第百九十七話「レガスと空の旅」
アイレによると、レガスの居場所は風の流れを通じてだいたいわかるらしい。
まるで大気そのものと会話しているかのような言い方に、改めて精霊という存在の規格外さを感じる。
俺は思わず小さく息を漏らし、森を見渡した。
時刻は夕方。赤く傾いた太陽が森の奥を朱に染め、木々の影を長く引き延ばしている。
風が通り抜けるたびに枝葉がざわめき、遠くでは鳥の鳴き声が微かに響いた。
そろそろ夜の帳が降りる。焚き火の用意をしておかないと、すぐに闇に包まれるだろう。
「レガス、夜は飛べないんだったな」
『はいですわ。竜種といえど、視界の悪さは致命的ですもの。あの巨体で闇の中を飛ぶのは、自殺行為ですわね』
アイレがきっぱりと答える。
鳥と同じで、夜目がきかないらしい。
危険回避のためにも、今日は無理をせず休むべきだろう。
「仕方ない、今日はここでキャンプだな」
少し開けた場所を探し、俺はテントを張る。地面の草を踏みしめる音が妙に心地いい。
夕焼けに照らされた森は美しく、空気はひんやりとして澄んでいた。
『お腹すいたー』
影の中からリラがぴょこんと顔を出す。
その調子の良い声に、思わず苦笑いがこぼれた。
「お前は食わないだろ」
『気分、気分だよー! 焚き火のにおい、好きなんだもーん!』
そう言ってひらひらと浮かぶリラ。
火を起こすと、パチパチと小気味よい音が夜の静寂に混じった。
精霊たちはそれぞれ自由気ままに過ごしていて、アイレは空を眺め、リラとカエリは炎の周りをくるくる回って遊んでいる。
俺以外にはこの光景も声も見えないのが、少しもったいないくらいだった。
穏やかな夜だった。遠く大河の音が子守歌のように心地いい。
風の音が優しく、森は眠りにつこうとしている。俺も少し遅れてその眠気に引きずられた。
翌朝。
少し寝坊した俺がテントの入口を開けた瞬間――世界が影に覆われた。
『ケイスケ! オレ、キタ!』
「お、おおっ!?」
轟音のような声。
次の瞬間、目の前には巨大な飛竜――レガスの姿があった。
灰色の鱗が朝日を反射し、まるで金属のように輝いている。
翼を広げた瞬間に生まれる風圧で、テントの布がばたついた。
圧倒的な存在感。だが、その目に宿る光は、あの頃のままにまっすぐで、どこか幼い。
『ケイスケ、ゲンキ!?』
「ああ、元気だ。お前も元気そうでなによりだな」
巨大な頭をぐいっと近づけてくる。
鼻先がすぐ目の前に迫り、熱い息がかかる。
思わず手を伸ばして撫でると、レガスは喉を鳴らしながら尻尾をぶんぶん振った。竜のくせに犬みたいなやつだ。
テントを片づけて荷物を背負い直したあと、俺はふと思い出したように言った。
「そうだ、レガス。ちょっと試したいことがあるんだ」
『ナンダ? ナンダ?』
興味津々に首をかしげる。でかい体のくせに仕草が子供みたいで、見ていて飽きない。
「俺の血を、舐めてみてくれ」
『……? ワカッタ!』
レガスは素直に俺の差し出した手をぺろりと舐めた。
ざらついた舌の感触とともに、ほんのりとした熱が皮膚に残る。
野生的な怖さと、不思議な信頼感が同居していた。
スマホを取り出し、画面を確認する。やはり、レガスのステータスが追加されていた。
登録して開くと――。
【ステータス】
・名前:レガス
・年齢:12
・性別:雄
・状態:良好
・視覚:100%
・聴覚:100%
・味覚:100%
・触覚:89%
・知覚:99%
・精神:90%
・免疫:90%
・存在:100%
・魔力:70%
【スキル】
・飛翔(LV2)
・魔素との同期:8%
・火素との同期:1%
・風素との同期:8%
「風素が8%か。らしいといえばらしいな」
思ったとおり、レガスは風の力を強く持っている。でも風の魔法を使えるほどではない値だ。
でも本命はステータスの確認じゃない。
念話のほうだ。
『ケイスケ! オレ、アタマのナカでコエ、キコエル!』
「そうだな。これで念話ができるようになった」
『スゴイ! ベンリ!』
レガスは大興奮だ。翼をばさばさと広げて、その場でぴょんぴょんしている。でかい図体で跳ねるな、地面が揺れる。
笑いをこらえつつ、俺はレガスの鼻先を軽く叩いた。
彼は少し不満そうに鳴いたが、すぐに落ち着いて翼をたたむ。
なんにしても、これで必要なときにいつでも呼び出すことができる。
……つまり、レガスタクシーの誕生である。
朝日を浴びたレガスの背中は、銀に光っていた。
「というわけで、頼むぞ。ハンシュークまで、ひとっ飛びだ」
『マカセロ!』
レガスが大きく翼を広げた。風圧が地をなぎ、草が渦を描く。
俺はその背にしっかりとまたがり、手綱代わりの鱗の隙間を握りしめる。
――ドン、と地を蹴る衝撃。
視界が一瞬で傾き、次の瞬間には、地面がどんどん遠ざかっていった。
ぐわん、と内臓が持ち上がる。
息を呑むほどの加速ののち、俺たちは雲の下へと躍り出た。
風が頬を打つ。しかしアイレが風の流れを制御してくれているおかげで、突風も冷気もほとんど感じない。
さらにカエリが周囲の空気をほんのり温めてくれており、まるで温かなベールに包まれているようだ。
「快適すぎるな……」
『空の旅って、いいよねー。風を切る感じ、サイコー!』
『けど落ちたら即アウトだよな!?』
リラとカエリの掛け合いに、俺は苦笑する。
高度は三百メートルほど。眼下に見える森や川は、まるで小さな模型のようだった。もし人や獣が歩いていたとしても、点にしか見えない。こちらからそうなら、地上から俺の姿を視認することもまず不可能だろう。
――とはいえ、ここは魔法の世界。用心するに越したことはない。
「リラ、頼む」
『はいはーい』
リラの光がふっと広がり、俺たちは光学迷彩の魔法に包まれた。これで目視で見つかることは、ほぼなくなるはずだ。
空の旅は続く。
風を切る音と、レガスの規則的な羽ばたき。
その背中は岩のように硬いが、不思議と安心感がある。
大きな心臓の鼓動が背中越しに伝わり、まるで巨大な生命のリズムと一体になっているようだった。
『ケイスケ、タノシイカ?』
「ああ。最高だ。やっぱり空を飛ぶって、いいよな」
『ソラ、ダイスキ! オレ、ココ、スキ!』
レガスの声が胸に響く。
その無邪気な叫びが、なぜだか胸を打った。
彼にとって空は生きる場所であり、自由そのものなのだろう。
ふと後ろを振り返ると、もう大河の姿は見えなくなっていた。
そして、北を見やる。白く険しい山脈が、雲を突き抜けるほどの高さでそびえている。
――世界の接続点――世界樹があるといわれる方向。
あの山脈の向こうに、それがあるのだろうか。
そんなことを考えているうちに、時間はあっという間に過ぎていく。
半年前、クェルと走り回っていたハンシュークまでの道のりは、徒歩なら一か月の旅だった。だがレガスに乗れば、わずか二日。
もちろん夜に飛べばもっと短縮できるのだろうが、俺はあえて休憩を挟んだ。レガスに無理をさせたくなかったし、俺自身も空の旅をのんびり楽しみたかった。
リラなら夜間飛行用に視界を補助できるが、それもやめた。たまにはゆっくり行くのもいい。
雲間を抜け、陽光が差し込む。
下を見下ろすと、見慣れた景色が広がっていた。
草原、森、川、丘。あのときは地を駆けて見ていた風景を、今は空から眺めている。
「――ハンシュークが近いな」
俺は呟き、背下のレガスの首筋を軽く叩いた。
レガスは「ウオオォォ!」と高らかに声を上げ、さらに速度を増した。
レガスの背が、ゆっくりと高度を下げ始める。
その向こうに、見慣れた街並み――ハンシュークが見えてきた。
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