第百八十八話「痛憤の真実」
「良かった……! 本当に」
涙目のウルズ様。
笑顔のまま涙を湛えているその顔から、本当に心配してくれていたことがひしひしと伝わってきて、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「あの、ウルズ様、その、クェルです」
ひとまず紹介を――と口に出したはいいが、舌がもつれる。なんというか、どぎまぎして言葉がうまく出てこない。でも、ウルズ様は気にした様子もなく、優しく頷いた。
「貴方が、クェルさんですね。ヘクトルより伺っています。ケイスケ様の良き師であり、冒険者としての良きパートナーなのだとか」
「あっ! えっと、クェルです! 爆足って呼ばれてます!」
いつもの調子でぴょこんと頭を下げるクェル。俺は少し肩の力が抜けた。
ふと視線をウルズ様の後ろへ向けると、マヌスさんが立っていた。彼もまた、俺の無事を喜んでいるかのように穏やかな笑みを浮かべている。
「こちらへ。カタタの茶も用意させていただいております」
「え……、あ、ありがとうございます」
姿勢を正して礼を述べる。
扉の奥へと進むと、そこには地面から直接生えたような木の机と椅子が四脚。天井から差し込む淡い光が木肌に反射し、荘厳でありながらどこか居心地のよい空間を作り出していた。
ウルズ様とマヌスさん――この二人の纏う空気はやはり別格だった。集落の玄鹿族たちも整った顔立ちをしていたが、この二人だけは、神話の登場人物が現実に立っているかのような神秘をまとっていた。
席につき、湯気の立つ茶を口に含む。
カタタの茶はすっきりとした香りが鼻に抜け、喉を通ると温かな余韻が広がって、ようやく緊張で張りつめていた胸が少し緩んだ。
「それでケイスケ様、何があったのです……?」
静かに問いかけるウルズ様。その声音は優しいのに、逃げ場を与えない真剣さがあった。
俺は深呼吸し、半年の出来事を話し始める。
あの日、突然姿を消すことになった理由。ハルガイトの目的。ダンジョンに落とされ、そこで知った彼の所業。ダンジョンコアとされた少女。俺自身がダンジョンマスターとなったこと。そして瘴気の仕組みと浄化の魔法について――包み隠さず語った。
話すほどにウルズ様の表情は翳り、マヌスさんは黙して聞き入る。重苦しい空気が部屋に満ちていく。
「千里のハルガイトが……そんなことを……。やはり予言は、正しかったのですね」
ウルズ様が呟く。
マヌスさんは深く眉を寄せ、鋭い眼差しを床へ落とした。彼の沈黙の重さが、言葉以上に状況の深刻さを物語っているようだった。
その時――クェルが俯いたまま固まっていることに気づく。
栗色の髪が顔を隠しているが、肩が小さく震えているのがはっきりとわかる。
「……そう、だったんだ」
かすかな声が落ちる。普段あれほど元気でうるさいくらいの彼女が、まるで別人のように沈んでいた。
「……クェル?」
声をかけても、彼女は反応しない。しばしの沈黙のあと、唇が動いた。
「……千里の……ハルガイト……」
呪詛のような低い声。
彼女の故郷――クミルヒースを滅ぼしたのは、金級冒険者、千里のハルガイトの身勝手な行為。その事実を知った今、クェルの全身が憤怒と悲哀に震えていた。
やがて顔を上げた彼女の瞳を見て、息を呑む。
――あれは、俺の知っているクェルじゃない。
いつも茶化してばかりの明るい瞳が、今は燃え盛る炎を宿していた。
慌てて席を立ち、彼女の肩に手を置く。
「クェル、落ち着け」
「でも……! あいつが……! 私の街を……!」
震える声。彼女は涙を必死に堪えている。怒りと悲しみが渦巻き、感情の器がもう溢れそうだった。
「わかってる。俺だって許せない。でも……ここで暴れても仕方ないだろ」
自分の声が震えているのがわかる。必死に言葉を選び、なんとか宥めようとする。
クェルの拳は膝の上で強く握り締められ、爪が食い込むほどだった。
ウルズ様は悲しげに彼女を見つめ、マヌスさんは静かに目を閉じる。部屋を満たす沈黙の中で、クェルの荒い呼吸だけが響いていた。
やがて――彼女は大きく息を吐き、椅子に座り直した。
瞳の奥にはなお憎悪の炎が燃えていたが、感情の奔流はようやく少し鎮まったように見えた。
俺はそっと彼女の肩から手を離す。
――初めて見た。
クェルの、あんな瞳を。憎悪に燃える、鋭く突き刺すような瞳を。
クェルの肩越しに、ウルズ様の長いまつ毛が影を落とした。静かに吐息をついたあと、彼女は言葉を紡いだ。
「……そうですか、貴方はクミルヒースの……」
その声音には、どこか祈りのような響きがあった。語尾がわずかに震え、長く胸の奥にしまっていた痛みをそっと取り出したような響きだった。
クェルは唇をきゅっと噛みしめ、ただ小さく頷く。いつもの軽口は影もなく、彼女の横顔は硬く強張っていた。頬の線が痩せ、顎が固く閉じている。握り締めた拳が膝の上で白くなっていた。
「……クェルはずっと、クミルヒースを取り戻したくて、冒険者をやってきたんです」
俺が補うと、ウルズ様の瞳に深い悲しみが宿った。
その目は、ただ同情するものではなく、まるで「ずっとその名を忘れずにいた」かのような色を帯びていた。
「……そうですか。私たちが不甲斐ないばかりに、苦労をかけました」
そう言って、彼女はすっと頭を垂れた。長い髪が流れ落ち、緑の絨毯のような床に光が揺れる。その所作はゆるぎなく、まるで王冠をいただく者が臣下に敬意を示すようだった。為政者が民に頭を下げる――それだけで胸を打たれるものがある。
隣ではマヌスさんもまた、真摯に頭を下げていた。表情は見えない。でもその姿勢に本心からの悔恨がにじんでいた。
その姿を前に、クェルは一瞬だけ目を見開き、そして視線を落とした。怒りと哀しみが混ざるその瞳に、ほんの一瞬、別の光が宿ったのが俺には見えた。
俺は息を整え、切り出す。
「それで、例の奪還作戦に、クェルも参加させてやってほしいんですが、可能ですか?」
その言葉に、クェルが驚いたようにこちらを振り向いた。普段なら「なに勝手に決めてんのさ」とでも言いそうなところだが、今はただ真剣に俺を見つめ返すだけだ。
彼女の瞳には、静かな炎が揺れている。それは怒りではなく、決意の炎だった。
ウルズ様はしばし彼女を見据え、やがて頷いた。
「もちろんです。聞けば、かなりの実力者だと聞いています。是非参加をお願いします」
その言葉に、クェルは小さく息を呑み、目を伏せた。
「……良かった」
俺の胸に安堵が広がる。これで、クェルにも戦う場がある。彼女がただ過去に押し潰されるのではなく、自分の足で未来を掴みに行ける場が。
「……ケイスケ、ありがと」
小さな声が耳に届いた。ふだん図々しく笑ってばかりのクェルから、こんな言葉を聞くのは珍しい。俺はただ「うん」と返すしかなかった。
だが空気はすぐに重くなる。話題はハルガイトのことに移ったのだ。
「ハルガイトは、ある種族の長と繋がっているようなのです」
ウルズ様の声音は硬い。彼女の指先が茶碗の縁をなぞり、かすかな音を立てた。
さらに続ける。
「そして、会議に何か……会話を盗み聞きできるようなものを仕込んでいた可能性が高いのです」
「それって、盗聴器……」
「恐らくは何かの魔道具なのでしょうが、わかりません」
嫌な記憶が蘇る。あの会議で、やけに俺に突っかかってきた首長がいた。瘴気に放り込んでやればいい、なんて無責任に言い放ったやつだ。
脳裏にあの場面がフラッシュバックする。冷たい視線、ざわつく空気、重苦しい議場。あれは偶然の挑発ではなかったのか。
「……って、まさか?」
俺の呟きに、ウルズ様は静かに頷いた。
「その首長と、ハルガイトは繋がっている可能性があります」
詳しい話を聞けば、俺が消えた日の翌日、会議は一度中止になったが、その後延期され、最終日にハルガイトが“助言者”として呼ばれたのだという。それも、あの首長の強い進言によって。
そして――俺が消えたことはほとんど話題にされず、代わりにハルガイトが「瘴気を消す手がかりを得た。浄化の魔法だ」と発表したらしい。
……間違いなく、俺の浄化魔法だ。
胸の奥が冷たくなる。クェルが小さく息を吸う音が耳に届く。
「……なにそれ?」
クェルの声が怒りで震えている。
エージェを攫い、ダンジョンを崩壊させ、さらにクミルヒースを滅ぼしたあいつが、今度は俺の魔法まで盗んだのか。
どこまで身勝手な男だ。
だけど俺は、クェルが怒りで肩まで震わせているのを見て、逆に冷静になった。
「それ、確実に俺の魔法ですね」
わざと軽く言った。クェルをこれ以上刺激しないために。
でも声の奥には、俺自身の怒りも混じっていた。喉の奥が熱くなるのを、無理やり押し込めた。
「ケイスケ様の魔法が、ハルガイトに知られた……それはまずいのでは?」
ウルズ様が眉を寄せる。
その仕草は、普段の凛とした威厳を保ちながらも、憂慮が隠せていないものだった。
「……あ、でもそれについては、それほど心配していないです」
俺は首を振った。確かに気分は悪い。だが、あの魔法は悪用できるようなものじゃない。
第一、俺があえて教えたのは、浄化力を落としたバージョンだった。
「ハルガイトに教えたのは、効果の低いものです。強力な浄化魔法はもう開発済みですし、さらに改良することもできます」
その言葉に、ウルズ様は小さく安堵の息を漏らした。だが、すぐに真剣な眼差しを向けてきた。
「しかしケイスケ様? 魔法の“開発”とは……?」
その問いには、場の空気がぴんと張りつめるような鋭さがあった。
横でクェルもきょとんとこちらを見ている。
「あ! あー……」
隠しても仕方ないだろう。俺は肩を竦めた。
「実は俺、魔法の詠唱が言語として理解できるんですよ。だから、詠唱の中身をいじったりして、魔法をいじることが出来るんです」
「まあ……!」
ウルズ様の瞳が大きく見開かれた。
宝石のような光を宿したその目が、真っ直ぐに俺を見つめる。まるで、失われた秘宝でも見つけたかのような驚きと喜びが入り混じった視線だった。
「それは、素晴らしいことですね。流石は調律者……なのですね」
調律者――その響きに、マヌスさんの視線もわずかに揺れた。彼もまた黙ってはいるが、表情から驚きを隠し切れていない。
「ア、アハハハ……」
褒め言葉に、思わず苦笑いが漏れる。
けれど胸の奥では、ほんの少しだけ誇らしい気持ちも芽生えていた。
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