第百八十四話「森での手合わせ」
「さあやろっか!」
クェルが腰を落とし、獲物を狙う獣のような目でこちらを射抜いてくる。けれど俺は慌てて手を上げて、待ったをかけた。
「ちょっと待った! その前に、まずはみんなと相談させてくれ!」
「えー? もう構えてたのに! 早くしてよね?」
唇を尖らせてブーブー文句を言うクェル。その様子は可愛らしいんだが、油断すると間違いなく飛び込んでくるタイプなので、こっちも急がなきゃならない。
「すぐ終わらせるから!」
俺は苦笑しつつ、背後に集まった精霊たちに意識を向けた。
『……ふむ、主、どうするんですー?』
『カエリはクェルと組んでしまうんでしょう? じゃあ、誰と?』
小さな声が重なり、俺を急かすように揺らめく。確かに、即席で全員と連携するのは無理がある。
「カエリは今回はクェルと組む。だから……俺はまず、アイレとやってみるよ」
そう言うと、案の定、他の精霊たちから軽い不満の声があがった。
『えー、ずるい! 私もやりたいー!』
『ん。ポッコも』
『やりたいですー』
文句の合唱に、俺は慌てて手を振った。
「ちょ、ちょっと待って! 今回は試しだから! 一人ずつやってみたいんだ。次は順番にやろう。ちゃんと全員とやるから!」
すると、渋々ながらも声が収まり、最後には『しょうがないなぁ』と納得してくれた。胸を撫で下ろす俺に、アイレがふわりと寄り添う。
そんなアイレに作戦を伝え――。
『――なるほど、わかりましたわ。では、全力でお支えいたしますわ!』
「頼んだぞ!」
耳元でささやく風の音に力をもらい、俺は剣の柄を握り直した。
「おっ! もういいの?」
クェルが嬉しそうに声を弾ませる。その直後、横から低い声がぽつりと響いた。
「クェル殿は、すごいな」
振り向けば、焚き火の影にヘクトルさんが腕を組んで立っていた。犬獣人特有の鋭い眼光が、真っ直ぐにクェルを見据えている。だがそこに宿っているのは威圧ではなく、確かな敬意だった。
「是非俺とも手合わせしてほしいが、いいか?」
真剣な声音に、クェルは一瞬きょとんとしたが、すぐにぱっと笑みを咲かせた。子どものように無邪気で、それでいて誇らしげな笑顔だ。
「ケイスケのあとでなら、いいよ」
「感謝する」
短くそう告げて、ヘクトルさんは静かに頷いた。その背筋はびくともせず、焚き火の炎に照らされて獣の彫像のように頼もしかった。
「じゃあ、やるよ、ケイスケ」
「胸を借りるよ、師匠」
言葉では軽く返したものの、正直に言えば勝てる気なんてまるでしない。いや、勝ち負け以前に、形になるかどうかすら怪しい。クェルは空を縦横無尽に駆け、重力を嘲笑うように跳ね回る。そんな相手にどうやって追いつけというのか。
……いや、そこで諦めてどうする。今回はアイレとの即席の作戦がどこまで機能するか、それを試す場なんだ。
『主、大丈夫ですわ。あの作戦なら、十分勝ちを狙えます』
耳元に優雅な囁きが届く。その確信めいた声に、俺は小さく頷いた。
「そうだな……。うまくいっても、いかなくても、物は試しだ!」
自分に言い聞かせるように吐き出し、深呼吸で心を落ち着ける。息を吸い、吐く。胸の奥に熱が宿る。
「いくぞ!」
剣を抜き、軽く構えて、クェルの正面に立つ。焚き火の光に照らされた刃が、夜気を切り裂いた。
「お、やる気だね!」
――森の夜が、一気に戦いの舞台へと変わろうとしていた。
そしてクェルはにやりと笑い、靴先で地面を軽く蹴った。次の瞬間、空気が一瞬にしてひやりと張り詰め――彼女の姿が、ふっと視界から掻き消える。
――来る!
耳に届いたのは風を裂く鋭い音。反射で振り向いた瞬間には、背後から迫る斬撃の気配。長剣の刃先が肩口を狙って突き込まれてきていた。
「っ!」
反射的に剣を合わせる。火花が散り、腕にビリッと痺れるほどの衝撃が走った。踏ん張るより早く足元が浮き、姿勢が揺らぐ。そこへ容赦なく二撃目。視界を横切る銀閃に翻弄され、俺はただ守勢に回るしかなかった。
「どしたー? 足、止まってるよ!」
挑発混じりの明るい声が頭上から降ってくる。思わず見上げれば、信じられない跳躍で夜空に舞い上がるクェルの姿。さらに空中で――まるで見えない足場を蹴るかのように軌道を変え、弾丸のように突っ込んでくる。
……いや、マジで空中で蹴るってどういうこと!? 物理法則どうした!?
――でも!
「アイレ!」
『はいですわ!』
空中なら、風の精霊の出番だ!
俺の声に応じて、強い突風が吹き上がる。
その風に押され、クェルの突進はわずかに逸れた。勢い余って狙いを外され、彼女は想定外の位置に着地するしかなかった。
「おっと!?」
土煙を蹴散らしながら着地するクェル。その姿に俺は内心で拳を握る。
よし、今のは狙い通りだ!
以降もクェルは何度も空中から仕掛けてきたが、突風を吹かせばその度に微妙に軌道をずらすことができた。俺の間合いに入らせないことに成功するたび、胸の奥に小さな手応えが芽生えていく。
「なるほどー……。アイレちゃんは風の精霊、ってことか。なるほどなるほどー」
クェルは腕を組んで、ふんふんと納得したように頷いている。だが、俺にはその仕草がむしろ不穏にしか見えない。ああいうときのクェルは、大抵ろくでもないことを思いついてるんだ。
そして予想どおり、歯を見せて不敵に笑った。
昔の漫画で読んだことがある。「笑顔で歯を見せるのは、本来は威嚇の行為」――って。まさに今の彼女がそれだ。
「じゃあ、もっかい行くよ!」
言うが早いか、クェルは地を蹴って一直線に突っ込んできた。
真正面からの斬撃。俺も剣を振り合わせる。金属がぶつかる甲高い音と共に火花が散り、腕にずしんと重みが伝わる。
正面なら――受けられる!
安堵の一瞬。しかし甘かった。
「どわっ!?」
足元が爆ぜ、地面が弾け飛ぶ。土煙と破片が視界を覆い、思わず声を上げる。爆足――至近距離で食らったら避けようがない。
クェルの姿を見失い、焦って左右を探る。すると、右に着地する彼女の影。さらに次の瞬間には、爆風を蹴って高く跳躍していた。
また空中軌道か! なら――!
「アイレ!」
『承知ですわ!』
俺の合図と同時に、突風が吹き荒れる。これでまた狙いを逸らせる――はずだった。
「……はあっ!?」
驚愕の声が漏れる。目に映ったのは、空中でジグザグに駆けるクェルの姿。
爆ぜる音がボボボボッ! と連続して響き、まるで空を走る稲妻のように進路を変えて迫ってくる。
何だそれ、生身でやる動きじゃないだろ!?
風で押そうにも、細かすぎる方向転換に対応しきれない。強風をぶつけてみても、突進力に押し切られてしまう。
そして、冷たい感触。俺の首筋に、クェルの剣先がそっと触れていた。
「私の勝ち!」
あっけらかんとした声。勝敗を決めるのに、まるで遊びの延長みたいな調子で言うから余計に悔しい。
結果は――惨敗。
剣を下ろしたクェルが満面の笑みを浮かべる。焚き火の明かりを反射して、その顔がやたらと楽しそうに輝いて見えた。
「今の、けっこういい感じだったでしょ? ……よし、もう一回やろっか!」
宣言する声が元気すぎて、俺は思わず苦笑いを漏らす。
負けはしたが確かに、さっきまでとは違う感触があった。
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