に悪者扱いだね』
リラが楽しげに笑う。焚き火のように、ほのかな愉快さが心の奥に響く。
「いや、俺はちゃんとした用事があるんだよ」
俺はそう弁明するも、少女は首を横に振り、縦ロールがぶんぶんと左右に揺れた。
「だめですよ! 立ち去るですよ!」
まるで駄々っ子。
周囲を通り過ぎていく学生たちは、物珍しそうにこちらを見ながらも関わろうとはしない。けれど視線が痛い。
「……困ったな」
俺がぼやくと、精霊たちが好き勝手に口を挟んできた。
『無視すればいいのですわ。どうせ相手は子供ですもの』とアイレ。
『……さっさと行きましょう、ですねー』とシュネが少女の真似をして語尾を伸ばす。
『僕なら軽く炙って追い払うけどな』とカエリ。
『ん』とポッコ。
「おまえら気楽だな……!」
俺が小声で毒づいても、精霊たちは知らん顔だ。
彼らにとってはこの状況、完全に他人事らしい。
その間も、少女はぴょこんと顎を上げて詰め寄ってくる。
「神聖な学び舎に剣をぶら下げた野蛮な人が来るなんて、前代未聞なのですよ!」
「野蛮……」
どうやら第一印象は最悪らしい。
それにしても、縦ロールが揺れるたび、やけに光を反射する。
金糸みたいな髪だ。
この手入れ、毎朝どれだけ時間かけてるんだろう。
『ケイスケ、口元が緩んでるよー』とリラ。
『えっ、うそ!?』
『ニヤニヤしてる。変態さんみたいー』
『ちょっ、それは違う!』
慌てて表情を引き締めたが、時すでに遅し。
少女の眉が、ぴくりと跳ねた。
「な、なに笑っているのですか!? 不気味なのですよ!」
「いや、その……違う、誤解だ!」
完全に悪循環。
俺は深くため息をついた。
俺はただの通りすがりじゃない、用事があって来たんだ。具体的には入学しに――。と説明したいのに、彼女は一切聞く耳を持たなかった。
神学校の生徒でも、冒険者登録して小遣い稼ぎしてるやつがいる――そんな話を聞いたことがある。けどもし彼女の言うように「剣が野蛮なもの」で、この学校の生徒が持つことを許されないなら、そいつらはいったいどうやって外に出てるんだ? まさか丸腰で? いやいや、町の外に出て武器もなしなんて正気の沙汰じゃない。魔獣に囲まれたら即アウトだろうに。
困ったときに限って、いい案が浮かばない。
この金髪縦ロールの令嬢にどう説明したものか。迂闊な言葉を選べば、今にも誰か守衛のような人を呼ばれかねない。
そんなときだった。
「……ケイスケ、君?」
「あらあらあら」
聞き覚えのある二つの声が、まるで救いの鐘のように耳に飛び込んできた。少女の澄んだ声と、大人の女性の落ち着いた声。反射的に振り返る。
「あ!」
思わず声をあげてしまった。そこにいたのは、アルビノの少女ティマと、領都ハンシュークで世話になった司教、マデレイネ様だった。
「ケイスケ君よね? 髪の色とか違うけれど、声も背格好もおなじですけど……」
「……マデレイネ様、大丈夫です……。ケイスケ君です……絶対」
そういえば俺の髪の色も目の色も以前とは違っている。
でもなぜかティマがそう断言してくれたおかげで「そうなのね」と、マデレイネ様の訝し気な目は一気に和らいだ。
ティマがすごく信頼されているということなんだろうけど、なんだろう、それだけでもないような気もする。
何にせよ、挨拶が先だ。
「マデレイネ様、お久しぶりです」
「良かったです、ちゃんと入学手続きには間に合ったんですね」
マデレイネ様が、胸を撫で下ろすように微笑む。
「ティマも久しぶり。元気そうで何よりだ」
「……う、うん。ケイスケ君も、元気そう……。良かった」
ティマも表情こそ硬いが、目元には再会の喜びがにじんでいた。
『エステレルも、お久しぶりって言ってるよー』
リラが影の中からはしゃぐように念話を飛ばしてくる。ティマの精霊、光のエステレルも近くにいるらしい。姿は見えないけど、あの柔らかい光を思い出すと、懐かしい気持ちになった。
「ケイスケ君はいつ王都に?」
「昨夜です」
「まあ、私たちもなんですよ。暫く姿を見ませんでしたが、ずっとビサワにいたんですか?」
どうやら俺は、普通にマデレイネ様たちに追いついてしまったらしい。ビサワにいたというより正確にはビサワのダンジョンに強制的に籠っていたんだけど、そんなことは言えない。
「あー、そうですね」
曖昧に返すと、マデレイネ様はなるほどという顔で頷いた。
彼女は純白の法衣に金糸の帯を締め、胸元の紋章が朝日に反射してきらめいていた。その隣でティマは淡い灰色の助祭服を身にまとい、腕には赤い神学校の制服を抱えている。布地の新品の皺が、これから始まる新生活を象徴しているようだった。
「……色々とあったみたいですね。なんだかちょっと精悍で格好よくなっていますよ。ねえ、ティマ?」
マデレイネ様が、わざとからかうように言う。その声音に、俺は思わず頬をかいた。半年分の苦労が顔に刻まれてるのかもしれない。
「……え、ええぇ……!? …………えっと……はい」
ティマは小さな声で肯定する。顔が真っ赤だ。
『確かに、体もちょっと大きくなったよねー』
『ほんとか?』
リラのからかうような声が耳の奥に響いた。言われてみれば筋肉もついた気がする。あの死にかけたダンジョンの日々が無駄じゃなかったと、少しだけ報われる思いがあった。
「本当ですか? 嬉しいです」
素直に笑顔と言葉が出る。こんな偉くて綺麗な人に褒められてうれしくならない人間なんていないだろう。
「……あ、うん。うぅぅ……」
「あらあら、うふふ……」
ティマが俯いて、マデレイネ様が柔らかく笑う。ほんわかした空気が、俺たちの間に広がっていった。
――が、その雰囲気はあっさり壊された。
「どちらかの司教様かと思いますが、良いですか? この物騒な人はこの場所にふさわしくないのです。早く立ち去るよう言ってほしいのですよ」
あ。忘れてた。
振り向くと、そこには金髪縦ロールの少女。さっきからずっと俺を睨みつけていた令嬢だ。頬をぷくっと膨らませて、今にも爆発しそうな怒気を放っている。
再会の嬉しさですっかり意識から飛んでいたが……そうだ、この子をどうにかしないといけなかったんだ。
マデレイネ様とティマの視線が、同時に俺と少女の間を行き来する。空気が一瞬ぴんと張り詰めた。
どうしよう。
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