第二百五話「焦げた紋章と夕暮れの王都」
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『主、あの子も神学校に入学するのかもしれませんわよ?』
アイレの声音が、風に溶けるように耳の奥に響いた。
『だねー。光魔法使ってたしねー』
『……ですー。光属性が扱えるなら、神学校が自然な進路ですねー』
三人が続けざまに言うものだから、俺も思わず苦笑してしまった。
「……そうかもな」
確かに、光魔法を使える時点で、あの少年――ヘルヴィウスは特別だ。
けれど俺にとって大事なのは、彼がどこへ進むかよりも、今この場でどう接するかだった。あの冷淡な使用人たちの前で、気安く言葉を交わせるような空気ではなかった。
俺はひとまず、盗賊たちの死体を道の脇に寄せ、ひとまとめに並べた。
ぐったりとした肉の重みが、腕を通してずっしりと伝わってくる。
死体の温度はまだ人肌のまま。――ついさっきまで息をしていたという現実が、否応なしに突きつけられる。
苦悶の表情は、手近な布切れを被せて見えないようにした。
それだけで少しだけ心が楽になる。見えなければ、考えずに済む気がする。
……逃げていると分かっていても、やっぱり見たくはない。
「そういえば……」
ふと、先ほどのことを思い出した。
「処理しておく」と俺が言ったとき、あの御者――エンブスが、ほんの一瞬だけ俺を見た。
その視線には、軽い侮蔑と警戒が混ざっていた気がする。
「もしかして……俺が、死体を漁るつもりだと思われたのか?」
自嘲気味にこぼすと、影の中からリラの明るい声が返ってきた。
『あー、そんな感じだったよねー!』
『こちらは助けてあげたのに、ひどいですー』と、ふわふわした声でシュネが同意する。
『ん。感じ悪い』と、ポッコが短く、しかし鋭く断じた。
精霊たちの反応は一致していた。まあ、仕方ない。俺も同じように感じていたから。
エンブスに悪意があったわけではないのだろう。
だが、人を斬った得体のしれない冒険者の少年という印象が残っているのは確かだ。
目を落とせば、盗賊たちの装備はどれも惨めなほど粗末だった。
薄汚れた革鎧、刃こぼれの多い剣、柄の割れた斧。
金になるようなものなど、一つもない。
「王都近くで、こんな連中が馬車を襲うか……?」
小さく呟く。
この辺りは、王都の騎士団が定期的に見回りをしているはずだ。
それなのに、こんな連中がのうのうと生き残っているのはおかしい。
そんな時だった。
焦げた革の匂いの中、半身を焼いた盗賊の胸元から、何かが覗いているのに気づいた。
「……なんだこれ」
慎重に取り出す。
焼け焦げた封筒と、その中に入っていた木片。
封筒の半分は炭のように黒くなっていたが、それでもかろうじて紋章らしき模様が残っていた。
「……紋章?」
縦長の楕円の中に、鳥と剣――。
片側が焼け落ちているせいで全体像はわからない。
だが、確かにこれは貴族の紋章だ。
王都近郊で、貴族の馬車を狙う盗賊。
そしてその盗賊が、貴族の紋章を懐に持っていた――。
筋が通らない。
それは単なる山賊行為ではなく、もっと深い事情のある襲撃だ。
「……事件か」
呟いた声が、思いのほか冷たく響いた。
けれど俺には、この国の政治も貴族の関係もわからない。
今ここで下手に動けば、足を踏み入れてはいけない領域まで巻き込まれかねない。
俺は小さく息を吐き、紋章の木片を懐にしまい込んだ。
いずれこの国の司法機関に見せるか、あるいは教会に報告するか。そのときはいずれにせよ面倒ごとに巻き込まれるのは確実だ。関わりたくはない。しかし何かあった時の為に証拠は必要だ。
「……行くか」
盗賊たちの亡骸に手を合わせ、心の中で短く冥福を祈る。そして念のため、浄化の魔法をかけておいた。この世界では死者の残留思念が魔素に乗って漂うことがある。後に禍根を残さないための、俺なりのけじめだ。
指先から淡い光がほとばしり、死体を包む。
『キラキラだねー!』リラがはしゃいだ声を上げる。
その無邪気な調子が、胸にじんわりと染みる。
自分の手で命を奪った事実は、いくら光で覆っても消えない。
けれど、せめて――せめて穏やかに送り出したいと思った。
俺は拳を握りしめた。
――人を斬ることに、慣れちゃいけない。
その言葉が、心の底で静かに反響する。
強くなることと、冷たくなることは違う。
俺はそれだけは間違えたくなかった。
空を仰ぐと、日はすでに落ちかけ、世界は夕暮れに染まっていた。
紫と朱の混ざり合った空に、三つの月が雲の向こうから顔をのぞかせる。
大小の異なる白銀の月が二つ、少し遅れて昇ってきたのは赤みがかった月。その光が雲を透かし、地上に淡い陰影を落としていく。
「……なんだか、やっぱり異世界だな」
見慣れぬ天体の組み合わせを前に、胸の奥に不思議な感慨が広がった。日本で見上げていた月は一つだけ。今の空は、幻想画のように壮大で、どこか現実味が薄い。
『主、詩人みたいに感傷に浸ってますわね?』アイレがくすっと笑う。
『おー、ロマンチックだねー! 主のくせに!』リラがからかうように弾んだ声を重ねる。
『……ですが、素敵ですねー。この光景は』シュネがぽつりとつぶやく。
精霊たちの声に、俺は肩をすくめた。
「ほっとけ。こういうのは浸ってもいいだろ」
空の下、街道は王都へと続いている。まだ少し距離はあるが、もうこんなことは滅多にないだろう。
俺は荷物を背負い直し、月光を浴びる道を歩き出した。
王都――サンフラン王国の中心、プロブディン。
ようやく遠目にその外壁が視界に入った頃には、空はすっかり夕闇に沈んでいた。
「おおー……、マジか」
それは街というより、巨城そのものだった。
黒鉄のような石を何層にも積み上げた外壁は、地平線を覆うほどに広がっている。高さは五十メートルはあろうか。上部には見張り台が規則正しく並び、灯りが点々と点いていた。
『すごいですねー……要塞みたいですー』シュネが感嘆をもらす。
『ふん、無駄にでかいだけじゃねーの?』カエリが鼻を鳴らす。
『でも壮観ですわ。王国の威信が形になっているのですもの』アイレは真面目に評価している。
『ん。でかい』ポッコは短く言って終わり。
『あれ全部、登ったら絶対怒られるよねー!』リラが能天気に言って笑った。
王都と呼ばれるのは、この壁の内側だけだという。
外側には環状に広がる街――外街があり、そこには暮らしている住民の他に行商人、旅人、傭兵、流れ者がひしめいている。
聞けば、外街の面積は内城の三倍以上。壁の内外では、暮らす者たちの格がまるで違うという。
実際、門前の大きな道に足を踏み入れると、その雑多さに圧倒された。
道の両脇には屋台がぎゅうぎゅうに並び、干し肉、酒、香草、薬草、革製品……ありとあらゆる品が山積みにされている。
行商人の威勢のいい声、馬のいななき、子どもたちの笑い声。どこからか漂う香ばしい焼き菓子の匂いと、路地裏にこもった生ごみの臭気が混じり合って、息苦しいほどの活気だった。
『主、すごいですー……人が、こんなにー……』シュネが目を輝かせる。
『この密度……王国の心臓と呼ばれるのも頷けますわね』とアイレが静かに頷いた。
壁の近くは比較的整っていて、立派な商家や宿屋が軒を連ねていた。だが、一本裏通りに入れば、景色は一変する。
薄汚れた布を垂らした小屋、酒に酔って路上に転がる男、物乞いの老婆。
王国の繁栄の裏に積み重なった影が、そこには確かにあった。
「……まさに格差社会ってやつだな」
俺は思わずつぶやく。
しばらく歩き、王都の門へと辿り着く。
すでに空は群青に染まり、門上の灯火が風に揺れていた。
ちょうどその時、鐘の音が夜気を震わせた。
「夜間は通行禁止だ。宿を探すなら外街に行け」
門番の言葉は淡々としていたが、反論の余地はなかった。
背後の巨大な扉は既に閉じられ、開ける気配もない。
「ええぇ……」
思わず間の抜けた声が漏れる。
『まあ、仕方ないですわね』
『おー、王都は明日のお楽しみだねー!』
精霊たちの言葉に押され、俺は苦笑をこぼした。
「そうだな。焦っても仕方がない」
門前の広場には、旅人や行商人たちがたむろしていた。
焚き火を囲んで談笑する者、荷馬車の上で毛布にくるまる者。
その光景を眺めていると、妙に人の温かさを感じた。
「……さて、宿でも探すか」
外街の明かりが夜風にゆらめく。
喧騒の奥に沈む、巨大な壁の向こう――そこに待つものが何であれ、きっと一筋縄ではいかないだろう。
だが不思議と、胸の奥には静かな高揚があった。
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