第二百八話「兄貴の影」
事件の余韻で心臓がばくばくとうるさい。
ベッドに横になったはいいが、眠気なんてどこかに吹き飛んでしまっている。
同じ部屋のニトも、壁に背を預けたまま腕を組んでいた。目を閉じているけど、どうにも寝入っているようには見えない。
「あのさ」
俺が声をかけると、彼のまぶたがすっと上がった。
「なんだよ」
「……いや、寝れそうにないなって」
俺が苦笑すると、ニトは鼻で笑った。
「当たり前だ。泥棒に荷物漁られた後にぐっすり眠れる奴なんていねえよ」
「まあ、ですよね」
微妙な間が流れる。
俺は何か話題を探していると、ニトが口を開いた。
「なんで、お前みたいな行儀のいいガキが、こんな宿に泊まってんだよ?」
なんとなく咎められているのがわかる口調だ。
「行儀がいい……かな? 俺が?」
「お前なぁ……。子どもっぽい顔してるくせに、妙に言葉が丁寧なんだよ。気持ちわりぃ」
「マジか……」
ぐさっときた。けど確かに、今のしゃべり方は自分でも定まってない気がして気持ち悪い。
「ま、いいや。それで? 答えろよ」
「普通に、門に入れなかったから。仕方なく?」
俺がそう正直に答えると、ニトは眉をひそめた。
「……お前、金は持ってるか?」
うっ、と身構える。ここにきてカツアゲか?
俺が警戒して体を固くすると、ニトは慌てて手を振った。
「ちげえ! お前みてえなガキにたかる気はねえ! もっといい宿、教えてやるってんだよ」
……ああ、なるほど。
思わず苦笑がこぼれる。どうやら心配してくれてるらしい。
意外と世話焼きだな、こいつ。
「ありがとう。じゃあ今度、案内してくれるか?」
「おう、任せとけ」
そんなやり取りから、自然と互いの身の上話になった。
俺は記憶を失っていることを、それとなく伝える。
……もちろん、日本から来たとか、そういう真実は伏せている。
ただ「気がついたらあてもなく放浪してて、気づいたら冒険者になっていた」くらいの説明だ。
「冒険者、か」
ニトが目を細める。
「俺もだ。鉄級だ」
「あ、同じだ」
「お前もかよ」
意外な共通点に笑い合う。
そしてニトは、自分の境遇を語ってくれた。
彼は「兄貴たち」と呼ぶ五人組の冒険者と一緒に暮らしているらしい。冒険者ギルドを通さない、いかにも怪しい仕事ばかりしている連中だそうだ。今も大きな仕事とやらに出かけていて、ニトは下っ端だから留守番。
「……俺はずっと雑用だ。荷物持ちとか、掃除とか、買い出しとかよ」
吐き捨てるような口調。
「いい仕事ってやつも、どうせロクなもんじゃねえ。なのに俺だけ外されて、宿で留守番だぞ? バカにしやがって」
悔しさをにじませる声だった。
だけど俺には、その「兄貴たち」が信用ならないのがすぐに分かる。
『絶対、ろくでもない連中ですねー』とシュネが呟く。
『そんな輩とつるんでいたら、この子も潰れてしまいますわ』とアイレ。
「でも、何か危険な仕事で、巻き込まない為とか……ないか」
俺も同感ではあったが、その兄貴たちを弁護しようとしたが、やっぱり駄目だった。
一通り話したあと、ニトは俺をじろっと見てきた。
「なあケイスケ。やっぱお前のしゃべり方、気持ち悪ぃわ」
「……」
ちょっとショックだ。
けど、まあ郷に入っては郷に従えだ。
「じゃあ、できるだけタメ口で話すようにするよ」
「それでいい」
にやっと笑ったニトの顔は、思った以上に子どもっぽかった。
年上なのに、ちょっと弟っぽい。
そんなこんなでようやく緊張がほどけて、眠気がやってきた。
おおきなあくびをひとつ。
「じゃあ、さっさと寝るぞ」
「ああ」
互いに背中を向けて横になる。
部屋は静かで、さっきまでの騒動が嘘みたいだった。
朝。
支度を整え、出発しようとしたときだった。
宿屋の主人が階段を駆け上がってきて、部屋の扉をどんどん叩いた。
「ニト! お前に知らせだ!」
扉を開けると、主人の顔色はひどく険しい。
「お前がつるんでたあいつらだがな、捕まったぞ……!」
「は?」
ニトの顔が凍りつく。
話を聞くと、その「兄貴たち」はよりにもよって貴族を襲ったらしい。結果は返り討ち。しかも、即刻処刑されたという。
――ん?
どこかで聞いた話だ。
ヘルヴィウスを襲った連中……もしかして?
ならば、俺はニトの兄貴たちを手にかけたことになる。
一気に全身の血が冷えたような感覚に陥る。見るからに落ちぶれたような連中だった。
違うと思いたいが、あんな事件、そうそうあるとも思えない。ニトとは違う理由で、俺も呆然となる。
さらに追い打ちをかけるように、主人が言った。
「ニト、お前が兄貴どもの冒険者証を預かってんだろう? なら、五人分の宿代も払ってもらうぜ。ツケもある。耳そろえて払いな」
「はぁ!? んなもん、ねえよ!」
「だったら、いますぐ出てけ!」
怒鳴り合いが取っ組み合いに発展した。
しかし主人は元冒険者とのこと。慣れた動きでニトを抑え込み、あっさりと外へ叩き出した。
「ぐっ……」
石畳に転がったニトは、しばらく動けずにいた。
俺は慌てて駆け寄る。
「ニト……」
「……わりぃ、案内はできねえ」
絞り出すように言う声。
「わかってるよ。……行くあてはあるのか?」
「んなもん、もとからねえよ」
力なく笑うニトの姿は、夜に見せていた生意気さとは別人のようだった。
その日暮らしで、兄貴たちの雑用をして、小銭で生き延びてきただけ。頼りにしていた存在を一瞬で失った青年は、石の上でただ茫然と座り込んでいた。
俺は碌な思い出がない宿を背中に、そんなニトに話しかける。
「とりあえず、なんだけど、冒険者ギルドに行かないか? 案内してくれよ」
通りの端で荷物を整えていたときに俺が切り出すと、ニトは肩をすくめてうなずいた。
「……だな。ここでうだってても、なんもならねえか……」
思ったより素直な返事が返ってきた。昨日までの彼の荒っぽい態度を思えば、少し拍子抜けする。けれど、逆にそれが本心なんだろうと感じた。
陽が昇り、城門が開く。
行列に並んで冒険者証を門番に見せ、俺たちも王都の中へと足を踏み入れる。
「ここから先が王都なのか……」
「ハッ、お上りかよ」
「まあ、そうだなあ。今まで訪れたどこよりもデカい街で、目移りしちゃうよ」
自然と声が漏れたが、門の中と外で劇的に何かが変わったわけではない。外街と同じような石畳、行き交う人々、屋台の喧噪。
だけどすぐ外とこの場所では、それほど違いは感じられない。
「まあここらは外街と変わらねえよ。変わるのは、もう一個中だ」
ニトが顎でさらに奥を指した。
「ほー」
「しっかりついてこいよ。すぐにはぐれちまうぞ」
「あいよ」
外壁と内壁、その差が王都の格差を形作っているというわけか。俺がまだ想像できない「内側」の空気に、少しだけ胸がざわついた。
ニトは、落ち込んでいても仕方ねえとばかりに、さっさと歩を進めていく。立ち直りが早いというより、そうするしかないのだろう。
「周りで誰かがくたばるなんざ、当たり前のことだ」
彼は淡々と語る。
それは、彼の幼少からの常識らしい。食べ物が足りなくて店から盗む。盗めれば生きられる。失敗すれば飢えて死ぬ。捕まって折檻を受け、運が悪ければそのまま死ぬ。
「……マジか」思わず呟いた。
彼にとって生き残るのは特別なことじゃない。ただの結果。
クソみたいな孤児院を抜け出し、兄貴分に拾われて冒険者として登録。だがその兄貴分も事件に巻き込まれて捕まった。死んだ。
「それだけの関係だ」ニトは吐き捨てるように言う。
けれど俺には、投げやりというより、彼が当たり前と受け止めている冷たさの方が強く感じられた。
『……ドライ、ってやつだねー』
リラの声が影の奥から響く。
俺は心の中でうなずいた。
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