第百九十話「その条件」
ふとエージェのことが、頭に浮かぶ。
そういえば、確認したいことがあった。
俺は、息を整えて口を開いた。
「ウルズさん。……ひとつ、聞いてもいいですか」
「ええ、どうぞ」
彼女は柔らかな笑みを浮かべたまま、真摯に耳を傾けてくれる。その様子に安心しつつ、俺は本題を切り出した。
「ビサワに、エージェと似た特徴を持つ種族って存在しますか? ……それと、もしそういう女性が、近年行方不明になったという事件はありませんでしたか?」
自分でも少し乱暴な聞き方をしたと感じた。けれど、気になって仕方がなかった。あの少女は、どこから来たのか。なぜダンジョンコアにされたのか。
ウルズさんは少し目を伏せ、記憶を探るように語り出す。
「……報告に残っている限り、そのエージェのような女性が行方不明になったと騒がれたことはありません」
「そう、ですか……」
思わず小さく漏れた言葉が、部屋の影に吸い込まれていく。
「尤も、私の手元にあるのは水森の里や近隣の情報が中心です。現地の集落に直接問い合わせれば、また違う話が出てくるかもしれませんが」
彼女はそう念を押した。
確かに……。ウルズ様が権威を持っているとはいえ、ビサワ全てを把握しているわけじゃない。
ただ、行方不明が大規模に広まっていない以上、どこかの閉ざされた場所で処理されている可能性が高い。
ウルズさんは続ける。
「ちなみに、ケイスケ様の仰っているエージェ様のような黒い肌に銀髪銀目のダークエルフと呼ばれる特徴を持つ種族は、ビサワには三つございます。露森族、幽命族、そして闇森族。中でも闇森族は非常に排他的で、他種族とほとんど交流を持ちません」
なるほど、どれも聞き慣れない名だ。
「闇森族……」
けれど、闇森族という響きに思わず引っかかった。閉ざされた社会なら、外から覗くことも難しい。
ウルズさんは、続けて慎重に言葉を選ぶ。
「闇森族の存在は古く、私も直接会ったことはありません。彼らは自らを闇に選ばれし民と称し、他種族とは交わらぬまま森の最深部で暮らしているとか。……もし、彼女がその出身であるなら、外部に情報が漏れぬのも不思議ではありませんね」
しかしウルズさんは、首を横に振る。
「それでも、人一人がいなくなれば、内々では騒ぎになるはずです。完全に隠し通すのは難しいでしょう。ですから、どこか外部の勢力が関わっていた可能性もあります」
結局、はっきりしたことは何もわからないということか。
俺の沈黙を見かねて、クェルが口を開いた。
「……つまりさ、そのエージェのときみたいに、光魔法の適性を持つ子を、どこかから攫ってくる可能性があるってこと?」
彼女の声音には、隠せない怒りが滲んでいた。
小さな拳をぎゅっと握りしめ、机の端に押しつけている。
俺はゆっくりと頷いた。
「……ああ。あいつのやり方は、まだ掴めない。けど――目的のためなら、何だってやる奴だと思う」
「いずれにしても、ハルガイトの動向には注意しておく必要がありますね」
ウルズさんの声が、静かに場を締めた。
その瞳には、神官としての責任と、ひとりの人間としての憂いが宿っている。
火の粉がぱらりと舞い、室内の空気がわずかに温もりを増す。
しかし、俺たちの胸の内を覆うのは、確かな寒気だった。
その日の話し合いは、やがて静かに幕を閉じた。
夜。
建物の裏手には、木々の梢を見下ろす広いバルコニーがあった。
磨き込まれた欄干の上を、月の光が薄く滑る。
俺はそこに立ち、夜風を浴びながら深く息を吐いた。
森を抜けてくる風は、冷たすぎず、心地よい湿り気を帯びている。
頬をなで、首筋を通り抜け、鎧の下の熱を奪っていく。
地上へ戻ってきたという実感が、ようやく胸の奥に広がっていた。
隣では、クェルも同じように欄干に腕をかけ、外の闇を眺めている。
月光に照らされた横顔が穏やかで、どこか子どものようにも見えた。
会話はない。ただ、静かに流れる時間。
――奪還作戦。クミルヒース。ダンジョン。エージェ。そしてハルガイト。
頭の中を、さまざまな記憶が渦を巻くように駆け抜けていく。考えても考えても、答えは出ない。堂々巡りというやつだ。
そんな中、ふと、ひとつの疑問が浮かんだ。
スマホにクェルのステータスを追加できないのか?
この距離なら、何かの条件を満たせるかもしれない。
「なあ、クェル。ちょっと試したいことがあるんだけど、いいか?」
「ん? なになに?」
夜風に乗って届く声が軽やかだった。
この空気の中では、彼女の声すら透き通って聞こえる。
「いや、その……スマホにさ、クェルのステータスを追加できないかと思って」
「すまほに、すてーたす?」
彼女は眉を上げ、首を傾げた。
「それをやると、どうなるの?」
俺は画面を開きながら、簡単に説明した。
クェルの状態を確認できるようになるかもしれないこと。
それに、魔法の適性を上げることができるかもしれないことも。
「へー! それができれば、私も魔法が使えるようになるの?」
興味津々の瞳が、月明かりを受けてきらりと光る。
「たぶんね。でも……クェルが追加できないんだよな」
「あらま、なんで?」
「それがわかれば苦労しないんだよ」
「それもそっか」
クェルは笑って肩をすくめる。
その自然な仕草に、ほんの少し救われた気がした。
「でもさ、そのダンジョンコアっていう子……エージェ? は追加できたんでしょ?」
「まあ、そうなんだよな……。クェルとエージェの違い、か……」
口に出してみた途端、思考がまた迷路に入り込む。
エージェは“コア”だった。あの時、俺は彼女と直接――いや、あれは……。
嫌な予感が脳裏をかすめる。
でも考えたくない。あんなこと、そう何度も言葉にできるか。
俺は咳払いして、気持ちを切り替えた。
「ちょっと、手を貸してくれ」
「ん? うん」
クェルがわずかに警戒したように眉をひそめる。
俺は軽く笑って手を差し出した。
「いや、手を握るだけ。……もしかしたら、接触が条件かもしれないから」
「あ、そういうことね」
彼女は納得したように頷き、手を伸ばしてくる。
指先が触れた瞬間、かすかに電気のような感覚が走った。
剣を握り続けてきた手。硬いけれど、体温が確かに伝わってくる。
――温かい。
それだけで、何かが胸の奥をくすぐるように疼いた。
だが、スマホの画面は無反応だった。
「……だめか」
「だめなんだ」
二人同時にため息をつく。
夜風が、ため息を運んで森の闇に消えていった。
俺は腕を組みながら、頭の中で条件を整理する。
一緒にいた時間? いや、エージェの方が圧倒的に長かった。
ダンジョンマスターとコアの関係? それもありそうだが、それでは他の仲間を追加できない理屈になってしまう。
となると――残る違いは、あれしかない。
「……やっぱり、あれしかないのか?」
ぼそりと呟いた声が、夜気の中で思いのほか響いてしまった。
自分でも顔が熱くなるのがわかる。
「……ん? 何か思いついたの?」
隣のクェルが怪訝そうに俺を覗き込む。
月明かりの中、その栗色の瞳がまっすぐで、逃げ場がない。
――しまった、顔に出てたか。
「どしたの? なんか思いついたんなら言いなさいって。師匠命令!」
普段師匠面なんてしないのに、なんでこんなときに持ち出してくるかな……。
でもクェルだって、魔法が使えるかもしれないと期待させられておいてお預けってのもきついか……。
逃げ道を塞がれた俺は、しばらく迷った末、観念して口を開いた。
「あー……。なんていうか、その……。俺の、体液を取り込めば……もしかして?」
言いながら、頭を抱えたくなる。
夜の空気が一瞬、凍りついたような気がした。
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