第二百一話「神学校、まさかのタイムリミット」
夕飯まではまだ少し時間がある。
リームさんが「一緒に食べよう」と言ってくれたので、その前に片づけておきたい用事を済ませることにした。
向かった先は教会だ。
扉を押し開けると、すぐに人影が見えた。
助祭のヘズンさんだ。
「お、久しぶりだね、ケイスケ君!」
いきなり満面の笑顔で手を振ってくる。
相変わらず、明るさが目にしみる青年である。
「ビサワはどうだった? いやぁ、冒険者としてあっちに行くなんて、やっぱりすごいよね。あれ? 髪の毛の色とか、そんな感じだったっけ?」
「お久しぶりです。まあ、ちょっといろいろありまして」
「いろいろ? あー、なるほど、人生ってそういうもんだよねぇ。……でも似合ってるよ! むしろ前よりカッコいいかも!」
「ありがとうございます」
のんきな調子に、思わず肩の力が抜ける。
……まあ、のんきと言うよりは、気取らない性格なんだろう。
「で、今日はどうしたの? 懺悔? 結婚? 寄付? それとも――」
「いや、そこまで重くないです。ちょっと確認がありまして」
冗談を軽く流して、教会の中を見渡す。
目当ての姿は――ない。
「あの……ティマはいますか?」
「ティマ? ああ、いないよ」
「マデレイネ様も?」
「うん、いないね」
ふむ、二人とも不在か。
「何か聞きたいことでもあるのかい?」
ヘズンさんが軽く首を傾げた。
「えっと……神学校への入学手続きって、もう始まってます?」
「…………え?」
一瞬ぽかんとしたあと、彼の顔色が見る見る変わった。
「えっ!? あっ!? そうだよね!? なんでまだこんなところにいるのさ、ケイスケ君は!?」
急に慌てだすヘズンさん。肩をわたわた揺らして、大げさなくらいだ。
「ティマがいないのはね、ちょうどその入学手続きのためなんだよ! マデレイネ司教と一緒に王都に行ってる!」
「え、司教様自ら?」
「そう! 普通はあり得ないんだよ!? でもティマは光の精霊と契約した聖女候補だから、特別にね!」
なるほど。そういう事情か。
「で、手続きはいつから?」
「来週から一週間の期間内だよ! それを逃したら、基本的には入学できないんだから!」
「来週か」
「来週か、じゃないよ!? 来週“から”だよ!? しかも王都まで馬車で二週間だよ!? どうやって行くつもり!?」
うーん……と俺は天井を見上げる。
こうして冷静に考えると、たしかに間に合わない。だが俺には焦る理由がない。
「……まあ、なんとかなるんじゃないですか」
「なんとかって! なんとかの中身がゼロじゃないか!? もう夕方だよ!? 定期便だって今の時間から出てないんじゃないかな!? っていうか、もし出てても遅いよ!? えぇ……どうするのさ!」
頭を抱えて歩き回るヘズンさん。完全にパニックだ。
俺は内心で笑いながらも、口には出さない。
だって、レガスがいるんだもの。
飛竜――レガスの背に乗れば、王都までなんてあっという間。
馬車で二週間かかる距離でも、空を飛べば半日もかからないだろう。
馬車は一日で50キロほど進む。距離にして600キロくらい。
レガスの通常飛行速度は時速120キロ。アイレに補助を頼めば、もっと速くなるはずだ。
「レガスとなら、半日で着けるかな」
思わず口の中でつぶやいたら、影の中のリラがクスクス笑った。
『なにそれ、余裕すぎ。人間が聞いたら腰抜かすよー』
『だろうなー』
俺は肩をすくめる。
しかしヘズンさんは当然そんなこと知らない。
そのかわり、彼は俺の両肩を掴み、ほぼ叫んでいた。
「と、とにかく早く王都に行かないと! ティマだって、君がちゃんと入学するか心配してたんだから!」
「そうですか」
「そうですか、じゃないってば! ああもう、これあげるから! 少しでも役に立つはずだ!」
そう言って押し付けられたのは、分厚い参考書の束だった。
どうやら彼が神学校にいた頃に使ったものらしい。
「ちょっと古いけど、内容は基本的なものだから役に立つよ!」
「いや、そんな貴重な――」
「いいから! 僕もう使わないし! 積んでおくよりケイスケ君が使ってくれたほうが本も喜ぶ!」
本が喜ぶかは知らないけど、熱意だけはすごい。
「ありがとうございます。……では、すぐに出発の準備を」
「うんうん、そうして! あ、でも暗くなったら危ないから! 明け方出発でもいいかも!」
「大丈夫です。飛竜がいれば、明日でも多分問題ないので」
「え? 飛竜?」
「あ、いえ、なんでも」
うっかり口が滑った。
幸い誤魔化せたようだが、うっかり「飛竜で行きます」なんて言ったら、三日三晩説教と質問攻めだろう。
「じゃあ、ほんとに気をつけてね! 怪我しないように! 王都で困ったら教会に行くんだよ!」
「わかりました」
「あと! 寝坊禁止! 絶対!」
「努力します」
まるで親に叱られる子どものような気分になる。
俺が旅支度なんていつでもできることを知らないから、余計に心配なのだろう。
ありがたいことだ。
心配してくれているのは間違いないし、その気持ちはちゃんと受け取っておくべきだ。
「わかりました。すぐに準備して出発します」
「ほんと!? よかったぁ……。じゃ、じゃあ僕も祈ってるから! 気をつけて!」
最後まで見送るように、手を振ってくるヘズンさん。
その心配そうな顔を背に、俺は教会の階段を降りながら、ヘズンさんの押し付けてくれた分厚い教本を軽く抱え直した。
リラが影の中でくつろいだ声を響かせる。
『ねえ、あの人ほんと慌てすぎ。ケイスケが慌てなさすぎなのかもだけどー』
『でも、いい人間そうですわ』
『まあ、そうかもな。でも……ありがたいよ』
心配してくれる人がいる。
それは、俺にとって間違いなく幸せなことだ。
リームさんの店に戻ると、すでに夕食の準備が整っていた。
木製の看板には、くっきりとした文字で『ケイム食料雑貨店』と彫られている。
「お店の名前、やっぱり息子さんの名前から取ったんですね」
そう声を掛けると、リームさんは嬉しそうに笑った。
「そうだ。いずれは、この子に継いでもらいたいからな」
まだベビーベッドの中で眠っているケイムを見ながら言うその顔は、商人の顔ではなく、ただの父親の顔だった。
「まあ、この子が継ぎたいと言ったら、だがな」
「きっと、継いでくれますよ」
俺はそう返す。
この世界では、職業の自由なんてほとんどない。親の仕事をそのまま引き継ぐのが普通で、それが安定した暮らしを保証してくれる。
ましてや雑貨店なんて、食料を扱えるだけでも十分に恵まれているほうだ。
わざわざ危険な冒険者なんかにならなくても、きっとケイムは幸せに暮らせるだろう。
俺のように、剣を振り回したり、魔物に襲われたりする必要はないわけだ。
リラが影の中からクスクス笑った。
『ケイムくんが大きくなったら、案外「冒険者になりたい!」って言い出すかもよー?』
『いやいや……そうなったら全力で止めるぞ』
『ふふっ、主が止めても、子供って案外聞かないものですわよ』
アイレまでからかってくる。
……まあ、未来のことを今から心配しても仕方ない。
その晩は穏やかな夜で、久々に心から落ち着ける食卓だった。
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