第二十話「馬車の夜とそばかすの少女」
夜の冷たい風が、頬をかすめる。
ミネラの村で過ごす最初の夜。とはいえ、俺は村の中ではなく、リームさんの馬車の上だった。
リームさんとイテルさんは、村の宴席に呼ばれている。
俺も誘われたが、遠慮した。
まだ言葉もまともに話せないし、大勢の中で居心地の悪い思いをするよりは、一人の時間を過ごしたかった。
──それに、やりたいこともあったしな。
俺は肩にかけたブランケットをぎゅっと引き寄せた。
布一枚あるだけで、ずいぶんと暖かいものだ。
焚き火のぱちぱちと爆ぜる音が、静かな夜に響く。
ふと、村のほうから聞こえる賑やかな笑い声に耳を傾けた。
酒か。久しぶりに飲みたいな。
この村では、いや、この世界では、どんな酒があるんだろう。
俺は特別な酒好きというわけではないが、たしなむ程度には好きだ。
うまい酒を飲み、くだらない話をして盛り上がる。
ハタノとはよく飲んだ気がする。
酒を片手に、馬鹿みたいな話で夜を明かしたような……そんな記憶がぼんやりと蘇る。
俺がこの世界に来る前の記憶……やっぱりまだ思い出すことはできない。
もしかしたら、この先ずっと……?
そう考えると、背筋が寒くなった。
ぼんやりと夜空を見上げると、そこには見慣れた三つの月が浮かんでいた。
「さて……」
俺は懐から茶色の魔石を取り出し、手のひらの上で転がした。
焚き火の光を受けて、魔石はキラキラと輝いている。
「綺麗だな……」
これは、ゴンタと別れる前に手に入れたものだ。
前にメイコからもらった魔石よりも、少し大きめだ。
これも、飲み込めば取り込めるんだよな?
俺はスマホを開き、同期率を確認する。特に変化はない。
「よし、いってみるか」
ごくり、と喉を鳴らしながら、魔石を口に含む。
意外とごつごつしていて、飲み込むのに少し苦労した。
「……ん」
腹の奥から、じんわりと温かさが広がる。
多分、取り込めた……はず。
もう一度、スマホで同期率を確認しようと手を伸ばした──その時だった。
「こんばんは!」
不意に、少女の声がした。
驚いて顔を上げると、焚き火の向こうに一人の少女が立っていた。
手にカンテラを持ち、その柔らかな灯りに照らされている。
長い赤毛を三つ編みにした、そばかすの少女だった。
年の頃は……十歳くらいだろうか。
くりっとした目がらんらんと輝き、興味深そうにこちらを見つめている。
「ねえ、何をしているの?」
少女は、夜の静けさを破るように、まっすぐな声で尋ねた。
俺は一瞬、魔石のことを思い出し、隠すべきか迷った。
いや、特に怪しいことをしていたわけじゃないが。
「特に何もしていないよ。そろそろ寝ようかなって思ってたところだよ」
そう答えると、少女は少し残念そうな顔をした。
「そうなの? じゃあ、少しお話しましょうよ!」
俺は苦笑した。
やりたいこともあったが……まあ、少し話せば満足するかもしれない。
「いいよ。言葉がまだうまく話せないけど、それでよければ」
そう言うと、少女はぱっと笑顔を浮かべた。
「やった! 大人たちだけお酒で盛り上がってて、ずるいと思ってたの!」
ああ、なるほど。宴会には子供は入れないんだな。
俺はなんとなく納得しながら、改めて彼女を見た。
「名前は?」
「ロビン!」
少女──ロビンは、元気よく名乗った。
「あなたは?」
「ケイスケ」
「ケイスケ? へえ、名前も珍しいわね!」
ロビンは興味津々といった顔で俺を見つめる。
名前も、か。……珍しいのは名前だけじゃない気もするが。
俺は肩をすくめて苦笑した。
焚き火を挟んで、俺とロビンは向かい合った。
少女のカンテラの灯りと、焚き火の赤い光が、夜の静けさの中でちらちらと揺れている。
ロビンは、珍しいものを見るような目で俺を見ていた。
「ねえ、ケイスケはどこから来たの?」
「……遠いところ」
「ふーん。遠いところから来たんだ? どんなところ?」
「どんな……こことは違っている場所、かな」
「どこが違っているの?」
「全部だな。人も建物も、空も何もかも」
頭に思い浮かぶのは、空に浮かぶ三つの月、それにドラゴン。
「そこにはケイスケみたいな人がいっぱいいたの? なんで旅をしているの?」
「まあ、俺みたいな人が多かったかな。なんで旅をしているのかは、俺もわからないんだ」
「わからないの?」
「うん」
「わからないんだ……?」
俺の言葉を反芻するように、ロビンは呟いた。
そして、しばらくじっと考え込んだ後、くすっと笑う。
「ケイスケ、やっぱり変わってる!」
「そうかな?」
「うん!」
ロビンは頷き、それからカンテラの灯りを見つめた。
「ねえ、ケイスケ」
「ん?」
「ケイスケはこれからどうするの?」
その言葉に、俺は焚き火を見つめながら少し考え込む。
どうする……か。
「まだわからない、かな。今は色々と勉強したいと思ってる」
俺は、なんでこの世界に来たんだろうな。
目的も、理由も、まだわからない。
でも、答えを見つけるために、俺は進まなければならない。
だから──。
「まずは、この世界のことをもっと知るつもりだよ」
そう答えると、ロビンはまた笑った。
「それなら、私がいろいろ教えてあげる!」
俺は思わず笑ってしまった。
「よろしく頼むよ、先生」
「まかせて!」
こうして、俺とロビンの奇妙な出会いの夜は、静かに更けていった。
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