第二話「森と川」
熱帯雨林などで動物とか自然を写した映像とかってよく見ますが、撮っている最中って、虫がすごいみたいですね……。
記憶が鮮明になり、少し落ち着きを取り戻した俺は、次に周囲の環境へと意識を向けた。
足元には背の高い草が生い茂り、蔦や木の根が複雑に絡み合っている。日本の森とは明らかに違う。木々の形状も、どことなく見慣れないものが多かった。
「実際に見たことはないけど、これが熱帯雨林みたいな感じか? ……というか、虫が多いな!」
とにかく羽虫が多い。小さいのから大きいものまで。
今のところ幸い目や口に飛び込んでくることはないが、時間の問題かもしれない。
遠くからは、相変わらず正体不明の鳴き声が響いてくる。
俺の記憶が正しければ、確かにコールドスリープ装置の中で気を失ったはずだ。
しかし、目が覚めたのはあの石の部屋の中、石の台の上だった。
意識を失っている間に転移した……? そう考えるしかない。
コールドスリープ装置から俺を引きずり出して、わざわざあんな場所に運び、寝かせる意味が分からない。誰かが意図的にやったとしても、その理由が見当たらない。
「よし……異世界に転移したと仮定しよう」
わからないものはわからない。
そう結論付けた俺は、次に考えた。
異世界転移ものといえば、最初に出会う存在が重要だ。
もし人間に出会えれば、交渉や情報収集ができる。しかし、言語が通じるかどうかが問題だ。
次に考えられるのは、亜人と呼ばれる存在がいる可能性。亜人の社会的立場がどんなものか分からないが、敵対的でないことを祈るばかりだ。これもまた、言語が通じるかどうかが鍵になる。
最も避けたいのは、獣との遭遇だ。
獣に遭遇した場合、意思疎通ができるかどうかも怪しいし、そもそも生存競争のルールが違う。こちらに敵意がなかったとしても、相手がどう捉えるか分からない。
慎重に歩を進めながら、周囲の音や動きに細心の注意を払う。
幸い、日はまだ高い。
焦る必要はない。
情報を集めながら、慎重に足を進める。
結局、何も出会わず、事件もないまま、俺は川にたどり着いてしまった。
拍子抜けである。
「……もっとこう、あるだろ?」
まあ、羽虫には辟易とさせられたが……。
あいつら、毒とか持ってないよな? あとでかぶれるとか、熱を出すとか、そうなったら、この状況では本当にやばい。
それにしても異世界転移といえば、道中で何かしらのイベントが発生するものではないのか?
たとえば、お姫様が襲われている場面に遭遇したり。
あるいは、俺が襲われているところに冒険者が駆けつけて助けてくれたり。
……いや、別に襲われたいわけではない。ただ、あまりにも順調すぎると、逆に肩透かしを食らった気分になる。
途中で拾ったいい感じの木の枝を杖代わりにしながら、ため息をつく。
まあ、何はともあれ、目の前には川がある。
水源を確保できたのは大きい。飲めるかどうかは別として。
とりあえず、川沿いを下流へと歩いてみる。
周囲を観察しながら慎重に進んだ。
川の水は茶色く濁っている。飲むにはちょっと躊躇する色だ。
川の淵は草木に覆われ、足元の視界が悪い。慎重に進まなければ、足を取られかねない。
向こう岸までは、おそらく二十メートルほど。
時折、小さな魚が水面を跳ねるのが見えた。
ワニのような危険生物はいない……っぽい。少なくとも、今のところは。
やがて、大きな轟音が聞こえてきた。
それは、遠くからでも分かるほどの凄まじい音。
近づくにつれ、音はますます大きくなり、川の中や岸に岩場が増えていく。
やがて視界が開け、俺の目に映ったのは、急流だった。
勢いよく流れる水が、岩にぶつかり白い飛沫を上げている。
日の光はすでに傾き始めていた。
そろそろ寝床を決めなければ。
流れが緩やかで、比較的安全そうな岩と岩の間を見つける。
「……よし、ここをキャンプ地としよう」
ひとまず、今夜はここで野営することに決めた。
キャンプといえば、まずは火である。
火がなければキャンプとはいえない。暖も取れないし、水を煮沸させることもできない。
周囲を見渡すと、乾燥した木の枝がそこら中に落ちている。燃料には困らなさそうだ。
しかし、問題は火の元だ。
俺はタバコを吸わない。会社でも、吸っているやつは無煙式のものばかりだった。きょうび、ライターを持ち歩く人間なんて絶滅危惧種扱いだ。
そういえば、ハタノはその絶滅危惧種だったな。顔はまだ思い出せないが。
ふと、ポケットの中のスマホを取り出す。
少し旧型だが、体温や振動、太陽光で充電できる、災害時に有効とされた機種だ。幸いにもそんな目には遭わず、その機能が活躍することはなかったが、充電いらずのスマホとして、最新式よりも堅牢という利点があった。
「確か、オフラインで利用できる辞書アプリを入れてたはず……」
スマホを操作し、アプリを起動する。
スマホ搭載のAIと連携して、最適な答えを返してくれる、地味に便利なやつだ。
検索窓に「原始的な火の起こし方」と入力すると、すぐに結果が表示される。
火を起こすには三つの条件が必要らしい。
①熱
②酸素
③燃えるもの
逆に言えば、この三つのうちどれが欠けても火は絶対に起きない。
摩擦で熱を生むためには、火きり板と火きり棒が必要だ。
燃えるものとしては、枯れ草や極細の繊維質なものがいいらしい。
そして、火種を集める受け皿になるものも要る。
最後に、せっかく起こした火を消滅させないためのかまど。
かまどや燃えるものは、その辺にある。問題は火きり板と火きり棒だ。
俺はそれに使えそうなものを森で集め、必死に火を起こし始めた。
何度も試行錯誤を繰り返し、腕が疲れてきたころ――。
「やった! 火が付いた!」
汗だくになりながら、ようやく起きた小さな火を眺める。
消えないように大事に大事に、風から守り、大きくなるまで育てた。
もうとんでもない強風が吹かない限りは消えないだろうという大きさまで育ってから、漸く力を抜くことができた。
思わず、達成感にひたる。
「火はこれで大丈夫だろう」
次は、水の確保だ。
大きめの葉っぱを見つけ、その上に川の水を汲んで火にかける。
しばらくして水が沸騰し、熱が冷めるのを待ってから慎重に飲んだ。
――三十分ほど経過。
体調は……多分大丈夫、っぽい。
食べ物はないものの、今はまだ腹が減ってないから大丈夫。
それよりも、だ。
「さて、はじめますか」
次に試すのは、自分にチートがあるのかないのかの、確認作業だ。
これの有無で、今後どうすればいいかが決まるからな。
ご拝読いただきありがとうございます!
あなたの貴重なお時間を物語に使っていただけたこと、とても嬉しく思っています。
ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!
もし「いいな」と思っていただけたら、
お気に入り登録や評価をポチッといただけると、とても励みになります!
コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、
どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。
これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!