第百八十一話「帰還と再会」
通路の先がふっと広がり、自然にできた洞窟のような空間が現れた。湿った空気が頬をなで、さっきまでの乾いた風景とは違う柔らかさを帯びている。
「土の臭い……。ここが出口か」
鼻腔に混じる湿土の匂いに思わず呟く。光球の魔法の光が暗闇を照らし出し、広間の奥を明らかにした。そこには直径二メートルほどの水たまり――いや、水路の入口が口を開けていた。
水面は静かに揺れており、光が反射してきらめく。覗き込めば、透き通った水の下にさらに通路が延びているのが見える。
背後では、鼠たちがカサカサと集まってきて、せっせと土を崩していた。どうやら、俺が外に出た後はこの場所も塞ぐらしい。もっとも、完全に塞ぐわけではなく、監視用の鼠が出入りできるくらいの小さな穴を残すそうだ。なるほど……まったく隙のない仕事ぶりだな。まるでどこぞのゼネコンの下請けみたいだ。
俺は水辺に近づき、手にした小石をひょいと落とす。ぽちゃん、と小さな音を立てて沈み、波紋が同心円状に広がっていった。
「……ここを潜れば、外か」
『そうですわ。迷わなければ三十秒もかかりません』
アイレが胸を張って言う。もちろん、この水中通路を作ったのはシュネとポッコの功績でもある。
『ダミーの道も……たくさんありますからー。うん……バレない、はずですー』
シュネが少し得意げに言い添える。水滴みたいにぷるんと揺れる姿がなんだか可愛い。俺は思わず笑みを浮かべた。
たしかに、こんな池の底にわざわざ潜ってまで探索しようなんて物好きはそうはいないだろう。よほどの執念深い連中でもなければな。
光の届かない水中は闇そのものだ。俺は掌に小さな光球を浮かべ、ひとつ深呼吸する。
「よし、行くか」
水に身を沈めた瞬間、冷たい感触が全身を包み込む。耳の奥でごぽごぽと水の音が響き、心臓の鼓動まで速くなっていく。光球を先へと滑らせ、俺は狭い水路を泳ぎ進む。
『このまま真っすぐー、突き当りを右ですー』
シュネの念話が道案内をしてくれる。闇の中にはいくつも道が分かれていたが、指先で壁をなぞりながら正しい方へと進む。
水圧で肺が重くなっていくが、焦るな、慌てるな、と自分に言い聞かせる。
やがて、前方にかすかな光が差し込んでいるのが見えた。光の筋がゆらめき、水面が揺れている。出口だ。最後のひとかきをして、水面を突き抜けると――。
「ケイスケ!」
水飛沫と共に、懐かしい声が耳を打った。
顔を出した俺の視界に飛び込んできたのは、池のほとりで両手をぶんぶん振り回すクェルの姿。栗色の髪が陽光を反射し、その満面の笑みは眩しいほどだった。
『主!』
頭上にはカエリの小さな姿。さらに、その隣には――。
『ケイスケー! 久しぶりー!』
「……リラ?」
思わず声が漏れる。リームさんの妻イテラさんの出産を手伝っていた光妖精、リラが嬉しそうにこちらへ手を振っているではないか。どうやら、カエリ経由でクェルが呼んでくれたらしい。
俺は池から這い上がり、びしょ濡れの身体をアイレとシュネに乾かしてもらう。温かな風と水流が体を撫で、じんわりと心まで和らげていく。水浸しで髪が顔に張り付いた姿なんてあまり見られたくないのに、なぜか皆の視線が優しくて、逆に照れくさい。
立ち上がり、皆に向き直って言葉を放つ。伝えるべき言葉は一つだけ。
「ただいま」
その瞬間、クェルの顔がぱっと花開いた。
「おかえり!」
その声に胸の奥がじんと熱くなる。長くて、寂しくて、でも決して途切れなかった旅路の果てに、ようやく聞けた言葉だった。
――眩しい。
水面を割って出た瞬間から、光は遠慮という言葉を知らないかのように、俺の瞳を容赦なく刺してくる。けれど、不思議と嫌じゃない。むしろ――痛いくらい心地いい。
空が広い。
半年以上、閉ざされた岩壁とじめじめした空気しか知らなかった俺にとって、その青はあまりに鮮烈だった。
風が吹き抜け、髪を乱し、鼻先に草の匂いを運んでくる。湿った土の臭いじゃない。太陽に温められた草の匂いだ。胸いっぱいに吸い込むと、肺が驚いたように膨らんで、喉の奥がきゅうっと熱くなる。
「……空って、こんなに広かったか」
ぽつりと呟いた俺に、真っ先に飛びついてきたのはやっぱりクェルだった。
「ケイスケーーーっ!!」
「ぐふっ!?」
全力で抱きつかれ、腰がよろける。まるで狩りから帰ってきた犬に飛びつかれたような勢いだ。
『主ー! お帰りー!』
カエリもすかさず胸元に突っ込んできて、俺の顔をぺちぺち叩くようにして喜びを表す。
というかカエリは火そのものだが、大丈夫か? 燃えないか、俺!?
『私ももいるよー! わーい!』
「お、おいリラまで……! わっ、挟まれるっ!」
光妖精リラまで加わり、俺の胸元は完全にカオス状態だ。三人(?)がいっぺんに抱きついてくるものだから、押し潰されて池に逆戻りしかける。
「ちょ、ちょっと落ち着け! 俺は溺れた魚じゃない!」
「半年も帰ってこなかったから、いいでしょ!」
『そうだそうだ! 主のいない間、大変だったんだからな!』
『私もー! 毎日退屈だったんだよー!』
わいわいがやがや。涙ぐんでいるのか笑っているのか、もう判別できないほどだ。
『あらあら。びしょびしょですわよ』
『みんなうれしそうですー』
『ん。喜んでる』
俺は観念して、三人のなすがままにされた。
陽光の中で、草木のざわめきに包まれて。
視線を移すと、池の真ん中に浮かぶ小さな小島の上に二匹の鼠の姿が見えた。
監視役の鼠たちだ。
あいつらにも感謝だな。
改めて三人の姿を見る。そして呟いた。
「……ただいま」
言葉をもう一度、噛み締めるように。
胸の奥に溜まっていた冷え切った時間が、ようやく解けていくのを感じた。
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