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第百九十五話「蟻塚を飛び越えろ」

「……なんか、蟻の群れがこっちに来ている気がするんだけど?」

『確かに、蟻がこっちに来ていますわ』


 アイレの張り詰めた言葉に、瞬時に肌が泡立つ。


「――っ!? 来るぞ!」


 次の瞬間、俺の目に飛び込んできたのは、黒い奔流だった。


 地平線の向こうから、砂煙を巻き上げながら押し寄せる影の波。

 遠くではただの黒い帯のように見えていたが、距離が縮まるにつれ、それが無数の足と顎を持つ巨大な生物の群れだとわかる。


 蟻。蟻。蟻。


 地平線の端から押し寄せる真っ黒な津波は、すべて巨大な蟻の群れだった。


「すごい数だな!?」


 さすがに腰が引けた。あれに飲み込まれたら、骨どころか服の繊維一枚残らないだろう。


『……ごめん。石を取るときに、ちょっと刺激しちゃった。あと多分、石から臭いが出てるかも』


 ポッコがぽつりと謝った。

 原因はお前か、と言いたいところだが、さっき蟻鉱を掘り出してくれた恩を考えると強くは言えない。


「今から蟻鉱を捨てても……?」

『多分無理。手とかに臭いついてるから』

「……だよなー」

『主、ゴメン……』


 ポッコの声が小さくなる。


「いや、気にするな! とにかく逃げるぞ!」


 俺が駆けだそうとしたとき、カエリの低い声が割り込んだ。


『主、慌てる必要はないぞ』

「え?」


 カエリが片手を軽く払う。

 その瞬間、俺と蟻の大群のあいだ、およそ二十五メートル先に、轟音とともに火の壁が立ち上がった。


 ゴオオオオオッ――!


 真紅の炎が壁のように伸び、空気が一瞬で焼け付く。

 熱風が肌を刺し、乾いた草がぱちぱちと音を立てる。

 迫り来る蟻の群れはその炎に突っ込み、弾かれ、もみくちゃになっていた。


「……すげぇ」


 思わず見とれる。

 まるで地獄の門を描いた絵画のようだった。


『ふふん、これくらい朝飯前だ』

 カエリは鼻を鳴らすが、ほんのりドヤ顔しているのが声色だけで分かる。


「よし、ならその隙に――」


 俺は振り返り、仲間たちに指示を飛ばした。


「アイレ、跳んで逃げるから補助してくれ!」

『お任せくださいませ!』

「シュネは、俺たちが抜けたあとで消火を頼む」

『わかりましたー。森に火が燃え移ったら困りますからねー』


「よし……」


 炎の壁があるとはいえ、いつまで持つか分からない。

 このまま押し寄せられれば、いずれ飲み込まれる。

 ここは一気に飛び越えるしかない。


 と、そこでポッコがぽつりと尋ねてきた。


『主、石、もっといる?』

「いや、ポッコ、そんなには……って、多っ!?」


 気付けば俺の足元がまた盛り上がり、そこにはさっきと同じような琥珀色の鉱石がごろごろと転がっていた。

 数えてみれば十個以上。


「ど、どこからこんなに……」

『集めといた』


 あっさりと言うポッコ。

 控えめな性格のくせに、やるときはやたら仕事が早い。


「ありがたいけど……蟻たちの怒りをさらに買いそうだな」

『大丈夫。もうあいつら怒ってる』


 ……確かに。あの黒い奔流に、理性なんてものは感じられない。


「……一個も十個も変わらない、か。ありがとな、ポッコ」

『ん』


 短い返事。けれど、それで十分だった。


 俺は素早く袋を取り出し、鉱石を詰め込む。

 その重みが手のひらに伝わり、妙な実感が湧いた。


「よし、準備完了! ――行くぞ!」


『いつでもどうぞですわ!』


 アイレの声と同時に、俺は地面を強く蹴った。

 脚に魔力を集中させ、筋肉を爆発的に強化する。


 ドンッ!


 地面が砕け、土が舞い上がった。

 風圧が頬を打ち、視界が一瞬で開ける。


「うおおおおっ!!」


 世界が一気に遠のく。

 身体が軽く、空を駆けるようだった。

 アイレが背に追い風を送り込み、さらに推進力を与える。


 炎の壁の上を越え、黒い蟻の海を見下ろした。

 地面が蠢いている。何万という顎が、陽光を反射してぎらりと光る。


 息を呑むほどの光景――そして、恐怖と興奮。


 俺の身体は、放物線を描きながら高く、高く舞い上がっていた。


「よしっ、越えられる!」


 ――そのときだった。


『主、足元に圧縮空気を用意しますので、あれを試してみては?』


 アイレの澄んだ声が風の中で響く。


 あれ――クェルが見せたあの空中機動のことだ。

 彼女は火の爆発を足場にし、空中で舞うように軌道を変えた。

 まるで重力さえ味方につけているかのように。


 俺も、それをやってみろというのか。


「……なるほど! やってみよう!」

『今ですわ!』


 アイレの声とともに、足裏にふわりと柔らかい感触が生まれた。

 まるで見えない床がそこに現れたような――不思議な浮遊感。

 空気の流れが凝縮し、しなやかな弾性を持って俺を支えているのが分かる。


 これを蹴れば、さらに高く――!


「それっ――!」


 バンッ!


「あれっ!?」


 足は空を切り、体がふわりと前のめりに傾いた。

 落ちる。

 重力が急に戻ってくる。


 視界がぐるりと回転し、風の音が耳を裂いた。


「も、もう一度!」

『準備はできていますわ!』


 再び、足裏に圧縮された空気が形成される。

 まるで薄い膜の上に立つような、不安定な感覚。

 だが今度こそ、と力をこめて――。


「いけっ!」


 ドンッ――!


「――うわぁっ!?」


 またも空振り。

 足場があると信じた瞬間、踏み抜いた空気が裂けるように消えた。

 俺はジタバタと空を掻きながら、重力に引かれていく。


 風が頬を叩き、地面がみるみる近づく。


「ちょ、ちょっと! もうすぐ地面――」


 ガンッ!


 土煙が弾けた。

 膝をつくほどの衝撃。肺の中の空気が一瞬で抜ける。

 だが、まだ蟻の群れとの距離はギリギリ保てている。


 背後では炎の壁がうねり、爆ぜる音を上げていた。

 黒い波のような蟻たちがその向こうで蠢いているのが見える。

 熱と地鳴りと羽音が入り混じり、まるで戦場のど真ん中に立っているようだった。


「くそっ……もう一度だ!」


 息を整え、脚に魔力を集中。

 筋肉がしなり、体内の血流が一気に熱を帯びる。


「頼むぞ、アイレ!」

『いつでもどうぞですわ!』


 再び足裏に、見えない「足場」の感触。

 けれど――そこをどう“蹴る”のかが、まだ掴めない。

 力の加減を誤れば、ただ空をかくように滑るだけ。


「はぁっ――ぐっ……!」


 バシッ!


「だめだぁああ!?」


 またしても空振り。

 背中から落ち、今度は尻を盛大に打った。

 じんわりと痛みが広がる。


「っつ……やっぱり高等技術は、そう簡単にいかないか……」


 膝に手をつき、息を吐く。

 額の汗が頬を伝い、土の匂いと混ざる。


『まあ、あいつの動きはあれでも職人芸だしなー』


 カエリの声が軽く響く。

 彼の言う「あいつ」とは、もちろんクェルのことだ。


『でも、今の練習で感覚は少し掴めましたでしょう?』


 アイレが優しく声をかける。

 彼女の言葉に、思わず苦笑がこぼれた。


「まあ……なんとなく、な」


 見上げた空は、熱気と土煙で霞んでいる。

 火壁の向こうから、まだ黒い波が押し寄せてくるのが見えた。

 あの炎が消えれば、一瞬で飲み込まれる。


 焦りが、胸の奥でじりじりと熱を帯びていく。


 そのとき――。


『あるじあるじ! 今度は僕とやってみないか?』


 カエリの声が弾む。


 そうだ。クェルは火の爆発を足場にして空中を動いていた。

 もし俺も、その爆風を使えれば――。


「それもありか? ……でもとにかく、今は突破優先だ」


 立ち上がりながら、袋を背負い直す。

 足元の土が震える。蟻たちが迫っている。


「行くぞ!」


 俺は駆け出した。

 足裏で土を蹴るたび、熱風と砂が混ざり合って顔を叩く。

 息が焼けるように熱い。

 心臓がどくどくと鳴り、全身の血が駆け抜ける。


 練習は後回しだ。

 今は、生き延びることが最優先――!


 背後で、蟻の海が炎を飲み込む音がした。


最後までお読みいただきありがとうございます!

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