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悠久の放浪者  作者: 神田哲也(鉄骨)
第四章

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第二百六話「外街の宿」

 ほどなくして見つけた宿は、通りに面した二階建ての建物だった。

 看板には『旅人宿〈風鳴亭〉』と書かれている。夜風に揺れる吊りランプがかすかに軋みを上げていた。


 一階は酒場兼食事処になっていて、扉を開けた瞬間――鼻を刺すような酒と焼いた肉の匂い、そして押し寄せる人のざわめき。

 笑い声、喧嘩腰の怒鳴り声、テーブルを叩く音が入り混じって、まるで混沌そのものだ。


 客はほとんどが人間だった。

 ビサワでは逆に人間のほうが珍しかったから、この光景は懐かしいような、どこか居心地の悪いような、不思議な気分になる。


『うわー……なんか、にぎやかー!』

『でも臭いですわね……油と酒のにおいが充満していますわ』

『ん。むせる』


 精霊たちは口々に感想をもらす。姿を見せていないとはいえ、彼女たちの反応が頭の中でこだますると、まるで本当に隣にいるようだった。


 カウンターの奥には、髭面の中年の宿屋の主人。

 分厚い腕を組み、無言のままこちらをじろじろと眺めてくる。

 やがて「ふん……」と短く鼻を鳴らした。


 ……感じ悪いな。


 愛想も何もなく、ぶっきらぼうな態度だ。

 俺が「一泊と食事を」と告げると、主人は何の愛想もなく、指を四本立てた。


「えっと……」

「銅貨四枚だ。前金だぞ」


 四千円か五千円ってところか。

 思ったよりも高いが、王都に近い宿なら妥当だろう。

 ただ、こうも不愛想だと交渉する気も起きない。

 俺が無言で銅貨を渡すと、主人はカウンターの下から小さな鉄鍵を放ってよこし、面倒くさそうに言った。


「あとは好きにしな」


 鍵は俺の胸元で小さく跳ね、鈍い音を立てて落ちた。


 ……なんだかなー。


 俺は心の中でため息をつきながら階段を上がる。

 木造の階段はきしみ、灯りはところどころで煤けていた。

 壁に掛けられた絵は色褪せ、天井には煤の跡。外観よりもずっと古びている。


 そして部屋に着くが、そこは相部屋部屋だった。中には既に人がいた。


「いや、一人部屋って言ったはずなんだけど……」


 そう思った矢先、部屋の奥に座っていた青年が顔を上げた。

 赤い髪を乱暴に後ろへ流し、鋭い目つきでこちらを睨んでくる。


「……ああ? なんだよ、お前」


 低い声。荒れた語気。

 旅の疲れを癒すには程遠い、緊張感のある第一声だった。


「……ここ、一人部屋じゃ?」俺はおそるおそる口にした。


 青年は一瞬きょとんとした後、舌打ちをした。


「ちっ……! あの親父、兄貴たちが帰らねえからって、適当に放り込みやがったな」


 拳でベッドをどん、と叩く。

 枕が跳ね、埃が舞う。


 ――完全にハズレを引いた気分だ。


『あー、こいつ柄悪いなー』カエリが率直な感想を言う。

『主、こういうのは関わらない方がいいですよー』シュネが少し心配そうに助言する。

『でも……悪人というより、不満を抱えた人に見えますわ』アイレは冷静に分析した。


 精霊たちの声が重なり、俺の頭の中が少しだけ冷静になった。

 たしかに、青年の目には殺意も敵意もない。ただ、疲れと苛立ちが沈んでいるだけだ。


「マジか……今日くらいは静かに休みたかったんだけどな」


 ため息をつきつつ、ベッドの端に荷物を置く。

 狭い部屋の中、古びた木の匂いと男の汗の匂いが混ざり合う。

 外では酒場の喧騒がまだ続いていた。


 こうして、王都初日の夜は――予想外の出会いから始まった。


 ……とはいえ、まだ終わりではない。


「あー……。俺、ちょっと文句言ってきます」


 一人部屋を頼んだはずが、よりによって相部屋に通されるなんて。

 不愉快というより、不便だ。精霊たちと話すにも、人目があるとやりにくい。


 立ち上がろうとしたその時、隣のベッドに腰を下ろしていた青年が、面倒くさそうに声をかけてきた。


「やめとけやめとけ。どうせ言ったって変わらねえよ。部屋は埋まってる」


 口は悪いが、響きは妙に落ち着いている。

 投げやりというより、諦めを含んだ声。


『主、どうやらその者の言うことは本当ですわ。他の部屋は埋まっていそうです』


 アイレが風を走らせ、周囲の部屋の気配を探る。


「……ですか。じゃあ、相部屋よろしくお願いします」

「あぁ」


 それきり、会話は途切れた。会話はそれ以上続かない。青年はやけに落ち着かない様子で、俺も居心地が悪くなってしまった。


「俺、食事に行ってきます」


 なにはともあれ、ひとまず食事だ。必要ないかもしれないが、一応声をかける。


「……あ? 勝手に行けよ」


 まあ、そう返されるだろうとは思ったけどさ。俺はため息をついて部屋を出た。


 宿の一階、食堂はすでに戦場だった。

 酒の匂いが立ちこめ、湿った床板には酒と肉汁が飛び散っている。木のジョッキがガンガン叩きつけられ、あちこちで「ぎゃはははっ!」という下品な笑い声が響く。


 剣を背負った男たちが肩を組んで歌い、女の冒険者が乱暴に机を蹴飛ばしている。

 テーブルの上には骨付き肉の残骸と、こぼれたスープでできた湖。酔っ払いの男が隣の椅子から転げ落ち、仲間に蹴り起こされて再び酒をあおる。


 ――うん、地獄絵図。これならその辺で野宿のほうがよっぽど良かったかもしれない。


「酒か……」

『ここのものたち、下品ですわ』


 アイレが鼻をつまむような声音で吐き捨てる。


『んー。ちょっと好きじゃないかもー』


 リラも影の奥でぶにゃりと身をくねらせ、不満をこぼした。


 俺はため息をつき、さっさと済ませようとカウンター席に向かう。テーブルも空きはあるが、あの騒ぎの渦中に突っ込む勇気はない。


「……注文は?」


 現れた店員は、こちらを見もせずにぶっきらぼうな声を出す。


「じゃあ、今日のお勧めを」


 多分あるだろう。正直あまり期待できないが。


「酒は?」

「いらないです」

「水は別料金だ」

「外で飲んだので、無しで」

「……チッ」


 あからさまな舌打ち。いやいや、マジか。客に舌打ちってどういうことだよ。


『無礼ですー』


 シュネが穏やかな声で言いながら、目には見えない水気を震わせた。


『燃やしてやろうか』


 カエリが即座に物騒な提案をしてくる。


『いやいやいやいや……!』


 俺は慌てて念話で制止した。


『ここで火の精霊が暴れたら、俺の居場所が吹き飛ぶわ!』 

『えー? こんなとこ別に無くなってもいいんじゃないー?』


 リラがくすくす笑いながら煽るのを、アイレは『頭を冷やすべきですわ』と冷たく言う。

 精霊たちがいきり立つのを、俺は必死になだめるしかなかった。


最後までお読みいただきありがとうございます!

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相部屋の人が同じ台詞を二回言ってますね
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