第二百十話「事件の顛末と残された青年」
ニトが取り調べを受けているあいだ、俺はギルドの中をぶらついていた。
ここは王都の中心部にある冒険者ギルド。地方のギルドに比べれば規模も桁違いで、依頼掲示板に貼られた紙の量だけでも圧倒される。
地方のギルドにあった、あの少しのどかで雑然とした雰囲気はここにはない。
ここでは皆が、競い合うように動いていた。
依頼掲示板の前には常に人が群がり、紙が貼られるそばから誰かの手に取られていく。
剣や鎧の擦れる音、討伐の武勇を語る声、そしてときおり響く笑い声。
活気はあるが、それ以上に――焦燥を含んだ熱気があった。
俺はその人混みを少し避けて、掲示板の端に目をやる。
石級や鉄級の依頼が並ぶ板には、やはり雑用ばかり。
街路の清掃、荷物の運搬、配達、日雇いの土木作業。
どの街でもよく見る顔ぶれだが、王都は人口が多い分、件数が倍以上はある。
「……まあ、そうなるよな」
独りごちてから、銅級の掲示板に目を移す。
こちらは、より難易度の高い依頼が並んでいる――はずなのだが。
並んでいる紙の多くは遠方の街や辺境の村のものばかりだった。
王都近郊の依頼は、すぐに埋まってしまうのだろう。
あるいは、危険すぎてすぐ人が減るか。
「あ……ハンシューク近くの依頼なんかもあるのか」
薬草の採取や害獣退治、村落の手伝いなんかが見える。
けど全体の依頼数があまりに多いせいで、逆にそうした地味な依頼は少なく感じる。
常時出されるタイプの依頼や、特に掲示板から剥がさなくても受けられるような依頼を頭に入れておく。これはどこのギルドでも同じ。
ただ、銅級依頼で妙に目立つのは――。
「護衛依頼……? 貴族や商人絡みが多いな」
よくよく目を凝らすと、ただの護衛じゃなくて「貴族の狩りのお供」とか「行楽の随行」なんて依頼が大量にある。
護衛といっても、ただの命がけの仕事というよりは、いかにも付き人のような依頼ばかりだった。
「やっぱり、貴族が王都に集中してるから、なのかな」
思わず独り言が漏れる。
庶民の暮らしと、貴族の気まぐれが紙一枚の差で並ぶのが、この街の現実だ。
そのとき、不意に背後から声がした。
「貴族絡みの依頼は外れが多いから、受けねえほうがいいぞ」
振り返ると、そこにニトが立っていた。
取り調べを終えたのだろう。
表情は疲れているのに、どこか吹っ切れたような軽さがあった。
「あ、事情聴取終わったのか」
「おう」
彼は気怠そうに肩を回しながら俺の隣に立ち、掲示板を眺める。
しばし無言の時間が流れ――ニトがぽつりと口を開いた。
「……兄貴たち、死んじまったよ」
低く、乾いた声だった。
俺はその言葉の重みを理解するまで、数秒かかった。
「……それは」
言葉が続かない。
ニトは淡々と説明した。
兄貴たちは五人で、王都郊外で貴族を襲撃したらしい。
そのうち四人は返り討ち。
一人は捕まって尋問の末、処罰。
話を聞けば聞くほど、確信が深まる。
もしかしなくても、俺が手を下したのだ。あんな貴族相手の襲撃事件が何件もあるはずもない。ただ襲撃の末路を思えば、言い逃れはできない。
けど、どんな言葉をかければいいのかわからない。口を開きかけては閉じる。その繰り返し。
「あー……なんつうか、別に悲しいとかじゃねえぞ?」
ニトは先に続けた。
「それよりも、また一人になっちまったから、仕事どうするかなーってよ」
悲しくない――なんて強がりだと、俺は思った。
けれど同時に、彼の言葉は嘘でもないのだろうとも思う。
昨日の夜、彼の過去を少しだけ聞いた。死が日常で、誰かがいなくなるのは珍しくもない世界で生きてきた。その経験が、悲しみを押し殺すよりも先に「次どうするか」を考えさせるのだ。
俺は少し間をおいて、話題を変えるように聞いた。
「ニトは、兄貴たちとどんな依頼を受けてたんだ?」
「あ? そうだな……商人の護衛とか、森での狩り、あとは土木工事だな」
やっぱりというか、肉体労働や荒事ばかりだ。
薬草採取や配達なんて細かい仕事をする姿は想像できない。
筋肉を酷使するような依頼の方が性に合ってるし、実入りもいいのだろう。
「じゃあ、そういう依頼を受ければいいんじゃないか? 工事なら一人でも請けられるだろうし」
俺の提案に、ニトは鼻を鳴らした。
「そう簡単じゃねえんだよ。お前、わかってねえな。工事なんざチームで受けるのが普通だ。一人だと舐められるしな」
「舐められる?」
「そうだ。人手が多いほうが信用されるし、何より――サボれる」
「サボるためってのは……」
苦笑が漏れる。
けれどニトは真顔だった。
その表情を見て、俺は思った。
彼にとって効率とは、力を温存しながら長く稼ぐことなのだ。
命を削って稼ぐより、手を抜いて生き延びる。
その価値観は、俺にはまだうまく飲み込めないけれど――理にかなっているのかもしれない。
俺が苦笑混じりに返しても、彼は真顔だった。
ニトにとってはそれが当たり前の感覚で、俺とは根本の価値観がずれているのだろう。
やんわりと「効率や信用は一人でもやり方次第だ」と言ってみたが、彼はすぐに首を振った。
「わかってねえな」
そればかり。
俺は内心でため息をつきつつも、どこか羨ましくもあった。
――一人になるのは当たり前。だから次を考える。
そんな風に言い切れる強さを、俺は持っているだろうか。
ギルドの掲示板に貼られた依頼票の前で、ニトが腕を組んで唸る。
「おい、あれは?」
「あれは終わってるっぽい」
「こっちは?」
「短期の仕事。土木作業」
「ちっ! ろくなもんがねーな」
文字が読めないニトの代わりに、俺が掲示板に貼られた依頼を確認していた。
厚紙の端が擦り切れた依頼票は、どれも無数の指で触れられた痕跡がある。油染みや泥の跡がついているものもあり、王都の冒険者たちの競争の激しさを物語っていた。
ニトは腕を組みながら、紙の束を睨みつけている。
髪をオールバックに撫でつけ、顎を少し突き出して唸る姿は、まるで獲物を前にした狼のようだ。
背丈も声の張りも、場内にいる熟練冒険者たちと比べても見劣りしないが、やっていることは完全に駄々っ子のそれだった。
「選り好みするなって」
「アホか。するだろ。こっちは今後の生活がかかってんだ」
まあ、ごもっともではあるが……。
だが、こうして一枚一枚を読み上げていく作業は、予想以上に骨が折れる。なにせ依頼票の枚数が尋常じゃない。
街道清掃、土木工事、行商護衛、配達――掲示板一面がびっしりと埋め尽くされ、紙が重なって二重三重になっている箇所まであった。
文字が読めると言ってしまったのは早計だったか。
「こりゃ、王都の依頼ってだけで戦場だな……」
思わずつぶやくと、ニトが鼻を鳴らした。
「どこでも同じだろ。人が多けりゃ、うまい依頼も減るんだよ」
そう言いながらも、彼の目つきは真剣だった。
生きるために依頼を選ぶ。
それは彼にとって、明日の飯を選ぶのと同じくらい切実なことなのだ。
ひとしきりぶつぶつ言ったあと、ニトは唐突にこちらを振り向いた。
「なあ、ケイスケ。お前はどうするんだよ? 依頼、受けるんだろ?」
「あー……俺は用事があるから、また今度かな」
できるだけ軽い調子で答える。
「んだよ、付き合いわりぃな」
ニトは唇を尖らせ、肩をすくめる。
「あははは」
俺は笑って誤魔化すしかない。ここで真面目に理由を説明すると、余計に詮索されそうだったからだ。
「ちっ! しゃあねえ、じゃあ久しぶりにあれやるかぁ」
そう言うと、彼は漸く決断した。依頼票の束の中から一枚を引っ張り出す。
内容は荷運びの依頼。市場での大型荷物の積み下ろし。単純で体力がものを言う仕事だ。
意外と堅実な選択をするじゃないかと感心していると、振り返ったニトの口から飛び出した言葉は、やっぱり俺の期待を裏切らなかった。
「なあ、金貸してくれねえ?」
……前言撤回。
俺は深くため息をついた。だけど彼の財布事情はすでに見えている。飯を食う金はあっても、宿に泊まる余裕はほぼない。金の管理は兄貴たちがやっていたようだったから。
仕方なく懐から銀貨を三枚取り出し、彼の手に握らせる。
「これくらいあれば、しばらくは困らないだろ」
「マジで!? こんなにいいのか!? お前いいやつだな!」
ニトの顔が一気にほころぶ。目がきらきらして、さっきまでの情けない表情はどこへやら。
「そのうち返してくれよ」
「おう! 倍にして返してやるぜ!」
「あまり期待しないでおくよ」
「は? 返すってんだろが」
俺の軽口に少しむっとするニトを見て、思わず笑ってしまう。
「いや、ほんと返さなくてもいいよ。ニトのお陰で配達の依頼が完了できたって言ってもいいくらいだから。これは報酬のお裾分けだよ」
彼が昨夜泥棒をすぐにとっちめてくれなければ、実際どうなっていたかわからない。
もし荷物を奪われていたら、被害は銀貨三枚どころではなかった。
俺の言葉に、ニトは一瞬言葉を失ったように目を見開き――次の瞬間、口の端を吊り上げた。
「ふざけんな! 決めた……絶対に返してやるからな! 待ってろ!」
握った拳を掲げるようにして、依頼票を手に取る。
そして、勢いよく人混みの中へ駆け出していった。
「じゃあな!」
背中が市場通りへ消えていくのを、俺は苦笑しながら見送った。
『意外といいやつだったねー』
影からひょいと声をかけてきたのはリラだ。相変わらず、軽い調子の念話だ。
「うん。意外にな」
俺は肩を竦めながら答える。
周囲を見回すと、ギルド内は相変わらずの喧噪に包まれていた。
酒場と併設された広いホールには、冒険者たちが大勢詰め込まれている。木製の長机では、酔っ払った連中が腕を組んで腕相撲をしていたり、報酬の山分けで喧嘩寸前になっていたり。
壁際の掲示板の前には、俺やニトのように依頼を物色する者が群がっている。中には依頼票を破り取って走り出す者もいて、受付嬢が苦笑しながら注意を飛ばしていた。
鼻をつくのは、酒と肉の匂い。どこかで焼かれた香草の香りも混じって、食欲を刺激する。
混乱しているようで、この雑多な熱気こそが冒険者ギルドの空気なのだろう。
俺はそんなざわめきを背に、ギルドの出口へと向かった。
扉を押し開けると、街路のざわめきが飛び込んでくる。昼下がりの王都プロブディンは、相変わらず活気に満ちていた。石畳を馬車が行き交い、商人が声を張り上げ、子どもたちが駆け回る。
「……あ。結局いい宿教えてもらうの忘れてた」
ふと気付いて、立ち止まる。
『追いかけるのか?』
カエリの低めの声が耳に響いた。
俺は首を横に振る。
「また適当なところを探すさ」
言いながら荷物を背負いなおす。
目指すは神学校――。
俺の足は、自然とその方向へ向かっていた。
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