第二百九話「配達依頼の達成と冒険者ギルド」
「そうだ、その前に、魔法教会に配達があるんだった」
「あ? 配達?」
ニトが振り返りながら眉を寄せる。
昨日の宿では色々とありすぎて、すっかり忘れてた。
まずは魔法教会に行って配達を終わらせてからでないと二度手間になってしまう。
「お前、配達の依頼なんか受けてたのかよ」
「ああ、うん。そうなんだけど、場所わかるか?」
「魔法教会だろ? ならわかるぜ。冒険者ギルドと方向は似たようなもんだ」
そう言って、ニトは迷うことなく歩き出した。
大通りを外れ、裏道を抜け、時に古びたアーチの下をくぐり抜けながら、足取りは迷いがない。
人通りの少ない路地には香草の匂いと、どこか薬品のような刺激臭が混ざって漂っていた。
ニトの背を追って歩くうちに、空の色が少しずつくすんでいくような気がした。
「ほら、あれが魔法教会の建物だ。見るからに怪しいだろ?」
ニトが顎をしゃくって示した先――
確かに、怪しいと言えば怪しい。
高い塀に囲まれた黒い石の塔が、森の奥から天に突き刺さるように立っていた。
塀の上には棘のような装飾が連なり、塔の壁面からは煙突が何本も突き出している。
その煙突からは、白とも灰ともつかぬもやが絶えず立ち昇り、塔の周囲の空気を曇らせていた。
まるでそこだけ現実と薄い膜で隔てられているような、そんな違和感。
「ほら、配達だろ? さっさと行って来いよ」
「あ、ああ。行ってくるよ」
俺は深呼吸をひとつして、古めかしい鉄の柵を開けた。
軋む音もせず、動きは滑らか。見た目に反して手入れは行き届いている。
石畳の道の先に、小屋のような詰所があり、そこに一人の守衛が立っていた。
年の頃は五十ほどだろうか。くたびれた外套を羽織っているが、目だけは妙に鋭い。
「あの、すみません」
「ん? なんだね?」
「俺、冒険者なんですけど、配達でハンシュークから来ました」
守衛は俺の差し出した荷物を受け取ると、ちらりと印章を確認して頷いた。
「ご苦労。ここに名前を」
言われるままに名を記入すると、守衛は達成札を差し出した。
それだけで依頼は完了。想像していたよりもずっとあっさりしている。
「……これで終わり?」
「そうだ。お前さんの仕事は荷を届けるまでだ」
拍子抜けした。けれど、まあこんなものかもしれない。
俺が札を眺めていると、リラの声が頭の中で響いた。
『あの子に感謝だねー』
「え?」
『だって、昨日の夜、泥棒に配達の荷物、取られちゃってたかもでしょー?』
ああ、そうだった。
あのときニトがいなければ、確かにこの依頼は失敗に終わっていたかもしれない。
荷物は無事でも、あの騒ぎでケガしてた可能性だってある。
「ちゃんとお礼はしないとな……」
鉄の柵を押し開け、外に出る。
塔の敷地から離れるにつれて、空気が少し澄んでいくのがわかる。
やはりあの建物は、どこか“別の世界”と繋がっているような不思議な気配を持っていた。
柵の外で、壁にもたれて腕を組んでいるニトの姿が見えた。
何事もなかったように、いつもの不機嫌そうな顔。
だが、そのまま俺を待っていてくれたあたり、やっぱり根は悪いやつじゃない。
「終わったか? じゃあ行くぞ」
そっけない声に、自然と口元が緩む。
「うん、助かった。ありがとな」
歩き出すニトの背中を追い、俺もまた歩き出した。
やがて王都の冒険者ギルドに到着した。
黒い御影石を積み上げたかのような武骨な建物。外観からして重々しい。その姿は、王都の華やかさの中にあっても少し異質だった。
壁には大きな亀裂のような、切り傷のような傷が大きいものから小さいものまで無数についている。
デザインかとも思ったが、そうでもなさそうだ。昔何か襲撃とかでもあったのだろうか?
冒険者は荒っぽい。抗争の一つや二つはあったのかもしれない。
扉は厚い鉄製で、無数の手が触れたのか、表面だけがわずかに鈍く光っていた。
その取っ手に手をかけると、鉄とは思えないほど滑らかで、重みのある音と共に扉が開いた。
中に入ると、外観以上に圧迫感のある空気に包まれる。
天井は高く、梁には竜骨のような模様が彫られていた。
厚みのある木製の調度品は使い込まれてなお頑丈で、天井を照らす魔道具の照明は豪華ではないが、職人の技を感じさせる確かさがあった。
床は石だが、歩くたびにわずかに沈むような感触があり、踏みしめる音が低く響く。
この世界のギルドがただの寄合所じゃないことを、建物そのものが物語っている。
壁際には冒険者たちが座り、談笑する者もいれば、剣を磨く者、依頼票をにらみつけている者もいる。
誰もが無駄な言葉を交わさず、どこか殺気を内に秘めている――そんな空間だった。
できるだけ堂々と歩くことを意識する。
目指すのはカウンターだ。
俺はまず配達依頼の達成札を受付に提出する。
カウンターの向こうに立つのは、ストレートの金髪を揺らす女性。
きっちりとした制服を着こなし、淡い水色の瞳は一切の感情を見せない。
ミドルカットの髪型と、無駄のない動き。まるで訓練された役人だ。
「依頼達成を確認しました。報酬は現金か振り込み、どちらにしますか?」
「じゃあ、現金で」
「わかりました、少々お待ちください……。こちらの書類をあちらのカウンターに提出し、報酬を受け取ってください」
「わかりました」
なんというか、現金でも振り込みでもいいとか感心してしまう。やはりこの世界、ところどころ近代的なんだよな。
続けて、移転届を提出する。冒険者活動を一時休止したい旨を伝えると、理由を問われた。
「神学校に入学するためです」
そう告げた瞬間、受付嬢の手が一瞬止まり――すぐにまた動き出した。
それ以上、何も聞かれなかった。
この国において神学校という言葉が持つ意味は、それほど重いのだろう。
神に仕えるというより、神の理に触れる――そんな特別な場なのだ。
その隣で、ニトが兄貴分たちの冒険者証を差し出していた。
受付嬢が証を手に取ると、ほんのわずかに眉を寄せる。
「……」
無言のまま視線が僅かに揺れる。
事件のことは、すでにギルド内部でも共有されているようだった。
何も言わなくても、空気でそれがわかる。
「少々お待ちください。別室で詳しくお話を伺います」
柔らかい言い方ではあったが、断る余地はなかった。
ニトは苦い顔をしながらも、静かに頷き、係員に案内されていった。
重い靴音が石の廊下に反響し、やがて奥へと消える。
取り調べという名の聴取。
ギルドの中は、静かで、どこか冷たい。
誰もが己の依頼に集中し、他人に関心を示さない。
それがこの世界で生きる冒険者たちの常識なのだろう。
窓の外では、午後の陽が塔の影を伸ばしている。
街の喧騒は遠く、ここだけが時間の流れを別にしているようだった。
「大丈夫かな……」
俺の呟きに、アイレとリラが応える。
『大丈夫ですわ、きっと』
『なんていうか、あの子図太そうだからねー』
それを聞いて、俺はギルドの重厚な空気の中で静かに息をついた。
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