第百八十五話「悔しさの先に」
その後もアイレと組み、クェルとカエリのコンビに挑んだが、結果は同じだった。いや、むしろ惨敗の連続と言っていい。
最初に突風で軌道を崩したあの一撃以降、通用したものはひとつもなかった。
何度も仕掛けた。
風でクェルを押し流しても、彼女は即座に体勢を変えて逆に切り込んでくる。まるで俺たちの動きを試すかのように、わざと罠にかかってみせて、そこから逆襲してくるのだ。遊ばれている――そう感じる瞬間すらあった。
逆に俺自身を風で押し上げ、空中軌道勝負を挑んだこともある。だがそれは完全に裏目に出た。俺は空中でどう体を扱えばいいのかわからず、宙ぶらりんのまま棒立ちになり、ただの的になるしかなかった。アイレが必死に風で支えてくれなければ、派手に転落していたに違いない。
もちろん、負けるつもりで挑んだわけじゃない。全力を尽くした。だが、その上で突きつけられたのは、歴然とした実力差だった。
俺がダンジョンに閉じこもり、データを探り、ミノタウロスを相手に死ぬ思いで戦っていた間。
クェルはひたすらに鍛錬を積み、火の精霊カエリと呼吸を合わせ、幾度も魔獣を斬り伏せてきたのだ。聞けば、魔物を相手取ったこともあるという。
――方向が、違った。
俺が積み上げてきた時間と、彼女が刻んできた時間。その質が、根本から違っていた。
「でもケイスケ、前より反応が良くなった気がしたよ」
差し伸べられた手を取って立ち上がると、クェルは屈託なく笑った。
夕暮れの森に差し込む斜陽を浴びて、その笑顔はどこまでも眩しい。
「訓練は積んでたんだね?」
「……まあ、ほどほどにはやってたよ。素振りとか、魔力操作とか」
思い出すのは、エージェに魔力を渡した日々。
あれは想像以上に集中力と繊細な操作を要求された。……色々な意味で、忘れられない訓練だった。
思い返すたび、脳裏に浮かぶのは顔を紅潮させ、か細い声を洩らす彼女の姿――いや、訓練の成果のことを考えろ、俺!
「なるほどー!」
クェルは目を丸くした後、胸を張って言い放つ。
「ま、私には敵わなかったけどね!」
「ぐ……」
痛いところを突かれて、言葉が詰まる。しかもその笑顔が、悪気ゼロだから余計に堪える。
俺の心にクリティカルヒットだ。
『あはははー、だめだったねー、ケイスケー。だから私と組めばよかったのにー』
リラが影から顔を覗かせて、楽しそうに笑う。
『でも、あの動きに対抗するのは、なかなか大変そうですー』
シュネが小さな声で慰めてくれる。
『ん。ポッコなら、もっと派手にやる』
ポッコはなぜか胸を張っている。……派手ってなんだ派手って。
だけど――悔しい。
ほんの少しは進歩できたと思った。だがその先を、クェルはもう走っていた。背中がまた遠ざかる。
笑顔で剣を構え直すクェルの姿を見て、心の奥で呟く。
俺は、この背中を追いかけられるのだろうか。
そして――いつか、彼女を超えられる日は来るのだろうか。
「くそぉ……。なんにせよ、あの軌道に対抗するには、もっと別の作戦が必要だな」
歯噛みしながらも、俺は視線を落とし、思考を巡らせる。
反省はする。落ち込むだけじゃ意味がない。必ず次につなげなければ。
俺の頭の中では、もう別の精霊と組んだ場合の戦術が描かれ始めていた。
火なら? 影なら? 氷なら? 土なら?
次は――どんな一手を繰り出せる?
悔しさは胸を焦がす。
だが同時に、それは確かに前に進むための火種になっていた。
「では、次は私だな」
重々しい声で宣言したのは、衛兵隊長ヘクトルさんだった。
犬獣人特有の鋭い耳は風のわずかな揺らぎすら捉えているようで、落ち着いた目には揺るぎない自信が宿っている。ただ立っているだけで周囲の空気が引き締まる。背筋はまっすぐ、片手に携えた剣は無駄のない角度で下ろされ、研ぎ澄まされた静けさが漂っていた。
「相手になるよ!」
対するクェルは、いつもの快活な笑みを浮かべて飛び跳ねるように前に出る。屈託なく笑う子どもみたいな無邪気さと、戦士としての猛々しさが同居する姿。両者が向かい合った瞬間、森の空気がぐっと重くなったように感じた。
「では」
「行くよ!」
合図と同時に、クェルが地面を蹴り、爆ぜるように踏み込みをかける。栗色の髪が風を切り、彼女の姿は残像を残して間合いに滑り込む。その瞬間――金属が擦れ合う甲高い音が、森に澄んだ響きを落とした。
剣戟。
それは一拍ごとに熱を増すかのように、耳を震わせていく。
クェルの爆足によって地面が小さく破裂し、その土煙の中で閃光のように刃が舞う。
だがヘクトルさんは揺るがない。地を踏み締め、大地と一体になったかのような安定感で、一撃一撃を受け止めていく。剣を払う動きに無駄はなく、肩の軌道は常に理にかなっていた。
「……すごい」
息を呑む。
あのクェルの斬り込みを、真正面から受け切れるなんて。
彼女の動きはまだ小手調べに過ぎない。本気で空中軌道を見せてはいない。だが、並みの剣士ならその時点で押し潰されるはずだ。それを「当然のように」受け切る姿は、ただひとつの答えを示していた。
ヘクトルさんは、堅実だった。
無理に攻めず、隙を探しながら受ける。クェルの鋭さと軽やかさを受け流し、時折だけ差し込む反撃。その鋭さは、ただ一手で戦局をひっくり返しかねない重みを秘めていた。
それはまるで、大地そのもの。
揺るぎなく、そこにあることで誰かを守る存在。衛兵という役目が、彼の剣をこうして形づくったのだろう。
その姿を目にして、胸の奥がちくりと痛んだ。
俺は……どうだ?
俺は、クェルに追いつこうとするとき、いつも真似ばかりしていたんじゃないか?
彼女の爆足、空中軌道、独特な間合いの詰め方。
憧れと羨望と焦燥が混じり合い、気づけば模倣ばかりしていた。でも、それで身に付くのは「クェルの動きもどき」だ。
今、ヘクトルさんはその真逆を見せている。どんなに翻弄されても、自分の型を崩さない。だからこそ、互角に立てる。
俺には、俺の戦い方が必要だ。
自然と、そんな言葉が胸に浮かんできた。
闘技大会では得られなかった気づきだ。あのときは相手との距離が遠すぎて、ただ「強い」と思うだけだった。
でも今は違う。背中を追う人たちが、仲間たちが、目の前でぶつかり合っている。だからこそ、突き刺さる。
爆ぜる音とともに、クェルが空を舞い、ヘクトルさんが剣を振り上げて受け止める。
金属音と土煙が交互に響く中、二人はまるで舞のように剣を交わしていた。
「やっぱり、すごいな……」
その思いが、熱を持って胸を満たしていく。
二人はまだ本気じゃない。ただ力を見せ合っている程度だ。けれど、それだけで十分すぎるほど迫力があって、互角だった。
俺は、まだそこに届かない。
でも――それを認められること自体が、ひとつの前進なんじゃないか。
ぎゅっと拳を握る。悔しさもある。羨ましさもある。けれどそのどれもが、前へ進むための燃料になる気がした。
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