第二百四話「貴族の少年」
御者の男が、俺をまっすぐ見てから、深々と頭を下げた。
「加勢、感謝する」
「いえ、無事で何よりです」
息を整えながら答える。さっきまでの交戦で、まだ血の匂いと熱気が漂っている。俺が倒した四人の盗賊に、御者は冷ややかな視線を落とした。
その目は冷たい光を宿している。
「……王都近郊でこのような目に遭うとは思いもしませんでした」
御者は剣を構え直すと、倒れ伏す盗賊の胸を容赦なく突き刺した。呻き声が途絶え、地面に血が広がる。
「一人残せば問題ないでしょう。そちらもとどめをお願いします」
「……わかりました」
このサンフラン王国において、盗賊行為は重罪だ。見つかれば即処刑、逃げ切っても追っ手に捕まれば同じこと。現行犯ならその場で殺しても何も咎められない。むしろ、生かして逃がすほうが非難されると聞いたことがある。
俺は息を整えながら、目の前の死体を見下ろす。両足を切断してしまった盗賊は、すでに血を流しすぎて死んでいた。どうやら失血によるショック死らしい。
火だるまになっていた盗賊は、まだかすかに痙攣していたが……ためらいはしなかった。胸を突き刺すと、炎と血の匂いだけを残して動かなくなる。
御者も同じく、残る一人の喉を突いてとどめをさした。
結局、生き残ったのは俺が蹴り上げて悶絶している一人だけだ。
「殺さなかったのは、そいつだけです」
「ええ……」
御者は素早く縄を取り出し、盗賊の手足を縛り上げる。盗賊は気を失いかけながらも呻いていたが、もう逃げる力はない。
「どうするんですか?」
「一応、このまま引きずっていって、尋問いたします」
「……ですか」
当然の処置と言わんばかりに、俺はそう答えるしかなかった。
死体についてはそのまま放置し、王都の警邏が巡回の折に回収するらしい。俺からすれば放置というのも不思議な感じだが、この辺りでは日常の光景なのかもしれない。
俺は剣を納めながら小さく息を吐く。この体の中に籠る、嫌なものを少しでも吐き出したかったから。
そんなとき、甲高い声が俺に向けられた。
「ありがとうございました!」
「え?」
顔を上げると、俺よりさらに幼く見える少年が、胸に手を当てて頭を下げていた。
柔らかな茶色のくせっ毛、華やかな刺繍を施した服は見るからに高価そうで、ただの庶民ではないとすぐに分かる。あどけなさを残した笑顔を浮かべているが、その態度は礼儀正しい。
――あれ? 今の俺より年下に見えるぞ。
今の俺は外見十四歳くらい。彼はそう、十歳くらいに見える。
「えっと……」
「私はヘルヴィウス・ウェルナーリスと申します」
名を告げられ、ようやく納得した。家名つき。貴族の家柄だ。
さっきまで盗賊相手に怯えた様子は見せなかったが、どうやらそれなりの家柄の少年だったようだ。
少年の傍に御者の男と、きれいに髪をまとめた若い女性が傍らに立っていた。彼らもただの旅人ではなく、使用人らしい。
「この御者はエンブス、そして彼女はクリスです」
「エンブスです。先ほどは助かりました。礼を言わせてもらおう」
「……お礼申し上げます」
壮年の男――エンブスは淡々と名乗り、女性のクリスは礼を口にした。だが、二人とも頭を下げることはない。
……そうだよな。貴族の使用人が、見知らぬ平民に頭を下げるなんてことは普通ない。
けれど当のヘルヴィウスは、再び深く頭を下げた。
「本当に助かりました!」
あまりに素直な態度に、俺のほうが戸惑ってしまう。
――貴族って、こんな感じなのか? いや、多分違うだろ。
俺も名乗る。
「俺はケイスケ。冒険者やってます」
鉄級冒険者と口にした途端、ヘルヴィウスの目が大きく見開かれる。
「その年で!?」
驚きの声が素直すぎて、逆に笑ってしまった。まあ、見た目が十四歳くらいのガキにしか見えないからな……。
クェルと組んだとき限定で銅級だが、普段は鉄級止まりだ。でも、わざわざ訂正する必要もない。
精霊たちが、影や風のざわめきの中で囁いた。
『おー、めっちゃ礼儀正しい子じゃん。ケイスケ、友達できるかもよ?』
『バカ言うな。貴族と平民じゃ釣り合うわけないだろ』
『でも、あの方……少し寂しげなお顔をなさってますわ』
『……そうですねー。笑ってはいますけどー、なんだか無理してる感じですー』
『ん』
仲間の精霊たちの意見に、俺もなんとなく頷く。
確かに、ヘルヴィウスの笑顔は明るいけれど、どこか陰を帯びているように見えた。
改めて見ると、貴族の少年が王都に行くには、馬車は立派だが、使用人の数が二人だけとはなんだか心許ないような気がした。
「鉄級にしては、随分と実力がおありのようですね」
御者台に座る壮年の男――エンブスが、俺を一瞥して低く言った。
その声音は、さっき盗賊を相手に共闘したときの必死ない口調とは違う。
探るような、じっと底を測ろうとする響きがあった。
……ん? 今の、ちょっと嫌な感じだな。
俺は剣を拭きながら顔を上げる。
「まあ、それなりに場数は踏んでますから」
軽く笑って返すが、エンブスの視線は冷ややかだ。
『おやおやー、睨まれてるよケイスケー。あの人、めっちゃ警戒してるねー』
『まあ無理もなくないか? いきなり現れて盗賊を倒したガキがいたら、普通は怪しむだろ』
『かもですねー。怪しいといえば怪しいですしー』
精霊たちの声になんとなく思う。……あれ? もしかして、疑われてる?
盗賊とグルになってヘルヴィウスに近づいたとか、そういう風に思われてるのか?
ぞっとして慌てて口を開いた。
「いやいや、俺は無関係ですからね!? 盗賊と一緒なんて絶対ないですから!」
慌てて冒険者証を取り出し、突き出す。
「鉄級冒険者のケイスケです。ほら、ちゃんと冒険者ギルドの登録印もあるでしょ!」
そもそもグルだったら、あんなに相手に重症を負わせることなんてしないだろ。
エンブスは証をじっと見て、少しだけ眉を動かした。完全に疑いが晴れたわけじゃないが、ほんの少しだけ態度が和らいだ気がする。
そのとき、ヘルヴィウスが声をあげた。
「あっ! その前にエンブス、傷を見せて!」
「はい。ヘルヴィウス様」
エンブスが馬車の横でかがみこむと、ヘルヴィウスは小さな手を彼の腕にかざした。
『命の精霊たちよ、わが手に集い集いてあるべき姿に細胞を修復せよ……レパティオ』
「……え?」
呆気にとられる俺の目の前で、淡い光が少年の掌から溢れ出した。
エンブスの腕に小さな輝きがまとわりつき、血の流れが次第に収まっていく。
『ありゃ、あの子、生命魔法――光魔法が使えるみたいだねー』
『レパティオ……基礎的な治癒の呪文ですわね』
レパティオは直接傷を塞ぐものではなく、身体の自然治癒力を強める魔法だ。確かに傷口はまだ塞がっていないが、血はぴたりと止まっていた。
光魔法の適性を持つ、貴族の少年、か。
「ありがとうございます。ヘルヴィウス様」
回復魔法の光が収まり、エンブスが恭しく頭を下げる。
「ううん。僕を守ってくれてありがとう、エンブス」
「……もったいないお言葉です」
短い言葉のやりとりだが、確かに二人は主従の関係なんだと実感する。
ヘルヴィウスは優しい口調で礼を述べ、エンブスはその言葉を畏まって受け取る。
「……先を急ぎましょう。ここから先は危険はないと思いたいですが……」
エンブスが立ち上がり、周囲を見回した。
そのとき、ヘルヴィウスが俺のほうを振り返り、ぱっと表情を明るくした。
「そうだ! ケイスケさんも一緒にどうですか!? 王都に行くんでしょう!?」
思わず息を呑む。
……悪い話じゃない。王都行きの馬車に乗せてもらえるなら楽だし、安全だ。
だが――。
エンブスとクリスの視線に気づいて、俺は言葉を飲み込んだ。
二人の目は、まるで抜き身の刃のように剣呑だった。
『うわー、あれは「お前は来るな」って目だねー。居心地わっるー』
『ですねー。これはー、完全に警戒されていますよー』
俺は苦笑して首を振った。
「俺は、遠慮しておくよ。この死体も片付けときたいから、先に行ってください」
ヘルヴィウスは少し残念そうに目を伏せたが、すぐに笑顔を取り戻した。
「……そうですか。でも本当にありがとうございました」
エンブスが口を開く。
「……招致しました。礼は必ず。王都の屋敷にお越しください」
その言葉は丁寧だったが、どこか形式的で感情のこもっていない響きだった。
俺は曖昧に頷くだけに留める。――行く気はない。貴族の屋敷なんて、近づくに決まってるわけがない。
やがて御者台に戻ったエンブスが手綱を鳴らす。馬車が軋みながら動き出した。
地面に縛り付けられた盗賊をずるずると引きずりながら、ヘルヴィウスたちを乗せた馬車はゆっくりと街道を進んでいく。
遠ざかる馬車を見送りながら、俺は息を吐いた。
光魔法を使う貴族の子供か。
なんとなくこの先、王都では色々と面倒ごとが待っていそうだ。
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