第百八十九話「対策」
クェルが、ふいに本来の調子を取り戻したように口を開いた。
「そういえば、ケイスケ。魔法の改良が出来たって言ってたけど、どんな感じになったのよ?」
唐突な問いに、俺は少し考え込んだ。
どう答えるかで、仲間たちの受け止め方も変わってくる。
「あー……まあ、別に何かを破壊するとか、そういう攻撃的な魔法じゃないし。……ウルズ様、この中で試してみても?」
「ええ、大丈夫ですよ」
ウルズ様は落ち着いた声で頷く。その声音には、いつもどこか人を安心させる響きがあった。
「わかりました」
俺が準備をしようとしたその時、ウルズ様が柔らかく手を上げて待ったをかけてきた。
「ですがケイスケ様?」
「はい?」
一瞬、胸がざわついた。やはり魔法をこの神聖そうな建物の中で使うのはだめだったか?
「以前、私のことは“ウルズさん”と呼ぶはずだったのでは?」
「えっ……」
不意打ちすぎて、言葉に詰まる。まさか、そこで指摘が入るとは。
横でクェルがにやにやしながら肘で俺を小突いた。
「ほらほら、“さん”付け忘れてたんじゃない?」
釈然としないが、まあ確かに約束はした気がする。
仕方なく息を吐いて頷いた。
「わかりました。じゃあ、ウルズさん」
満足そうに微笑んだ彼女を横目に、俺は手を前に突き出した。
『浄化』
掌から、サーチライトのような白く澄んだ光の帯が走り出す。
屋内の緑に染まった壁や床を反射して、きらきらと幻想的な輝きを放った。
まるで夜空に星を散らしたように、光の粒がふわりと漂い、空気そのものが清められていくようだった。
「……きれい」
クェルが思わず小さく呟く。その顔には戦いの緊張ではなく、女性らしい素直な感動が浮かんでいた。
「澄み渡る光……まさに聖域のようですわね」
ウルズさんの瞳も宝石のように輝き、息をのんでいた。
『うわー! やっぱり光の魔法なんだねー!』
俺の影から、リラがひょいっと顔を出して叫んだ。
『じゃあ、私が手伝えばもっとパワーアップできるよ! 範囲だってぐいーんと広げられるし!』
「確かに……リラが協力してくれれば、更に強力になるかもな」
『でしょでしょー!』
ぴょこぴょこと飛び跳ねるリラの姿に、カエリが肩をすくめつつも笑みを浮かべる。
『前にグレイアームズを倒した時も、僕が支援したらケイスケの魔法がとんでもない威力になってたもんな!」
「うん。あれはすごかったな……。だから、確かに試してみたい」
俺は光を手の中で消しながら答える。
「まあ、でもそれはまた今度だな」
『りょうかーい!』
光を見上げるウルズさんの瞳が、驚きに大きく見開かれていた。
「まあ……! 光の精霊様ですか?」
その声には畏敬と歓喜が入り混じっている。
俺はそこで、これまでちゃんと精霊たちを紹介していなかったことを思い出した。
「せっかくだし、みんな、出てきて」
俺の呼びかけに応じて、次々と影や空気の揺らぎから姿が現れる。
リラが「よろしくー」と手をひらひら。
カエリが「ども」と気怠そうに。
シュネが「どうもですー」と間延びした声で。
アイレが「よろしくお願いしますわ」と優雅に会釈。
そして、ポッコが「ん。ヨロ」と短く。
五人が一列に並ぶと、空気が一変する。
まるで舞台に立つ役者のように、それぞれの個性が鮮烈に際立ち、色彩すら濃くなったように感じられる。
光の余韻を受けて、精霊たちの輪郭は淡く輝き、神秘そのものだった。
「……これは、流石はケイスケ様としか申せません」
ウルズさんは感嘆の吐息を漏らす。その頬が紅潮しているのは、敬意だけでなく、感動によるものだろう。
そのとき、どこからか柔らかな気配が流れ込んだ。どうやらウルズさんに仕える精霊のようだ。俺には姿が見えなかったが、彼女は小声で何かを交わし、わずかに微笑んだ。
――どうやら、彼女の精霊も俺の仲間たちに挨拶をしていたらしい。
ひと通り自己紹介を終え、場が落ち着くと、話題は再び俺の魔法へと戻る。
「瘴気に対しての効果を直接確かめられないのは残念ですが……とても力強い光の帯ですね。ですが、ハルガイトは浄化魔法をどう扱うのでしょうか」
ウルズさんの問いかけに、俺は腕を組んで考え込んだ。
確かに、ハルガイト自身には光魔法の適性はない。あのときも何度も試してみていたが、結局発動はしなかったのだから。
だから、俺が渡した浄化魔法をそのまま発動することはできないはずだ。
けれど――。
「……自分で使えないなら、ハルガイトは“調達”してくるかもしれないな」
「……調達?」クェルが眉をひそめる。「人を?」
俺は無言で頷いた。
脳裏に浮かんだのは、ダンジョンコアを埋め込まれて、その記憶と人格を無くした少女――エージェの姿。
彼女のように、力を強制的に使わせようとする……あの男なら、平然とやりかねない。
クェルの顔に怒りが宿る。栗色の瞳がぎらりと燃え上がった。
その小さな体の奥に潜む激情が、場の空気をわずかに震わせる。
「……確かに、ケイスケの話を聞いていると、その可能性は大いにあるわね……」
その声は低く、唇を噛み締めていた。
俺も同じ思いだった。
あの男は、必要とあらばどんな犠牲でも払う。いや、犠牲とすら思わず、ただの道具として人を利用する。
浄化の光はゆっくりと消え、再び室内に静かな薄闇が戻っていった。
そしてその静かな空気を破るように、俺は口を開いた。
「……ハルガイトの行方が分からない以上、こちらも慎重に動かないといけませんね」
ウルズさんが頷く。
「ええ。水森の里は安全ですし、情報網も整っています。ヘクトルをはじめ、古参の者たちと連携すれば、必ず何か掴めるでしょう」
「じゃあ、私が残って一緒に探す!」
クェルが迷いなく声を上げた。
「……クミルヒースのこともあるし、ハルガイトを見つけるなら絶対協力する」
その眼差しには、痛みと怒りが滲みながらも強い決意が宿っていた。
俺は小さく頷いた。
「うん。ここで動いてくれると助かる。俺が一人で動くよりも、はるかに確実だから」
しかし、そこでウルズさんが俺をまっすぐに見据える。
「ただし、ケイスケ様。――貴方が生きていることを知られてはなりません」
その言葉に、部屋の空気が張りつめた。
ハルガイトに知られれば、必ず利用されるか命を狙われる。……それは痛いほど理解している。
クェルが眉を寄せ、俺を見た。
「でも、ケイスケの顔も髪も目も、このままじゃ目立つよね」
それを聞いて、リラが俺の影からひょこんと飛び出して、元気よく手を挙げた。
『はーい! そういうのなら、私の光魔法でなんとかできるよー! 見た目をちょっと変えるくらいなら簡単だよー!』
「……そんなこともできるのか?」
『うん! 光で色を錯覚させればいいだけだしねー。髪の毛を金色に見せたり、瞳を青くしたり、朝飯前だよー!』
なるほど……リラの能力なら、確かに可能だ。
けれどウルズさんは、慎重に言葉を添えた。
「素晴らしい力ですが……常に発動し続けるとなると、精霊様にご負担もかかりましょう。この里には“彩葉の薬”という秘薬があります。髪や瞳の色を変えることができるのです。一定期間で効果は薄れますが、外見を誤魔化すには十分でしょう。念のためにこの“彩葉の薬”を併用するのが良いかと」
「おお……そんな便利なものが」
『あー……確かにずっとやるのはちょっと疲れるかもー?』
リラが頬をかきながら、ばつが悪そうに笑った。
クェルが腕を組み、真剣に俺を見つめる。
「なら、両方使うのが一番いいね。普段は薬で色を変えて、必要に応じてリラちゃんが上乗せしてごまかすって感じで」
「……それなら確かに安心できるな」
俺は頷き、息をついた。
「ふふ、でもケイスケが黒髪じゃなくなるなんて、ちょっと楽しみかも」
クェルが悪戯っぽく笑い、じっと俺を覗き込む。
「赤とか金とか、似合いそうだよね」
「どうだろう……? 俺は茶色とかでいいんだけど」
茶髪なら、まだ違和感がないはずだ。
他はなんとなく、チャラいイメージで、なんだか俺には似合わないような気がしてならないから。
「ケイスケ様の髪と目の色は、この周辺諸国では見ないような美しい深い黒色ですから、確かによく見るような茶色にするだけでも効果はありそうですね」
クェルがうんうん、と頷いて俺を見ていた。
そういえばこの世界に来て、黒目黒髪の人って見たことなかったけど、そういうこと?
「え? 黒目黒髪って、珍しかったの?」
俺の言葉に、クェルとウルズさんもキョトンとして頷く。
「少なくとも、私は生まれてから今まで、見たことがないですね……」
「私もー」
「マジですか」
まさかの新情報に、俺は静かに肩を落とすのだった。
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